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第17節 6.1(土) 15:00KO 国立競技場 鹿島vs横浜FM 国立競技場に10,000名様無料ご招待
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コラム

青山 知雄の悠々J適

2015/3/26 19:53

犬の恩返し~清水、松本への感謝を胸に~(♯4)

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むかしむかし――今からちょっとだけむかし――あるところにオレンジ色のユニフォームに憧れるサッカー少年がいました。

清水エスパルスというオレンジ色のユニフォームを身にまとった選手たちは当時、日本平という小高い丘の上にあるスタジアムで輝かしいばかりの光を放ち、“サッカー王国・静岡”を代表するクラブとしてJリーグでステージ優勝を成し遂げたりしていました。

のちに「ワンちゃん」というニックネームで呼ばれることになる犬飼智也少年は、清水のジュニアユースに入り、すくすくと成長してユースチームへと昇格します。そしてカクテル光線に照らされたスタジアムでボールボーイを務め、間近でオレンジ色のユニフォームが躍動する姿を見守り、胸の内に秘めた憧れを強くしていきました。

「いつの日か、僕もあのユニフォームを着て、満員の日本平でプレーしたい」

そんな思いで日々の練習に取り組んでいました。

当時ユースでプレーしていた犬飼を大榎監督が見守っていた(2014年10月22日撮影)
当時ユースでプレーしていた犬飼を大榎監督が見守っていた(2014年10月22日撮影)

「ワンちゃん」の成長を支えたユースチームを率いたのは大榎克己。現役時代に“清水三羽烏”として名を馳せ、今は清水のトップチームで指揮を執る監督です。彼は少年が持つ技術や体格の良さ、フィジカルの強さに可能性を見いだし、「かなりちゃらんぽらんなところがあった」というプレーの軽さを指摘して、一つひとつのプレーに対するこだわりを説きながら「しっかりプレーしろ」と厳しくも温かい声を掛け続けました。そして成長を促すために期待を込めてキャプテンマークも託しました。

2012年には晴れてトップチームへ昇格して開幕戦でベンチ入り。センターバックとサイドバックができる選手として期待を集め、8月にはエコパで行われた浦和レッズ戦で右サイドバックとしてJ1デビューを飾ります。ところがこの試合でピッチに立ったのは前半だけ。ハーフタイムに悔しい交代を余儀なくされると、同年のリーグ戦出場ありませんでした。そして翌年のヤマザキナビスコカップは第1節から先発出場しながら、第2節のジュビロ磐田戦を1-5と落としたことで大きく評価を落とし、出場機会を完全に失ってしまいました。

デビュー戦は前半だけのプレーにとどまった犬飼(2012年8月25日撮影)
デビュー戦は前半だけのプレーにとどまった犬飼(2012年8月25日撮影)

「このままではダメだ」

そう考えたワンちゃんは、愛する清水から武者修業に出ることを決意しました。行き先は信州・松本。「片道切符になるかもしれない。もうエスパルスには帰れないかもしれない」と強い危機感を抱き、練習参加から期限付き移籍を勝ち取った彼を待っていたのは、反町康治監督の厳しい指導でした。

松本山雅FCは「技術がなければ走るしかない。実力で劣るなら常に120パーセントの力を出し続けなければ勝てない」と考える指揮官に導かれ、J2参入2年目ながらハードワークを徹底して上位進出を見据えていたクラブ。20歳を迎えたワンちゃんも欠点を徹底的に指摘され、ユース時代と同じように「しっかりやれ」と厳しく言われ続け、試合の勝敗にかかわらず記者会見ではいつも槍玉に上げられてました。

反町監督の厳しい指導は、犬飼に対する期待の表れだった(2014年4月13日撮影)
反町監督の厳しい指導は、犬飼に対する期待の表れだった(2014年4月13日撮影)

でも、すべては期待の裏返しでした。反町監督についていくことで、もともと自信があったヘディングの強さに加えて球際の強さや圧倒的な運動量を手にすると、3バックの左ストッパーとしてレギュラーに定着。一気にチームに欠かせない存在へと成長し、明るいキャラクターと空中戦の強さ、さらには折を見た攻撃参加でサポーターから人気を得ていきます。

迎えたシーズン最終戦、松本が勝ち点1が足りずにJ1昇格プレーオフ進出を逃すと、古巣から復帰の話が届きました。でも、そこで彼が選んだ答えは、「もう一年、山雅でやりたい」というものでした。わずか半年という期間だけど、とても温かく迎えてもらった松本。チームも街もサポーターも大好きになり、選手として心身ともに成長することができた。でも、まだ足りない。自分の力でもっとチームを強くしたい――。

決意の2014シーズン、チームがJ1昇格へ向けて突き進む中、ワンちゃんはリーグ戦と天皇杯に全試合フル出場。大事な場面でゴールを決める勝負強さも見せて、「J1昇格」という悲願成就に一役買ったのです。すっかり青年になったワンちゃんは、表情からもピッチ上の立ち居振る舞いからも自信が滲み出るようになっていました。

松本ではレギュラーに定着し、中心選手としてプレー(2014年7月5日撮影)
松本ではレギュラーに定着し、中心選手としてプレー(2014年7月5日撮影)

「ずっと試合に出てJ1昇格も味わいましたし、松本での一年半はすごく自信をつけさせてもらった。松本へ行く前と比べたら、全部のレベルが上がった。それを自分で言えることって、なかなかないと思うんですよ。体も大きくなりましたし、自信を持って相手にも当たることができる。ビルドアップや攻撃参加も好きだし、それも自信をもってやれているからうまくいく。本当に自信がついたことが一番大きかった」

そしてまた、頭を悩ませる時期がやってきました。清水に戻るのか、松本に残るのか。一年前に期限付き移籍の期間延長を決断したことは自分自身でも「正解だった」と思っていました。でも、ワンちゃんにはずっと気になっていることがありました。

憧れだったオレンジ色のユニフォームが輝きを失いつつあったのです。

その年、松本の街が初のJ1昇格で大きく盛り上がる一方、古巣の清水は失点を重ねて最終節まで苦戦を強いられ、ギリギリのところで残留争いを勝ち抜くというシーズンを送っていました。

松本に残れば慣れ親しんだ戦術とメンバーで主力選手としてプレーできる可能性は高いけれど、清水に戻ればすべてがイチからのスタートです。しかも自分を厳しく伸ばしてくれた反町監督から直々に「残ってほしい」という言葉をもらっていました。

ついに決断の時が来ました。ワンちゃんが導き出した答え。それは清水への復帰でした。

「僕は静岡で育ったし、ジュニアユースからずっとトップでやることを目標にしてきました。自分がボールボーイをしている時のエスパルスは本当に強かった。やっぱりエスパルスは強くなければいけないと思うんです。自分にとって日本平は特別な場所。エスパルスを間近で見てプロになりたいと思ったし、原点でもある。だから自分の力でもう一度エスパルスを強くしたいんです。しかも克己さんにはユース時代に3年間教えてもらいましたし、『監督を勝たせたい』という思いは本当に強いですから」

プロサッカー選手として生んでもらい、幼少期まで育んでくれたのが清水だとすれば、大きく育ててもらったのは松本。しっかりと成長させてもらった松本にはクラブにも、チームにも、サポーターにも、感謝の気持ちしかありませんでした。でも、ワンちゃんは原点に立ち返って大きな決断を下したのです。松本の反町監督からは「お前ならちゃんとやればどこでも試合に出られるだろう」と励ましてもらい、清水の大榎監督は「ユース時代から高さは持っていたし、それが洗練されてきて、メンタルが安定して強くなった。本当にたくましくなった」と教え子の成長に目を細めます。

そしてワンちゃんは覚悟を決めて言いました。「松本で育ててもらったことは、ここで結果を出すことが恩返しになると思うんです。清水では年下の選手も多いから、ディフェンス陣のリーダー的存在にならなければとも思っています。とにかく松本で得た120パーセントの力で戦うことを清水でもやっていきたい」と。

古巣に舞い戻った今シーズン、ワンちゃんにはエスパルスを強くしたいという大目標以外に実現したいことがありました。それがチームで開幕からレギュラーを奪い、第3節で対戦する松本戦に出場することでした。左サイドバックとして先発出場した鹿島アントラーズとの開幕戦は、彼にとって初めてリーグ戦で立つ日本平のピッチ。ここを勝利を飾り、続くアルビレックス新潟戦を無失点で乗り越えて、目標の第3節を迎えました。

松本戦では先発出場し、気迫のこもったプレーを披露した(2015年3月22日撮影)
松本戦では先発出場し、気迫のこもったプレーを披露した(2015年3月22日撮影)

でも、松本に自らのプレーと結果で恩返しすることはなりませんでした。試合は0-1で敗れ、昇格初年度の相手に記念すべき初勝利を献上してしまったのです。

ただ、松本で身につけた運動量はしっかりと表現しました。このゲーム、清水で最も長い11.95キロという距離を走ったのがワンちゃんで、両チームを合わせても2位。反町監督の教えをしっかりとピッチで表現したとも言えます。「開幕から負けていなかったとはいえ、まだ本当に強くなったわけではないですからね。今日は勝って松本に恩返しがしたかった。でも、自分の持ち味は出せたと思うし、これから結果を残していくことが恩返しになる。まだまだやらなきゃいけないことはたくさんありますから」と悔しさを胸に前を向いていました。

松本で可愛がってもらった田中隼磨は清水戦後に言いました。

「ワンはもっとやらなければならない。チームのためにも日本サッカーのためにも。それだけのことができるヤツだから」

オレンジ色のユニフォームを着て、満員の日本平でプレーする夢は叶えました。でも、その夢はあくまで通過点でしかありません。そう、清水にも松本にも、ワンちゃんの恩返しは始まったばかりなのです。