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【J2日記】熊本:Jリーグ20年、熊本の場合(12.05.17)

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(C)井芹貴志

20歳になった仲間選手。練習見学に訪れたサポーターから誕生日のプレゼントをもらってこの笑顔

20年目を迎えたJリーグ。熊本の歴史はまだ浅いですが、当時の状況はどうだったのか、良く知る人物がいるので話を聞いてみました。当時サンフレッチェ広島の中心選手だった高木琢也監督です。
「前日の開幕戦はテレビで見たけど、もう今までとは別世界だったよね。スタジアムもいっぱいだし、浦島太郎みたいな状態。とにかく信じられなかった」
高木監督が在籍していた当時のサンフレッチェ広島は94年にステージ優勝を遂げますが、高木監督のほかにも、J2では栃木の松田浩監督、J1では広島の森保一監督、そして先日就任した川崎Fの風間八宏監督と、その頃在籍していた選手から、現在Jリーグのクラブで指揮を執る監督を多数輩出しているのも特徴。その背景には何があったのでしょうか。
「バクスター監督の影響も大きいけど、GMだった今西和男さん(現岐阜・代表取締役社長)が選手のためにいろんなことを考えてくれたり、クラブの体制が良かったんだと思う。ヨーロッパから指導者や選手を連れてきて、日本人の選手も英会話を勉強させたり、啓発的なこともやってたね。どういうクラブにしていきたいかというビジョンがはっきりあって、それが育成の充実にもつながって、寮を作ったりもしていた。あの頃の広島は地方のチームだったと思うけど、当時から韓国に遠征したり、チームの色を出そうとしていた。そういう背景を考えると、今の広島の強さも納得できる」
その後選手としてはV川崎(現東京V)や札幌でプレーし、指導者としても複数のクラブの現場を見てきた立場を踏まえても、当時から続く広島のクラブカラーは今なお、地方のクラブの手本になると捉え、「これからは地方からも盛り上げて行かないと」とJリーグの将来について話しました。

さて、Jリーグが20年目を迎えたのが5月15日でしたが、その翌日である16日、20歳になったのが、加入2年目の仲間隼斗選手。誕生年はJリーグより1年早い1992年で、当然のことながらJリーグの開幕を見た記憶はなく、高木監督の現役時代も知りません。
しかし、幼稚園の頃からサッカーを始めた仲間選手にとっても、Jリーグは夢の舞台であったことは確かで、当時住んでいた群馬県にはまだJクラブはなく、鹿島アントラーズを応援していたそう。仲間選手のスターは、既にイタリアに渡っていた中田英寿さんでした。
「これからは、もっと子どもたちに夢を与えられるような選手になりたい」と話す仲間選手。そのプレーを見て、また数年後にJリーガーとなる選手も出てくるかもしれません。

以上

2012.05.17 Reported by 井芹貴志
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