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世代最強ユースからJ1の舞台へ! 鳥栖に現れた「リアル・アシト」!!中野伸哉(サガン鳥栖) 世代最強ユースからJ1の舞台へ! 鳥栖に現れた「リアル・アシト」!!中野伸哉(サガン鳥栖)

Jリーグとアオアシのスペシャルコラボ「グローイングアッププロジェクト」の一環として、今号より注目のJリーガーインタビューがスタート!

第1回に登場するのは、サガン鳥栖アカデミーに育ち、16歳でJ1デビューしたサイドバック・中野伸哉選手だ。

その経歴から「リアル・アシト」とも呼ばれる彼は、どのようなサッカー人生を歩んだのか。そして、彼の目にアシトはどう映っているのか―――

中野伸哉(サガン鳥栖)

サッカーとの出会い

―――サッカー選手になると決意したのはいつですか?
小1のときです。サガン鳥栖の試合をスタジアムに見に行ったら、トヨさん(豊田陽平)とかがすごいかっこよくて、サッカーって楽しいと思いました。そして「自分もサッカーをやりたい」「大きくなったらJリーガーになって、ここでプレーするんだ」と思ったんです。
すぐに地元のクラブ(思斉館FC)でサッカーを始めて、小4になると迷わずサガン鳥栖U-12のセレクションを受けました。でも、落選。プロに近づく最初のチャレンジで、僕は負けたんです。
落ちた理由は教えてもらえませんでした。自分なりに考えてみると、そのころの僕はただ足が速いだけで技術が足りなかったんだと感じたので、思斉館FCでガムシャラに練習しました。僕は左利きですが、サッカーを始めたころから右足でも違和感なく蹴れていたので、左も右も同じぐらい丁寧に練習しました。振り返ると、この落選が僕を成長させるバネになったと思います。
そして小6になり、今度は中学生対象のサガン鳥栖U-15のセレクションを受けて、合格をつかみ取ることができたんです。

U-15世代最強

―――鳥栖U-15は、どんなチームでしたか?
中2のときに、全国大会二冠を達成しました。その年の鳥栖U-15は紅白戦でBチームが勝つ(*)こともあって、誰が試合に出ても本当にいいサッカーができていました。
*アオアシで福田監督が語ったとおり、Bチーム(サブ組)も強いというのは強いチームの最大の条件だ。中学と高校の違いはあれど、当時の鳥栖U-15はエスペリオンユースを地で行くチームだった。
(※『アオアシ』14集の上記のセリフが入ったコマが入る)
―――世代最強と呼ばれた鳥栖U-15で、中野選手はどんな成長を遂げたのでしょうか。
実はサイドバックになったのが、中2からなんです。それまではフォワードまたはサイドハーフでした。転向したてのころは何もかも戸惑いましたが、慣れてくるとU-15日本代表にも呼ばれるようになって、大きな舞台を経験することができました。
僕をサイドバックとして育ててくれた田中智宗監督(現・鳥栖U-18監督)には本当に感謝しています。さらに田中監督は、代表に選ばれて少し浮かれていたころの僕を「満足したらそこで終わりだ」と戒めてくれました。人間性を培う大事な時期に、鳥栖U-15の仲間や田中監督に成長させてもらったと感じています。

16歳でJリーガーに

―――中野選手ほどの実力でしたら、高校進学のタイミングで高体連の強豪校からも勧誘されたと思いますが、そちらに移ることは検討しましたか?
いいえ、ユースしか考えていなかったです。近隣には高校サッカーの名門・東福岡高校もありますが、高体連ではプロの試合に出られませんから。その点、ユースだったら評価されれば高校生でもJリーグに出られる。それがユースの魅力だと思います。特に鳥栖は、ユースからトップチーム(Jリーグを戦うプロチーム)の練習に参加できる機会もあるので、チャンスが目の前にある。だからいつもプロを意識してコツコツと努力してきました。
―――初めてトップチームに合流したとき、どんな思いでしたか?
よく覚えています。憧れのトヨさんたちとチームメイトになって「すごい、すごい」って興奮しましたが、一緒に練習するとプレーの速さに驚いて「この中で戦力にならなければいけないのか…」と思いましたね。
試合形式の練習に出たときは、前半で足がつりました。ユースじゃそんなことあり得ないです。そのときは前半だけで交代させられました。
―――交代させられた原因、すなわち最初にぶち当たったプロの壁とは、なんだったんでしょうか?
プレーの強度、スピードもスタミナもパワーもすべてレベルが違い、自信のあった守備も通用しませんでした。「このぐらいで大丈夫だろう」と一瞬でも思ったら命取りになる。それがJ1だと知りました。
―――2種登録(ユース所属ながらJリーグ公式戦にも出場できる)を勝ち取って間もなく、昨年8月のFC東京戦でJ1公式戦初出場(*)。11月の札幌戦では初のフル出場を果たしました。急速にJ1のレベルに対応できた理由は?
守備の部分では、やはり予測ができるようになったことだと思います。相手をよく観察して、ボールを置く位置や目線などから、次の動きを予測するんです。対戦前には相手の映像も見て、利き足やプレースタイルなどの情報はもちろん、切り返しのやり方や、こういう状況だったらこっちへ行くだろうっていうクセや傾向なども研究しています。今では1対1だったら止められる自信がついてきました。
*この試合後の会見で金明輝監督は中野を投入した意図を問われ、「守備固めで戦力として使った」と回答。単に若者に経験を与えるといった起用法ではないことを強調した。
中野伸哉(サガン鳥栖)

リアル・アシト

―――世代最強ユースの仲間と切磋琢磨し、監督からはサイドバックとして見いだされ、将来の活路が開けた。まるでアシトですね。
経歴は似てますよね。でも取り組んでいる課題は正反対だと思います。僕は守備に自信がある反面、攻撃面でもう一つ二つレベルアップしなければいけない。ユースでは攻撃も得意でしたけど、J1ではほかの選手との違いを生み出せるほどではないと痛感しているところです。
―――そうですか。すごくいいクロスを蹴るなあと思って見ていました。
クロスは、周りの選手に協力してもらいながら自主練でも取り組んでいます。試合さながらに中央からボールを蹴ってもらって、それをトラップして、ゴール前に走り込む選手に合わせてクロスを入れるという練習です。でも、まだまだです。アシストやゴールが僕に足りない部分。それをアシトは持っていると思います。攻撃ではアシトに見習う部分が多いかな。
―――アシトがもし現実のJリーグを見ているとすれば、「攻撃と守備のバランス」という点で中野選手の落ち着いたプレーが参考になるように感じます。バランスはどのように意識していますか?
相手のFWが何枚残っているかなどを把握しつつ、相手の逆サイドが上がって来たら僕が中に締めるとか、味方が攻めているときは前に上がるとか、そういうことを目で見た情報から判断しています。とはいっても、アシトみたいに誰がどこにいるのか全部俯瞰で見えたりはしません。あれはすごすぎですよ(笑)。僕はアシトほどではないです(笑)。

これからの目標

―――この人には絶対負けたくないと思う選手を、一人挙げるとすれば誰ですか?
薫くん(三笘 薫:川崎フロンターレ)ですね。U-24日本代表で一緒にプレーしていますが、本当に上手い選手なので、負けたくないです。
―――これからの目標は?
将来は海外リーグでプレーしたいです。代表では日本のために、Jリーグではサガン鳥栖ファミリーのために精一杯プレーして、結果がついてくればおのずと道も開けると思うので、頑張ろうと思います。
―――最後に、サガン鳥栖の魅力を伝えていただけますか。
ホームスタジアム(駅前不動産スタジアム)は、客席とピッチが近いので臨場感が最高です。それにサポーターがみんなフレンドリーなので、初めて来た人も楽しく過ごせるんじゃないかなと思います。アオアシのファンのみなさん、世の中が落ち着いたらぜひ鳥栖へ足を運んでください!
中野伸哉(サガン鳥栖)
中野 伸哉
中野 伸哉Shinya NAKANO
2003年8月17日生まれ。佐賀県出身。173cm・64kg。
2020年8月、当時16歳にしてJ1初出場(クラブ史上最年少記録)。
2020シーズンは主に左サイドバックで14試合に出場し、最終節の大分戦では鋭いクロスから2アシストを記録した。
2021シーズンは独特のフォーメーションを採用する鳥栖の左DFで起用され、攻撃時には高い位置にポジションを取る。U-24日本代表(東京五輪代表)争いにも加わる将来性豊かな17歳。