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コラム

百年構想のある風景

2015/1/30 10:00

伝説

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フリッツ・ヴァルタースタジアム。2006FIFAワールドカップドイツ大会で日本代表が初戦を戦った、1.FCカイザースラウテルンのホームである。フリッツ・ヴァルターとは、1954FIFAワールドカップスイス大会の西ドイツ代表が、決勝で無敵ハンガリーを破り『ベルンの奇跡』と呼ばれた時の名FW。後に、出身地で長く所属したクラブのホームスタジアムに、その名が刻まれた(1985)。 歴史上の人物の評価は、人により時代により一定ではない。にもかかわらず、欧米には文化人の名を付すことが、身の回りにたくさんみられる。

フランクフルト市内に、音楽家の名前のついた通り(Street)が集まる一画がある。シューベルト通り、メンデルスゾーン通り、ベートーベン通り、シューマン通り。こんなおしゃれな通りなら、住んでみたくなる。音楽家の名前は、ドイツの新幹線や国際列車にもついている。ウィーン行のヨハン・シュトラウス号、モーツアルト号、ヨゼフ・ハイドン号、ミラノ行のヴェルディ号、ヴェネチア行にはパガニーニ号など、楽しい音楽列車に乗ってみたくなる。 名門大学も例外ではない。創設者の王様の名前に交じって、哲学者のゲーテ大学(フランクフルト)、印刷機を発明したグーテンベルク大学(マインツ)、詩人のハイネ大学(デュッセルドルフ)やシラー大学(イエナ)など、その町にゆかりの人物が並ぶ。どれも、愛称ではなく正式名称である。 世界の空港の名前は、地元出身者を名付けたユニークなものばかり。たとえば、マルコ・ポーロ空港(ヴェネチア)、マザー・テレサ空港(ティラナ)、ショパン空港(ワルシャワ)、ダヴィンチ空港(ローマ)。最近では、2001年ジャズのルイ・アームストロング空港(ニュー・オーリンズ)、2002年ビートルズのジョン・レノン空港(リバプール)、2003年日本にも初めて高知龍馬空港が誕生した。

そして、サッカー選手の名前が登場する。1960年代にマンチェスター・ユナイテッドの黄金期を築き、北アイルランド代表を初めてワールドカップに導いた長髪の選手。彼が旅立った翌2006年に、出身地のベルファスト・シティ空港にジョージ・ベストの名が冠された。 わが国でも、スポーツ選手や監督の名を地域のいろいろな場面に残せないだろうか。クラブが百年を超えて長い歴史を歩み続けるとき、名選手を直接知る人も語れる人も世を去っていく。肉体は失せても、スポーツが文化として成熟し、その名が地域の誇りとしてみんなの日常の中にあるかぎり、いつまでも語り継がれる伝説となるだろう。