虎視眈々 第十一回 FC東京 菅原悠太

U-21 Jリーグ

2026/8/20 (木) 17:00

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8月22日に開幕を迎える『U-21 Jリーグ』。日本サッカーの成長を加速させる、若き才能の挑戦の舞台として、新たに創設されたこのリーグには、未来の日本代表を担い得るタレントが顔をそろえることになる。そんな彼らの中から、躍動が期待されるネクストヒーローのキャリアを深掘りして、その横顔に迫る今企画の『虎視眈々』。最終回の第十一回は魔法の左足を持つFC東京のレフティアタッカー、菅原悠太の言葉に耳を傾けよう。

■“龍ちゃん=佐藤龍之介”と出会ったJACPA東京FC時代

今までも、ずっと、ずっと、磨き上げてきたこの左足で、自らの思い描いた未来を、力強く切り拓いてきた。だから、きっとこれから自分の前に立ちはだかる壁も、同じやり方でしっかりと乗り越えていく。目指すのは世界の景色。億万長者へと続く、まっすぐな一本道だ。

「U-21 Jリーグで戦うのであれば、そこで自分が一番キレのあるプレーや、結果を残すところを見せることで、大きなアピールになりますし、良い意味で明確な結果を示せる試合だと思うので、最終的にはJリーグへの出場につなげられるように、しっかり頑張りたいです」

幼いころから憧れてきた青赤のユニフォームに袖を通し、さらなる飛躍を狙うFC東京の若きレフティ。菅原悠太は怯むことなく、怖じることなく、堂々と、颯爽と、圧倒的なブレイクを遂げる瞬間を、虎視眈々と窺い続けている。

FC東京を熱心に応援していた父の影響もあって、保育園のころから夢中になっていたのはサッカー一択。既に園庭でボールを蹴っていても、駆使していたのは左足だった。

最初に入ったチームは、通っていた小学校の少年団チームに当たるFC保谷。「1年生の時に4年生のチームでやっていたので、上手かったみたいです(笑)。でも、自由にプレーできた記憶がありますし、『サッカーって楽しいんだな』ということを学んだのはそのチームでした」

3年生からはサッカースクールにも通っていたJACPA東京FCへと移籍することになったが、そのチームで知り合ったのが、のちに自分の追い掛けるべき存在となっていく、“1つ上”の先輩だ。

「龍ちゃんとは自分が2年生の時に、スクールで一緒にやって仲良くなりました。当時から年上のチームでプレーしていましたし、『凄い人がいるな』とは思っていました。もうオーラはありましたね」

菅原が親しみをこめて“龍ちゃん”と称するのは、この夏にFC東京からスペインのバレンシアCFへと移籍を果たした佐藤龍之介。小学生時代に知り合った先輩とは、そこから中学年代、高校年代、プロと常に同じチームでプレーすることになるのだから、人生はわからない。

斉藤健太コーチに鍛えられた菅原の学年は、6年時になると都内でも有数の強豪に数えられ、全日本U-12サッカー選手権大会東京都予選の準決勝では東京ヴェルディジュニアと対峙。その前年も先輩たちが同じ相手に決勝で敗れていたこともあり、リベンジマッチの意味合いも色濃く含まれた一戦だったが、結果は0-1で敗戦。以降も強烈なライバルとなっていく緑の壁は厚く、高かった。

「試合は押していたのですが、たくさんあったチャンスも決められなくて、後半の中盤ぐらいに失点して、守られて、負けました。悔しかったですね」。結果的に全国への扉は開けなかったが、高いレベルのサッカーを肌で味わったJACPAでの濃厚な時間が、今の菅原の基礎になっていることは、あえて言うまでもないだろう。

■青赤のユニフォームに覚えた確かな高揚感

中学進学時のレフティは人気銘柄。複数のJクラブからジュニアユースへの誘いがあった中で、決め手はもともと持っていた愛着だった。「確か母の日に、親が電話をもらったんです。そこでFC東京に『スカウトするので、考えてみてください』と言われて、もうすぐに返事しました」。

「FC東京はお父さんが好きだったので、小さいころにユニフォームを着ていた写真もありましたし、JACPAからも龍ちゃんとリク(川村陸空/拓殖大)がむさしに入っていて、自分も行きたいなと思っていたので、それで決めましたね」。菅原はFC東京U-15むさしに身を投じる決断を下す。

初めて自分がプレーするチームとして、青赤のユニフォームを手にした時の高揚感は、今でもはっきりと覚えている。「ユニフォームをもらったのがメッチャ嬉しくて、家に持って帰って、すぐに着てみて、父と母に見せました。2人とも『いいじゃん!』みたいに言ってくれて、メッチャ写真を撮られました(笑)。父に『FC東京の一員になれた』と報告できたことも嬉しかったですね」

U-15むさしの同期には、東京都トレセンやナショナルトレセンで一緒にプレーした選手も多く、先輩にも実力者がそろっていた中で、常に1つ上の学年のチームに“飛び級”で加わりながら、実力を伸ばしていく日々。特に成長を感じたのは中学2年時の1年間。この年には佐藤龍之介や山口太陽(栃木SC)といった先輩に交じって、夏のクラブユース選手権で日本一を達成するなど、高いレベルのステージでの実戦経験を積み重ねる。

3年に進級すると、8月にはチームメイトの尾谷ディヴァインチネドゥとともにU-15日本代表の招集を受け、『ROOKIE CUP in J-VILLAGE』に参戦。初めて日の丸を背負う重みを知ったことで、より1人のサッカー選手としての自覚も高まっていく。

U-15むさしでは藤山竜仁コーチ(現監督)に鍛えられた印象が強いという。「たぶん藤山コーチは、自分に言いすぎたらふてくされてしまうことがわかっていたのか(笑)、そこまでいろいろなことは言われなかったのですが、厳しく接してもらったことで反骨心みたいな部分が強化されたのは凄く良かったですね」。百戦錬磨の名コーチに、うまくメンタルをコントロールされながら、のびのびと成長を促してもらっていたようだ。

3年の夏からはU-18の練習にも継続的に参加。この時期のあるエピソードが、菅原の備えているパーソナリティを端的に現していて興味深い。「奥原さん(奥原崇U-18監督・当時)から練習前のミーティングで、『自分が成長できると思う人のところに行って、2人組をやれ』と言われたので、熊田(直紀)くんのところに行きました」。

「熊田くんは貫禄もありましたし、凄いシュートもいっぱい決めていたので、『ここは熊田くんだな』って。熊田くんも『いや、オレ?』みたいに驚いていましたが(笑)、一緒に2人組の練習をやりましたね。話してみたら優しくて、面白い人でした」。3歳年上の熊田直紀(いわきFC)の懐に飛び込み、しっかり受け入れられるあたりに、先輩からかわいがられるキャラクターが垣間見える。

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■奥原崇への感謝。「一番自分が上手くなれた」高1の1年間

中学卒業後は、そのままFC東京U-18へと昇格。高校年代最高峰の高円宮杯プレミアリーグでは、いきなり第3節の尚志高校戦でデビューを飾ると、翌節の青森山田高校戦ではスタメンに抜擢。上級生に囲まれた15歳は、左サイドバックの位置で着実に存在感を高めていく。

本来は攻撃的なポジションを主戦場に置きながら、左サイドバックで起用されたことも含めて、奥原の指導を受けた高校1年生の1年間は、ここまでのキャリアの中でも最も成長している実感を得られた時間だったという。

「あの時に奥原さんが使い続けてくれたおかげで、今の自分があると思います。ピッチ内ではもう“1ミリ”にこだわるところもそうですし、ピッチ外の振る舞いもよく見ている人だったので、いろいろと話してくれたことは体に染みついていますね。すべてが成長できた1年でしたし、一番自分が上手くなれたと思える1年でした」

この年のクラブユース選手権で、FC東京U-18はファイナリストに。1年生ながら全7試合にスタメン出場した菅原は、大会自体を誰よりも楽しんでいた。「トーナメントは 1つずつ勝ち上がっていけるので、それが凄く楽しくて、全然疲れなかったですし、『自分は走れる選手なんだ』と感じられた期間でした。相手の選手はほぼ3年生でしたが、『自分の力を発揮できれば通用するんだ』という自信につながったので、凄く良い大会でした」

ガンバ大阪ユースとの決勝戦は、延長戦を終えても3-3で決着がつかず、勝敗の行方はPK戦へと委ねられることに。FC東京U-18は1人目の佐藤が失敗すると、プレッシャーの掛かる2人目には、33番を背負った1年生が登場する。

「全国の決勝は2回目でしたし、『もう楽しもう』みたいな気持ちで入れました。PK戦は龍ちゃんが1人目で外しましたが、『オレが決めればいいか』って。緊張はしていなかったですし、その時はノっていたので、PK戦の前から『自分が蹴るだろうな』とは思っていましたし、自信もありました」。菅原は右スミのゴールネットへ鮮やかにボールを突き刺す。

結果的に試合には敗れたものの、大会を通してチームが纏っていった一体感を味わえたのも、今から振り返れば貴重な思い出だ。「大会前に3年生の小嶋淳平くん(東海大)が前十字をケガしてしまって、『アイツのために優勝するぞ』という想いがあって、そこでチームの一体感が芽生えたのかなって。そういうドラマみたいな流れもよく覚えています」

■父の笑顔。母の涙。追い求めてきたトップ昇格の感慨

一転して、2年生に進級した1年間は苦悩の年となる。「少し自分の力を過信していたのかなと。自信を持ちすぎたかなとは思いますね」。小さなケガも重なって欠場する試合も少なくなく、さらに同級生の尾谷がルヴァンカップでトップチームデビューを飾り、ゴールまで決めてしまったことも、菅原の焦りを煽る。

改めて自分自身を見つめ直すきっかけになったのは、年が明けて参加したトップチームの沖縄キャンプ。1週間にわたってプロの選手たちの中で過ごした時間は、自身の現在地を明確に突き付けられる、シビアな体験だった。

「キャンプはがむしゃらにやろうという想いで行ったのですが、全然ダメでした。やっぱり判断やプレースピードも全然違いますし、ボールを持ってから考えるのではもう遅くて、『ずっと頭を止めずにやらなきゃいけなかったな』ということは、終わった後に気づきました」

「あとは槙(北原槙/藤枝MYFC)がずっとキャンプに帯同して、そのままJ1にも出ていったので、もし槙以上のプレーを出せていたら、自分がJ1に出られたのかなと思いますし、JACPAの後輩でもある槙に負けたのは悔しかったですね。でも、そこで『もっと成長しなきゃ』と感じられたので、現状に気づけたことは良かったです」

3年時の試合で強く記憶に残っているのは、クラブユース選手権のグループステージ最終戦。アビスパ福岡U-18との一戦は、後半途中まで1-3と2点のリードを許す展開に。負ければ敗退というシチュエーションで、追い込まれた若き青赤の選手たちは、覚醒する。

「それまでの自分たちだったら、あのまま終わっていたと思うのですが、自分がディヴァ(尾谷)にアシストして2-3になって、自分のゴールで3-3になって、最後は5-3で勝ったんです。あの試合はみんな気持ちも入っていましたし、意地も見せられて、結果も出せたので、凄く良い試合でした」

アカデミー最後の全国大会は、準決勝で鹿島アントラーズユースにPK戦で敗れ、タイトルには一歩届かなかったが、みんなで日本一を目指して、気持ちを束ねて戦い抜いた真夏の1週間が、彼らにとってかけがえのない思い出になっていることは間違いない。

トップチームへの昇格の可否は、クラブユース選手権の少し前に言い渡された。菅原は父と母を伴って、通い慣れたクラブハウスの面談室に赴く。「その面談では『見送り』『保留』『昇格』を言われることになっていて、自分は保留かなと思っていたので、『クラブユースで頑張ろう』と考えていました」

結果は昇格。家族で追い求めてきた、その通告を受けた直後から、もう母は涙を流していたという。「母はすぐ泣いちゃう人なので、メッチャ泣いていました。父は『ヤバいね!』みたいに、口調がちょっと若返っていましたね(笑)。でも、自分の好きなチームで息子がプロになれたのは、たぶん嬉しかったのだと思います」。

「そんなに泣いてくれるほど、喜んでくれる親で良かったなと思いましたし、親孝行できたのかなって。でも、もっと活躍している姿もどんどん見せたいので、もっと頑張りたいなという気持ちにもなりました」。父の影響もあり、小さいころから憧憬のまなざしを向けてきたFC東京で、菅原はプロサッカー選手になる夢を手繰り寄せた。

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■長友佑都と森重真人。間近で見つめてきたプロの凄み

大好きで続けてきたサッカーが職業になった今、18歳の若者は自分の存在意義と向き合っている。そんな日々の中で、小さくない影響を受けてきたのは、やはり世界を知る2人のスペシャルなベテラン選手だった。

「最初のころは『プロって何なんだろう?』ってずっと思っていたんです。でも、(長友)佑都さんのストイックさを見ていたら、『ああ、これがプロなんだな』と感じましたね。あの人は本当に凄いです」。

「森重(真人)さんにはプロ1年目のころのことを聞きました。『オレは大分で天狗になってたよ』みたいな、あまり知らなかったようなことも話してくれて、嬉しかったですね。あの2人の存在はメチャクチャ大きいですし、そういう経験談も自分のためになるので、貴重な話が聞けるのは本当にありがたいなと思います」

明治安田J1百年構想リーグは、1試合だけ出場機会が巡ってきた。4月1日。地域リーグラウンドEASTグループ第11節。FC町田ゼルビア戦。FC東京が3点をリードした87分。背番号21のルーキーが、託された仕事場へと駆け出していく。

「凄く楽しみでしたし、ベンチに入れるとわかった時から、『試合に出られたら何かしてやろう』と思っていました。少ない時間でしたし、少ないタッチ数でもあったのですが、トップの試合に出られたことが嬉しかったですし、スタンドでも家族が見ていたので、ピッチに立った姿を見せられたことは良かったかなと思います」

時間にして10分弱。ゴールも、アシストも、記録したわけではない。決して派手なデビュー戦とはいかなかったものの、それでも踏み出した大きな一歩。初めてピッチで味わったプロの空気感を刺激に変え、次のチャンスを虎視眈々と狙い続けていく。

■「いつでも味スタのピッチに立つ用意はできている」

8月からは2026/27シーズンのJリーグが幕を開ける。同時に初の試みとなる『U-21 Jリーグ』も開幕を迎える中で、与えられた場所で、与えられた役割をこなし切り、自身の価値を上げることにフォーカスした菅原の覚悟は、もうとっくに整っている。

「U-21 Jリーグで試合ができることは、試合勘を落とさないうえでも大事ですし、もしそちらで出るとしたら、まだ自分に足りないところがあることがわかるので、Jリーグの試合を目指す意味で反骨心にもなりますし、それも試合で結果を出せば立ち位置が変わると思うので、良い意味でありがたいリーグができたなと思います」。

「自分の持っている左足でゴールを演出して、FC東京のチームメイトと喜びたいなということは本当にいつも思っていますし、いつでも味スタのピッチに立つ用意はできているので、いつ自分を使ってもらっても大丈夫だと言い切れるように、しっかり準備していきます」

青赤に染まったスタンドを、ひと振りのキックで熱狂に包み込む日は、きっとそう遠い先のことではない。あふれる才気に、努力する日常を掛け合わせ、確実に進化しているFC東京期待のレフティ。菅原悠太が魔法の左足を振るい、その存在を高らかに誇示する瞬間が、今からとにかく楽しみだ。

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取材・文 土屋雅史