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コラム

百年構想のある風景

2015/1/30 10:00

広場

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大住良之さんのコラム『芝ひろば』のファンだった。広場といえば、世界のサポーターがアウェイの町に足を踏み入れると、まず訪れる場所の一つ。ピアッツァ(伊)、パレ(仏)、プラッツ・マルクト(独)、プラザ(英)などの名で親しまれる、街のシンボルである。 ローマ時代には、ここで政治、商業、行事が行われた。今も、おしゃべりを楽しむ市民の居間であり、その話題は政治・経済からスポーツ・恋愛相談までと多岐にわたる。最大は、市庁舎前にある。まちの一大事には集会場に、めでたい時にはお祭り会場に変わる。

週末、市場(いちば)として大勢の市民でにぎわう日常は、居間のみならず台所であり、今も昔も変わらない。ドイツ西部のBottropの市(いち)にはサッカーグッズの屋台があった。ブラブラするだけでウキウキしてくる。 テラス文化の欧州では、FIFAワールドカップ期間中は、街の広場がパブリックビューイングの会場になる。万人単位のファンで埋め尽くされ、まるで映画の革命前夜シーンと見まがう高揚をみせる。 わが国にも、子どもたちの広場が、街なかにたくさんあった。通り、路地、空き地、そこに行けば、通う学校や学年が異なれども、スポーツや遊びを通じてすぐに仲間に入ることができた。三角ベースの野球、地形や樹木に合わせてピッチやゴールに見立てたサッカーの1点に一喜一憂したものだ。広場は、想像力豊かな遊び場、たまり場だった。 やがて、人口の増加や車社会の波に呑まれて広場は消えて行く。そんな想い出を置き去りにした大人たちは、空き地の本来の価値を忘れて、人口減少時代を迎えた今も、すぐさま何かを建てようとする。

2006年4月、北九州市は街なかにある市役所前の跡地を、市民の憩いの場として、思い切って遊具もベンチも何もない"大芝生広場"にした。平日にはサラリーマンやOLが昼食や休息に、週末になると親子連れがピクニックやボール遊びに興じる光景には、人として精神の自由がある。 子どもの頃からスポーツを楽しむ考え方を育てよう、スポーツをエンジョイする組織や施設を全国につくろうと、20年前にJリーグは船出した。この夢を確かにするのは、黄金のトライアングル(三位一体)の実現である。行政(自治体)、地域社会(市民)、企業の三者が手を取り合った三角形の内側に、"クラブ"ができる。 クラブチームの一点に一喜一憂する大勢の熱意が、みんなの心をひとつに、チカラをひとつにするだろう。一人ひとりの心の中に、人と手を取り合う余裕とひろがりが生まれる。大切なことが、広場からはじまる。