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コラム

Jリーグチェアマン 村井満の“アディショナルタイム”

2015/1/31 10:00

遠野の物語(♯27)

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廃校となった元土渕中学校の校舎から眺める遠野の田園風景。まさに稲刈りのピークであった
廃校となった元土渕中学校の校舎から眺める遠野の田園風景。まさに稲刈りのピークであった

早いもので今日は大晦日。一年の締めくくりは、全国高校サッカー選手権大会の1回戦遠野高校対草津東高校の試合会場である相模原ギオンスタジアムを訪ねた。試合は1対3で滋賀県代表の草津東高校が勝利し、遠野高校は善戦むなしく初戦での敗退となった。

遠野高校サッカー部の生徒たちと車座になってお互いの夢を語り合った
遠野高校サッカー部の生徒たちと車座になってお互いの夢を語り合った

私は今年、遠野高校とちょっとした縁を持つ機会があった。10月13日体育の日に岩手県遠野市を訪ねたのだが、この日は人工芝グラウンドの完成を記念して行われたイベントに招待されたのだ。このピッチは2016年の岩手国体少年サッカー競技で使用する予定だという。岩手県の内陸部に位置する遠野市は、宮古、釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼といった沿岸部の地域と通じており、市長を先頭に沿岸部被災地の後方支援基地として獅子奮迅の活躍を見せている。解決すべき課題が山積する中で、人口3万人ほどの地方都市が人口芝のピッチを作るのは簡単なことではなかったはずだ。日本中に芝の広場を作ることはJリーグの悲願でもある。私は少しでもお役に立てればという思いで、盛岡から釜石線に揺られて遠野に向かった。

廃校の体育館の壁に残されたメッセージ
廃校の体育館の壁に残されたメッセージ

この日、私は講演の機会を頂いた。主催者側の皆さんは集客が思うようにいかないことに気を揉んでいるように見えた。講演時間は迫っていたが、確かに体育館に並べられたイスには空席も見える。ただ、学校から外の田園風景を眺めれば納得も行く。11月になれば雪が舞う遠野の農家にとって、10月のこの時期は土日も祭日もない。まさに稲刈りのピークであり、家族総出で時間との戦いに追われているのだ。そうした状況ではあったものの、遠野高校サッカー部の生徒たちは最前列に陣取り熱心に話を聞いてくれているので、講演する私も思わず力が入ってしまった。

廃校は「遠野みらい創りカレッジ」として民間企業の協力を得て人づくりの拠点として存続している。音楽室には卒業する3年生に向けられたメッセージもそのまま残されていた
廃校は「遠野みらい創りカレッジ」として民間企業の協力を得て人づくりの拠点として存続している。音楽室には卒業する3年生に向けられたメッセージもそのまま残されていた

講演の終了後、車座になってサッカー部の生徒たちとスポーツをテーマに自分の夢を語り合う「対話会」を開いた。彼らはほぼ全員が全国大会出場を夢見ていた。そうした彼らの夢を床の模造紙に書き込んでいく。私も自らの夢として「47都道府県すべてにJクラブを作りたい」と書いた。その対話会から二週間もたたずに彼らはその夢を叶えた。岩手県大会の決勝で強豪盛岡商業高校を接戦の末3-2で破り、見事全国大会出場の切符を手にしたのだ。

遠野は人口減少が続いていて、学校も統廃合が進んでいる。イベントの会場となった場所も今では廃校となった元中学校だった。施設は授業が行われていた当時のままの状態で保存されていたが、体育館の壁には生徒たちが張ったであろう模造紙がそのまま残されていた。

「バレーボールは人間を作る」と題された紙にはこんな文章が書かれていた。

失敗を他人のせいにせず

簡単なプレーほど慎重に扱い

同じミスを二度と繰り返さず

人の気持ちになって

ものを考えられる

心豊かなバレーボール選手になりたい。

まるで練習中の生徒の歓声が今でも聞こえてきそうではないか。スポーツはここ遠野でも立派に子供たちを育てていた。だからこそ行政は学校の統廃合が進む過疎の中にあってさえ、子供たちのために資金を工面して人工芝のグランドを用意した。そして遠野高校サッカー部の生徒たちは街の期待に見事に応えた。

私はこの1年、こうしたスポーツの持つ可能性と素晴らしさをただただ教えられるばかりであったような気がする。