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Jリーグ時代のスタッツから見る西野新監督の目指す日本代表のスタイルとは?【Jリーグ】

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2018年4月12日(木) 19:00

Jリーグ時代のスタッツから見る西野新監督の目指す日本代表のスタイルとは?【Jリーグ】

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Jリーグ時代のスタッツから見る西野新監督の目指す日本代表のスタイルとは?【Jリーグ】
G大阪を優勝に導いた2005年はシーズン82得点、1試合平均2.41得点を奪う圧巻の攻撃力を示しての戴冠だった

ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の解任を受け、新たに日本代表の監督に就任した西野 朗氏は、自身も現役時代に日本代表としてプレーした実績を持つ。

早稲田大時代に日本代表入りを果たしたストライカーは、卒業後の1978年より日立製作所サッカー部(現レイソル)に所属。12シーズンに渡ってプレーした。

1990年に現役を退くと、翌年からU-20日本代表監督として、指導者のキャリアをスタートさせる。1994年にアトランタ五輪を目指すU-23日本代表監督に就任すると、前園 真聖、中田 英寿、川口 能活らを中心にチームを構築し、28年ぶりに日本をオリンピック出場に導いた。同年に行われた本大会ではグループステージ敗退に終わったものの、ロナウドやロベルト・カルロスらを擁したブラジルに1-0で勝利。「マイアミの奇跡」と呼ばれる劇的な戦いを演出した。

その後、1998年に柏の監督に就任し、1999年にナビスコカップ優勝を達成。2002年からはガンバ大阪の監督を務め、10シーズンに渡って指揮を執った。その間、2005年にJ1リーグ優勝、2008年にはACL制覇と、数々のタイトルをもたらしG大阪の黄金時代を築いた。

西野 朗 監督 年度別成績

※失点の順位は少ない順  ※2001年は1stステージのみ指揮、2012年は13節~31節のみ指揮(年間順位はチームの最終順位)
※失点の順位は少ない順  ※2001年は1stステージのみ指揮、2012年は13節~31節のみ指揮(年間順位はチームの最終順位)

2012年にはヴィッセル神戸を指揮し、2014年から2年間は名古屋グランパスを率いた。J1通算270勝は歴代最多で、Jリーグ史に残る名将としてその名を刻んでいる。

西野監督のスタイルを印象付けたのは、やはりG大阪時代。パスワークをベースとした攻撃スタイルを標榜し、リーグを席巻。優勝した2005年はシーズン82得点、1試合平均2.41得点を奪う圧巻の攻撃力を示しての戴冠だった。10年間で実に4度の最多得点を記録するなど、G大阪=攻撃サッカーのイメージを確立させている。

ポゼッション志向のイメージが強い西野監督だが、決してそうであるとは言い切れない。下の表は2011年以降、西野監督が指揮を執ったチームのスタッツをまとめたものだ。

2011年以降のスタッツ

※2011年は指揮した13節~31節でのデータと順位  ※データは1試合平均
※2011年は指揮した13節~31節でのデータと順位  ※データは1試合平均

2011年のG大阪ではパスの数が多く、ボール奪取後のシュートまでの平均経由時間も18.6秒と比較的長かった。一方で翌年の神戸、2014年からの名古屋時代ではパスの数が少なく、手数をかけない攻撃が多かったことが分かる。G大阪時代には遠藤 保仁をはじめ、パスワークに優れた選手がいた一方で、神戸、名古屋時代にはそうしたタイプが少なかったために、ポゼッションではなくカウンター型を標榜したのだろう。

つまり、戦術ありきではなく、選手の特性を踏まえたうえで戦い方を選択する、柔軟性を備えた指揮官であることが窺える。

クラブチームとは異なり代表監督は、目指すべきスタイルを実現し得る選手を選択することができる。果たして新監督は、どのような色を打ち出してくるのか。そのメンバー選考から、西野監督の目指すスタイルが浮き彫りとなってくるはずだ。

データ協力:データスタジアム

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