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2023年4月21日(金) 08:00

藤本憲明にとって鹿児島ユナイテッドとは? 「成し遂げたいのは昇格、優勝の先の未来」

藤本憲明にとって鹿児島ユナイテッドとは? 「成し遂げたいのは昇格、優勝の先の未来」

“藤本憲明完全移籍加入”― 今年1月リリースされたこのニュースに心踊るサポーターは多かったことだろう。
2016・2017シーズン鹿児島に所属し2年連続J3リーグ得点王に輝く活躍を魅せた鹿児島のシンボル的選手だったがJ1・J2のカテゴリーを経て鹿児島に戻ってきた。
シーズン序盤怪我に悩まされたが、第7節テゲバジャーロ宮崎戦で白波スタジアムのピッチに立ちサポーターから大きな声援が送られた。
改めて藤本憲明とはー。その魅力と歴史に迫る。

――前節SC相模原戦!2対1で勝ちました!試合を振り返っていかがでしたか?

4月16日の明治安田生命J3リーグ第7節宮崎戦の65分から途中出場し、鹿児島での再デビューを果たした。

久しぶりのあの感じが昔と変わってなくて、試合途中から入ったんですけど、入る前からものすごい雰囲気があったし、確実にサポーターの声が力になっているのは、間違いないなって思ったし去年は1人のサポーターとして試合を見に来ていたんですけど、凄かったですから。
鹿児島のサポーター、ファンの皆さんは、熱い人が多いんやな、というのを改めてピッチに立って感じました

――以前鹿児島に所属していた頃と変わっていましたか?
全然変わってない!!!芝生席がなくなったくらいです。
前はゴール裏の芝生席で、みんなブルーシートひいたりしてた!あそこがなくなったからかわからんけど、スタンドで見る人が多くなったから、“いっぱいいるな”って感じがしたし。

前節宮崎戦は6,232人お客さん入ってくれた。(1万人まで)あと4,000人頑張ります!!
あと4,000人はやっぱり勝ち上がっていかないと、来てくれた人たちが次に誘いづらいと思うから、勝たないといけないかなって感じですかね。

――今日は改めて藤本選手の歴史について教えてください!サッカーを始めたきっかけは?
サッカーを始めた時期は小学1年生か2年生かな。きっかけは近くに地元(大阪)にサッカーチームがあったっていうのがきっかけ。多分親は野球派やったから、もう毎晩阪神の中継流れていたから。バットとグローブも家にあったし。なんで野球をしなかったかというと、出番少ないから。サッカーって一瞬で変わっていくスポーツやし。常に全員が関わっているスポーツだからそれが面白いのもあるし、一瞬も目を離せない。
よく聞くじゃないですか。トイレに行っている間にゴール入ったとか!トイレも行けへんのが面白いところ!

――ガンバ大阪の下部組織、ガンバ堺から青森山田高校へ進みますがプロを目指したのはいつですか?
近畿大学に進んで、2年生3年生の頃は卒業したらどうしようかなというのは思う時期やったから。2年生3年生のときは、就活するか!と思っていました。

就活どんなんがいいかなって考えながら、学校生活を送っていて、きっかけって言ったらあれやけど、3年生になるとみんな就活セミナーとか始まっている→でも俺は無理やなっていう気持ちになってくる→サッカー部の公式戦もある→てなってきたら、サッカーやめられへんなって思って。サッカーやめたら何にも残らへんかもと思って、頑張ってサッカー続けるか・・・・というのがプロを目指したきっかけ!

――青森山田高時代はプロは意識していなかった!?
全然!青森山田に行ったのも監督からの勧めで練習参加したことがきっかけで行けることになったし、運が良かった!運がいいかも俺。大学も、当時は全員大学時代みたいなのがちょっと来たぐらいやって、大学も面白いかなと思って探していて、高3のときに近畿大学が関西のトーナメントで注目されていたから、近畿大学を選んで。
もうほぼ・・・その場しのぎのサッカー人生でした。学生時代は進学のためのサッカーをしてた俺は(笑)

――ターニングポイントは就活の時!ということですね!
そう。就職無理かもと思って。就活行かれへんかも、じゃあもうサッカーをするしかない!と思った所がターニングポイントかもしれないですね。

――大学卒業後佐川印刷に加入しましたね
佐川印刷に加入したのもまた奇跡で。当時は、今J3の奈良クラブがまだ関西リーグの時に奈良クラブに入ろうと思っていて。その頃たまたま高校の同級生が佐川印刷に入団が決まっていて、その友達から連絡をもらって佐川印刷の練習に誘ってもらったんです。
佐川印刷は当時JFLだったから、カテゴリが上だしという事で練習参加したら加入が決まって。JFLで4年やりましたね。

――働きながらサッカーをしていたのですよね?
午前中サッカーの練習をして、午後は梱包作業とか。出来上がったチラシだったりとか、本とかパンフレットとかを箱詰めしたり、包装したりして、出荷させる仕事をしていました。
午後は午後1時から5時半!残業もたまに。

――2015年、佐川印刷(当時のSP京都)が活動休止を発表しました。
毎年もうサッカー部もなくなるかもって言われていて。
朝グラウンドに集まって「もう来年は活動しません」という発表があって。
“これを機に移籍して頑張ろう!”と思いました。

――活動休止を発表して次の週末が鹿児島ユナイテッドFCとの試合でしたね
奄美大島での!
そのタイミングで鹿児島に入ろうという気持ちはまだなくて、
でも次加入するところを決めなあかんから、とりあえず必死。っていう感じでした。

――鹿児島のサポーターがスタジアムで佐川の選手へ「JFLの誇りSP京都俺たちは忘れない」という横断幕を掲げてくれていましたね
そんなことをしてくれるサポーターがいるんや!と思って。本当にいいサポーターだなって思いました。

――ズバリ・・その後色々なチームからオファーがあったのですか?
そうですね、三つぐらいかな。

――その中で鹿児島に決めた理由とは
J3だったということが1番かな。

――2016年〜17までユナイテッドに1度所属していますが当時の一番の思い出はなんですか?
たくさんゴールを見せられたことかな。昇格はできんかったけど。

――2年連続の得点王、ハットトリックも達成していました。鹿児島で大きく飛躍できた理由はなんだと思いますか?
ちょっと危機感があったかもしれない。佐川時代は社員だったからずっと続けられたかもしれない。サッカー辞めたら職を失うという事もないから。その点プロになったことで結果残さなかったら終了やから。という気持ちがあったかもしれないです。
でもその時はJ1行きたいとか、J2行きたいとか欲はなかった。

――鹿児島で1番思い出に残っている試合はありますか?
(2017年10月15日の明治安田生命J3リーグ対27節)北九州戦でのハットトリックかな。あの試合もドラマがあって、あの試合前半ほんま全員よくなくて。でも後半で3点取ったんですよ。ハットトリック。ハーフタイムにシャワーを浴びようかなと思ってたけど、監督の話を聞いて、シャワー浴びずにそのままピッチに戻って。3点取れて良かった!

2017年10月15日の明治安田生命J3リーグ対27節の北九州戦でハットトリックを達成。

――その後大分トリニータ、ヴィッセル神戸、清水エスパルス(期限付移籍)と上のカテゴリーで戦いました。その経験が今活きていますか?
周りの選手からの影響が大きいかな。昇格も経験したし、残留争いも経験したし。昇格のときのみんなの雰囲気だったりとか残留争いのときの、トップレベルでやってきた人たちの立ち居振る舞いとか、色々見てきたし、そういうのを経験してきたし。

清水の時はゴンちゃん(権田修一選手)が、降格しそうなときも立ち居振る舞いがしっかりしていたので。ヴィッセル神戸のときは槙くん(槙野智章選手)とかアンドレス(・イニエスタ選手)も、勝てへん時とかがそういうトップの選手たちがいろんな立ち居振る舞いを考えながらやってくれていた部分もあったから、それを自分がここ(鹿児島)でできたらいいかなっていう感じかな。

――鹿児島も今少し思うように結果が出ず苦しい時期ですが、どんな声をかけますか?
まだみんなやれる感じ、雰囲気をまだまだを持っていると思うから、そこはあまり言いすぎるとこんがらがったらいけないからあまり言わないという感じかな今は。

――ズバリ聞きますが今シーズン、鹿児島になんで再加入してくれたのですか?
実はちょっと前から思っていました。動ける間に帰りたいなと。
去年鹿児島の最終戦を見に来たときに、新スタジアムの話も聞けたし、まだまだ盛り上がれる可能性が鹿児島ユナイテッドにはあるなと思ったし。

もっともっとできることがあるな、と思ったからそれを実現させたいなと思いました。
色々な面で。サッカーもそうやけど、サッカー以外の部分でも。

――鹿児島で成し遂げたいことは何ですか?
もちろんサッカー専用スタジアム欲しいよね。
昇格、優勝。やっぱり結果を出さないとそれがないかなと思います。
昇格は言わなくてもみんな目指しているところ、優勝もそうやけど目指しているところだから。
やっぱりその先の未来を見ています。

スタジアムができたら、選手もそうやけど、見に来てくれる人もスタジアムに行く事にテンション上がるというか。
選手のモチベーションも上がるし、サポーターみんなも来るのが楽しくなるんじゃないかな。そのためにも、優勝昇格はしたいですね。
鹿児島はJ1にいてもおかしくない力は持っているので県民性としても。

今も十分盛り上がって盛り上げてくれているけど、その声援に応えないといけないと選手たちはみんな思っています。

――藤本選手にとって“鹿児島”とは

もう“感謝”しかない。助けてもらったのもあるし、いい思い出しかないから。
鹿児島に“ありがとう”って感じです。恩返ししたい!という感じかな今は。

藤本憲明の魅力は、サッカー面だけでなくこの温かい人間味。
先日もヴィッセル時代から応援してくれている、神戸の社会福祉法人へポスターやメッセージを贈り感動を呼んだ。
以前所属していきたチームや人々への愛を発信し続けるのもの人柄だと思う。
6年ぶりに鹿児島へ戻ってきた天才は鹿児島にこれから何をもたらせるのかー。
藤本と共に歩む鹿児島ユナイテッドFCの未来は明るい。

(文・有賀真姫)

有賀真姫 MAKI ARIGA
フリーアナウンサー・スポーツライター・鹿児島県サッカー協会理事
テレビ・ラジオなどの出演をはじめ、鹿児島ユナイテッドFCのスタジアムDJを務めるなどスポーツMCとしても活動。
鹿児島ユナイテッドFCの前身クラブ、ヴォルカ鹿児島・FC鹿児島時代から取材。「鹿児島サッカーマガジン☆カゴサカ 」ライター兼代表を務める。