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特別対談「令和の日本サッカー」田嶋幸三JFA会長 × 村井満Jリーグチェアマン
田嶋幸三JFA会長 × 村井満Jリーグチェアマン

プロ化に始まったサッカーの平成史は、Jリーグ開幕からドーハの悲劇を経て、FIFAワールドカップ初出場、ワールドカップ開催と
さまざまなドラマを刻んできた。令和という新しい時代を迎えた日本サッカー界をどのような時代にしていくのか――。
田嶋幸三JFA会長と村井満Jリーグチェアマンが満を持して登場。日本サッカーの発展を担うトップ同士の対談をお送りします。
(6月13日、JFA会長室にて)

特別対談「令和の日本サッカー」田嶋幸三JFA会長 × 村井満Jリーグチェアマン

――平成の時代をどのように振り返りますか?

田嶋まず我々の夢だったJリーグが開幕したことですね。僕は国立競技場でヴェルディ川崎対横浜マリノスの開幕戦のテレビ解説をしていたのですが、オープニングセレモニーを見て思わず泣いてしまいました。「自分たちが夢見ていたことがこんなに華々しく実現したんだ」と、今も脳裏に鮮明に焼き付いています。その5カ月後には“ドーハの悲劇”がありました。昭和の時代には全く出られるなんて思いもしなかったワールドカップが手に届きかけた。平成30年のスタートを物語るような出来事だったと思っています。

村井私は、開幕戦のチケットを手に入れようと何枚もハガキを書いて応募しました。結局当たらず、近所の人が行って持ち帰ってきたパンフレットの匂いを嗅いだりして(笑)、本当にプロ化が実現したんだと実感しました。(日本がワールドカップ初出場を決めた)ジョホールバルには0泊3日で応援しに行きました。Jリーグは10クラブから始まって、今では55クラブまでできました。平成の30年、Jリーグでいうと26年ですが、根っこを広く張ったという感じですね。

――Jリーグのクラブが増えたことは、選手育成などサッカー界全体に大きな影響を与えました。

田嶋ピッチが増えたこと、スタジアムができたことは大きな進歩でした。それにJリーグは、各クラブに対してU-12やU-15、U-18のチームを持たなければならないという条件をつけ、選手育成が図られました。それと、プロチームの監督にはS級ライセンスを持たなければならないと言ってくれたこと。川淵(三郎)さんが明確な理念を掲げて進めてきたことが、日本のサッカーの大きな助走になりました。

――2002年のワールドカップについてはどのような思い出がありますか?

田嶋平成のはじめは、ワールドカップ招致とプロ化を車の両輪にやってきたわけですが、1998(平成10)年に初出場が叶ったことで30年の短い時間でワールドカップに6大会連続での出場につながったと思っています。

村井フランス大会と日韓大会を経験したことで日本人選手が世界のトップリーグを目指すようになり、また一方で、世界の名プレーヤーが日本に来るような動きが広がりましたね。調べてみたら、これまでJリーグで延べ1300人ほどの外国人プレーヤーがプレーしましたが、そのうち360人くらいが各国の代表選手です。また、中田英寿選手から始まって一気に世界のトップリーグでプレーする選手が増えた。日韓以降は、「個」のレベルで世界を目指すというのが加速しました。

特別対談「令和の日本サッカー」田嶋幸三JFA会長 × 村井満Jリーグチェアマン

――令和のスタートは、東京オリンピックではないでしょうか。JFAとJリーグの令和最初の仕事となるのではないでしょうか。

田嶋男女共にメダルを取ることが目標です。女子は、金メダル。地元でやるオリンピックですから、それくらいの意気込みがないと!

田嶋シーズン中にもかかわらず、Jクラブや大学、高校にはFIFA U-20ワールドカップ、トゥーロン国際大会、CONMEBOLコパアメリカといった大会に選手を派遣してもらい、本当に感謝しています。いずれもオリンピックにつながる選手たちが多く招集されています。オーバーエイジに関しては来年に入ってからになると思いますが、年末ぐらいからは森保一監督がオリンピックチームを本格的に立ち上げます。Jリーグなどの協力もあって、現在、多くの選手たちが国際経験を積んでいます。日本人にとってオリンピックは特別な大会ですので、全力でメダルを取りにいきます。是非、多くの方に期待してほしいですね。

村井Jリーグが中核を担うくらいの覚悟で臨みたいと思っています。メダルをもらう場所は真ん中でもらいたいですね(笑)。

村井実は先日の実行委員会で「村井さん、田嶋さんと一緒に金メダルを取ると宣言してくださいよ。そうするとみんな意気が上がって全体が盛り上がるから」と言われました。それくらい各クラブが全力で考えていてくれているということですよね。

特別対談「令和の日本サッカー」田嶋幸三JFA会長 × 村井満Jリーグチェアマン

――近年、視聴環境がどんどん進化してきています。新しい技術革新にサッカー界はどう取り組んでいるのでしょうか。

村井番組をインターネット配信するような動きが出てきて、ロシアワールドカップではNHKが常時同時配信を行いましたね。5G(第5世代移動通信システム)などの通信環境が整ってくれば、常に生活の中に映像が溶け込んできます。いつでもどこでも、何度でも見られる。そこに適応していくことが必要だと思います。スポーツは、結果を知ってから観るのと、同時に観るのとでは全然気持ちの入り方が違います。インターネット配信のサービスは大変重要です。インターネットで話題になったことがテレビで取り上げられ、一気に広まる相乗効果も期待されます。いろいろなニーズに応えられるように我々も対応していくつもりです。

村井Jリーグを観てもらうだけでなく、お気に入りのJクラブに登録すると個別の情報が届くJリーグIDというものがあり、JFAと連携して登録会員に向けて案内を出したりもしています。JFAとJリーグが個人データを共有しながらサービスのレベルを上げていくことに着手しています。いろんな意味でサッカーを普及し、関心度を上げていくための取り組みをしています。

田嶋DAZNが出現してどこでもJリーグの試合が見られるようになったのは時代の趨勢ですね。2022年のワールドカップ招致のプレゼンでは、ピッチ全体を俯瞰して撮影した映像を3Dで再現する装置というものを提案しましたが、それが今はもうできるわけです。そういう時代になったんだと思う一方で、地上波のテレビ放送のようにお金を払わなくても見られるユニバーサルアクセス権を守ることも僕たちの責任としてやらなければならない。

田嶋サッカーの普及など、いろんな角度で考えていかなきゃいけないと思っています。Jリーグがトライしてくれていることはものすごく参考になっています。

特別対談「令和の日本サッカー」田嶋幸三JFA会長 × 村井満Jリーグチェアマン

――サッカーファミリーに対してメッセージをお願いします。

田嶋SAMURAI BLUE(日本代表)に関しては、なんとか次のステージに乗りたい。昨年のロシア大会ではベスト8にあと一歩届きませんでしたが、令和の時代になんとか実現したいと思っています。なでしこジャパン(日本女子代表)は常にベスト4に入るくらいの気持ちでやってほしいですね。

田嶋育成や普及に関してはインフラの整備もすごく重要だと考えていて、我々は今47都道府県にフットボールセンターを作っています。みんながサッカーを楽しめる環境を整えないといけない。トップレベルを強化していくことと、誰もがサッカーをやれるグラスルーツの環境を整備していくこと。これはJFAがやらなければならないことだと考えています。

村井AIやIoTが発達し、生活の隅々にテクノロジーが行き渡っていくと、失敗を恐れるようなことになってしまわないか心配しています。足を使うサッカーは失敗の多いスポーツです。でも、トレーニングで克服し、立ち上がっていく様を見せられるのはサッカーの良いところなんじゃないかなと思うんです。こういう時代だからこそ、失敗を恐れない姿を子どもたちやいろんな人たちにもっと見てもらいたい。そういうことを地域と接しているJクラブがコミュニケーションをもっとしてほしいと思っています。