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JFA会長 田嶋幸三 ✕ Jリーグチェアマン 村井満「令和対談」
J.League history
  1. 4
    平成
    1. 11月
      第1回ナビスコカップが開催。初代王者はV川崎。
      翌年に開幕するJリーグに参加する10クラブによって第1回大会は行われた。総当たりによるリーグ戦で予選が争われ、V川崎、鹿島、清水、名古屋の4チームが決勝トーナメントに進出。決勝はV川崎と清水のカードとなり、三浦知良の決勝ゴールでV川崎が初代王者に輝いた。
  2. 5
    平成
    1. 5月
      Jリーグ開幕。
      記念すべき初ゴールはマイヤー(V川崎)が記録。
      5月15日に国立競技場でJリーグの歴史はスタートした。記念すべき開幕戦はV川崎と横浜Mの黄金カードとなり、6万人近くの観衆でスタジアムは埋め尽くされた。V川崎のマイヤーが歴史に名を残す初ゴールを決めたが、その後、横浜Mが反撃し、ラモン・ディアスのゴールで2-1と逆転勝利を収めた。翌日にはその他の4試合が行われ、鹿島のジーコが名古屋相手にハットトリックを達成した。
    2. 7月
      鹿島がサントリーシリーズで優勝。
      開幕から快進撃を続けた鹿島が、圧倒的な強さでJリーグ元年の最初のステージを制した。なかでも際立ったのは攻撃力で、ジーコとアルシンドのブラジル人コンビが中心となりゴールを量産。18試合で41得点を記録するなど、他を寄せ付けない破壊力を示した。
    3. 12月
      V川崎がニコスシリーズで優勝。
      サントリーシリーズでは2位に甘んじたV川崎だったが、ニコスシリーズでは総合力の高さを示し、見事に優勝を飾った。三浦知良、ラモス瑠偉ら日本代表を多数そろえるタレント軍団は、18試合でわずか2敗と力強い戦いを披露。43得点・10失点と攻守両面で他を圧倒し、独走状態を保ったまま後半戦のステージを制している。
  3. 6
    平成
    1. 1月
      チャンピオンシップで鹿島を下したV川崎がJリーグ初代王者に。MVPは三浦知良(Ⅴ川崎)が受賞。
      Jリーグ元年の決着がついたのは、翌1994年の1月のこと。各ステージを制した鹿島とV川崎によって年間王者を決める戦いが行われた。2試合によって争われるチャンピオンシップはともに国立競技場で開催。第1戦は三浦知良、ビスマルクのゴールで2-0とV川崎がものにすると、第2戦は鹿島がアルシンドのゴールで先制したが、終盤にV川崎の三浦が同点ゴールを決めて、1-1の引き分けに。2戦合計3-1でV川崎が初代Jリーグ王者に輝いた。
    2. 6月
      ジーコ(鹿島)が現役引退。
      1991年に来日し、鹿島というクラブの礎を築いた“神様”が、Jリーグ2年目のサントリーシリーズ終了後に現役引退を表明した。Jリーグ初年度のサントリーシリーズ優勝に貢献するだけでなく、まだ経験の少なかった日本人選手たちにプロフェッショナルのすべてを叩き込んだ。1シーズン半プレーしたJリーグでは、23試合に出場し14得点を決めている。
    3. 7月
      三浦知良(V川崎)がジェノア(イタリア)に移籍。
      Jリーグ初代MVPに輝いた三浦知良が、アジア人として初となるイタリア・セリエAへの挑戦を決断した。移籍先はジェノアで、セリエA開幕戦でデビューを果たす。その後は限られた出場機会の中でゴールも記録したが満足のいく結果を出せず、翌年にV川崎に復帰した。
    4. 11月
      Ⅴ川崎がニコスステージで優勝
    5. 12月
      Ⅴ川崎が広島を下し、リーグ連覇を達成。MVPはペレイラ(V川崎)が受賞
  4. 7
    平成
    1. 7月
      横浜Mがサントリーシリーズで優勝
    2. 11月
      Ⅴ川崎がニコスシリーズで優勝
    3. 12月
      V川崎を下した横浜Mが初優勝。
      サントリーシリーズで優勝した横浜Mが、ニコスシリーズを制し、リーグ戦3連覇を狙うV川崎とチャンピオンシップで対峙した。第1戦をビスコンティのゴールで1-0とものにした横浜Mは、第2戦でも井原正巳のゴールを守り抜き、1-0で勝利。2試合トータル2-0とし、悲願のリーグ制覇を成し遂げた。
      ベンゲル監督率いる名古屋が躍進。
      ストイコビッチがMVPを受賞。
      過去2年のJリーグでは低迷していた名古屋だったが、フランス出身の名将がチームを蘇らせた。就任当初は結果を出せなかったが、徐々にそのスタイルを浸透させ、サントリーシリーズで4位と躍進。ニコスシリーズでは優勝争いに絡み、2位と飛躍を遂げている。チームの中心を担ったストイコビッチの存在も大きく、“ピクシー”は優勝チーム以外で初のMVPに輝いた。
      福田正博(浦和)が日本人初の得点王に。
      ラモン・ディアス、オルデネビッツと2年連続で外国籍選手が得点王に輝いていたが、Jリーグ3年目のこの年、初の日本人得点王が誕生した。浦和のエースに君臨した福田正博は開幕からゴールを量産し、チームの躍進を牽引。50試合で32ゴールを叩き込み、トップスコアラーの栄誉を手にした。得意のドリブルからフィニッシュを見舞うだけでなく、“職人”と呼ばれるほど、PKでの得点も多かった
  5. 8
    平成
    1. 3月
      初の1シーズン制でJリーグが開催。
      U-23日本代表がアトランタ五輪に出場するため、この年のJリーグには3か月の中断期間が設けられた。そのため2ステージ制ではなく、史上初となる1シーズン制でリーグ戦が行われた。これまで行われたチャンピオンシップがなくなり、代替としてリーグ戦とナビスコカップ上位2チームによる「サントリーカップ」が11月に行われた。
    2. 11月
      鹿島が初のリーグ優勝。
      MVPはジョルジーニョ(鹿島)が受賞。
      1シーズン制で行われたリーグ戦を制したのは、鹿島だった。Jリーグ初年度のチャンピオンシップでV川崎に敗れて以来悔しい思いを味わい続けたチームが、ついに悲願成就を成し遂げた。ジョルジーニョ、レオナルド(シーズン途中に移籍)とブラジル代表を擁し、柳沢敦ら若手も台頭。名古屋、横浜Fとの三つ巴の争いを制し、栄光をつかみ取った
  6. 9
    平成
    1. 7月
      鹿島が1stステージで優勝
    2. 8月
      JOMOカップで日本代表とワールドドリームスが対戦
    3. 10月
      磐田が2ndステージで優勝
    4. 12月
      磐田が鹿島を下し、初のリーグ優勝。
      MVPはドゥンガ(磐田)が受賞。
      鹿島とのチャンピオンシップをものにした磐田が、初優勝を飾った。中山雅史、名波浩ら日本代表選手を多数擁し、ブラジル代表のドゥンガの存在感も大きかった。2ndステージを制した勢いをチャンピオンシップにも持ち込み、初戦を延長の末に3-2、第2戦も1-0で勝利し、4-2で前年王者を打ち破った。
      エムボマ(G大阪)旋風が巻き起こる。
      この年のJリーグで最もインパクトを放ったのは、カメルーンからやってきたストライカーだった。圧倒的なスピードとパワーを生かしてゴールを量産。左足から放たれる強烈なシュートには、相手GKもお手上げだった。「浪速の黒豹」と呼ばれた点取り屋は、28試合で25ゴールを叩き込み、G大阪の躍進の立役者となるとともに、得点王にも輝いている。
  7. 10
    平成
    1. 4月
      中山雅史(磐田)が4試合連続ハットトリックを達成。
      磐田の中山雅史が前人未踏の記録を生み出した。4月15日のC大阪戦で5得点を決めると、続く広島戦では4得点。さらに福岡戦でも4得点を決めた中山は、札幌戦でも3ゴールを奪い、4試合連続となるハットトリックを達成した。この驚異の記録は2016年に破られるまで、ギネスブックに掲載されたほどだった。
    2. 7月
      中田英寿(平塚)がペルージャ(イタリア)に移籍。
      同年6月に行われたフランスW杯で世界にその名を知らしめた中田英寿が、3年半在籍した平塚を離れ、三浦知良に次ぐ2人目のイタリア・セリエAへの移籍を実現した。デビュー戦で2ゴールを奪う活躍を見せた中田は、ペルージャの王様として君臨。その後、イタリア国内でステップアップを果たし、イングランドへの進出も果たした。
    3. 8月
      磐田が1stステージで優勝
    4. 11月
      鹿島が2ndステージで優勝
      磐田を下した鹿島がリーグ優勝
      中山雅史が得点王とMVPを受賞。小野伸二が新人王を受賞
    5. 11月12月
      J1参入決定戦が開催
    6. 12月
      横浜フリューゲルスが合併消滅。最後の天皇杯で優勝。
      “オリジナル10”として開幕時からJリーグに参戦していた横浜Fが、出資会社の経営難により、同じ横浜市に本拠地を構える横浜Mに吸収合併された。サポーターだけでなく選手も街頭に立ち署名活動を行うなど存続を訴えたが、その想いは叶うことはなかった。合併決定後、横浜Fはリーグ戦で無敗を続け、天皇杯でも次々に対戦相手を撃破。1月1日に行われた決勝では清水を2-1と下し、クラブ最後の試合で有終の美を飾っている。
  8. 11
    平成
    1. 3月
      J1・J2の2部制を導入
      10チームで始まったJリーグだったが、年々チーム数が増加し、この年からJ1・J2の2部制が採用。J1は16チーム、J2は10チームでリーグ戦が行われた。2部制となったことで、降格・昇格のレギュレーションも導入され、優勝争い以外の注目度が高まることに。またこの年からPK戦が廃止となっている。
    2. 4月
      アジアクラブ選手権で磐田が初優勝
    3. 5月
      磐田が1stステージで優勝
    4. 10月
      JOMOカップにロベルト・バッジョが参戦。
      1995年に始まったこの大会は、Jリーグの日本人選手選抜(JAPAN DREAMS)と外国籍選手選抜(WORLD DREAMS)が対戦するもので、2001年まで毎年開催された。外国籍選手選抜にはJリーグに所属していないゲストプレーヤーも出場。1999年大会には日本でも絶大な人気を誇り、当時インテル(イタリア)に所属していたロベルト・バッジョが参戦。華麗なテクニックで日本のファンを魅了した。
    5. 11月
      清水が2ndステージで優勝
    6. 12月
      磐田が清水を下して二度目のリーグ制覇。MVPはアレックス(清水)が受賞。
  9. 12
    平成
    1. 5月
      横浜FMが1stステージで優勝
    2. 10月
      totoの販売がスタート。
      サッカーの勝敗や得点数を予想するtoto(サッカーくじ)の第1回販売が行われたのは2000年10月のこと。当初は静岡県内で試験的に販売され、翌年3月から全国販売がスタートした。スポーツ振興のための財源確保が目的で、これまでに全国各地の施設や環境整備など、その売上金がスポーツ振興に役立てられている。
    3. 11月
      鹿島が2ndステージで優勝
    4. 12月
      鹿島が横浜FMを下してリーグ制覇。
      MVPは中村俊輔(横浜FM)が受賞。
      1stステージでは8位にとどまった鹿島だったが、2ndステージに巻き返し、柏とのデッドヒートを制して優勝を成し遂げた。その勢いは横浜FMとのチャンピオンシップでも続き、第1戦はスコアレスドローに終わったが、第2戦では鈴木隆行のゴールなどで3-0と快勝。力強い戦いぶりで2年ぶり三度目のリーグ制覇を成し遂げた。
      鹿島はナビスコカップ、天皇杯も制し、史上初の3冠を達成。
      リーグ戦を制した鹿島は、天皇杯でも快進撃を続け、準決勝でG大阪を撃破すると、決勝では小笠原満男のVゴールで清水に3-2と勝利。ナビスコカップでも優勝を飾っていた鹿島は、Jリーグ史上初となる国内3冠を達成した。
  10. 13
    平成
    1. 7月
      磐田が1stステージを制覇
      ストイコビッチが現役引退
      小野伸二がフェイエノールト(オランダ)に移籍
      浦和で確固たる地位を築き、日本代表でも活躍していた当時21歳の小野伸二が、1stステージ終了後に、オランダの名門フェイエノールトへ移籍した。新天地ではすぐさまレギュラーを掴み、同シーズンにUEFAカップ制覇に貢献している。
      稲本潤一(G大阪)がアーセナル(イングランド)に移籍
      小野の同級生でもある稲本潤一も、この年に欧州進出を実現した。行先はイングランドの強豪アーセナル。同年6月に日本で行われたコンフェデレーションズカップのプレーをベンゲル監督に評価され、G大阪からの期限付き移籍で海を渡った。また小野、稲本だけでなく、同じ“黄金世代”の高原直泰も、この年にボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)に移籍するなど、日本人選手の海外移籍ラッシュが加速していった。
    2. 11月
      鹿島が2ndステージで優勝
    3. 12月
      磐田を下した鹿島が2連覇を達成。MVPは藤田俊哉(磐田)
  11. 14
    平成
    1. 7月
      中村俊輔(横浜FM)がレッジーナ(イタリア)に移籍
      メンバー入りが有力視されていた日韓ワールドカップの日本代表から落選し、悔しい思いを味わった中村俊輔だったが、7月にイタリアのレッジーナへの移籍を決断。卓越したテクニックとプレースキックを武器にチームの中心として活躍。その後、スコットランド、スペインリーグでもプレーし、2010年に横浜FMに復帰した。
    2. 8月
      磐田が1stステージで優勝
      中山雅史、名波浩、ボカ・ジュニアーズから復帰した高原直泰ら、リーグ屈指のタレントを揃える磐田が、ステージ優勝を成し遂げた。圧巻の攻撃力を武器に、ワールドカップ中断明け後に一気に加速。追いすがる横浜FMを振り切った。
    3. 11月
      磐田が2ndステージを制し完全優勝を達成。
      MVPは高原直泰(磐田)が受賞
      2ndステージでも磐田の強さに陰りは見えなかった。序盤こそやや躓いたが、終わってみれば2位のG大阪に勝点8差をつける余裕のレースだった。2つのステージをともに制し、史上初となる完全優勝を成し遂げた。この年のベストイレブンにはMVPと得点王に輝いた高原をはじめ、じつに磐田の選手が7人も名を連ねた。
  12. 15
    平成
    1. 8月
      横浜FMが1stステージで優勝
    2. 11月
      浦和がナビスコカップで初優勝
      “オリジナル10”のメンバーでありながら長く無冠が続いた浦和に、ついに歓喜の瞬間が訪れた。グループステージを磐田に次いで2位で通過すると、準々決勝ではFC東京、準決勝では清水を撃破し、決勝に進出。決勝ではエメルソンの2ゴールなどで、鹿島を4-0と一蹴し、悲願の初タイトルを手にしている。
      横浜FMが2ndステージを制し完全優勝を達成。
      MVPはエメルソン(浦和)が受賞
      岡田武史監督を迎えた横浜FMが、前年の磐田に次いで完全優勝を達成した。磐田を勝点1差で上回り1stステージで優勝すると、2ndステージでは優勝を争っていた磐田を最終節の直接対決で撃破。同じく優勝の可能性があった鹿島が他会場で引き分けたことで、優勝が決定。史上稀にみる大混戦を制した。
  13. 16
    平成
    1. 3月
      森本貴幸(東京V)が最年少出場記録を更新。
      怪童と呼ばれた森本貴幸がJリーグデビューを果たしたのは、2004年3月13日の磐田戦だった。この時、森本は卒業を控えた中学3年生で、Jリーグ最年少出場記録を15歳10か月6日に更新した。それから約2か月後の市原戦で、森本は15歳11か月28日というJ1最年少得点記録も作っている。
    2. 6月
      横浜FMが1stステージで優勝
    3. 11月
      浦和が2ndステージで優勝
      FC東京がナビスコカップで初優勝。
      2000年にJ1に昇格したFC東京が、クラブ史上初となるタイトルを獲得した。原博実監督が率いるチームは攻撃スタイルを前面に押し出し、快進撃を続けた。準々決勝のG大阪戦、準決勝の東京V戦では、ともに4ゴールを奪取。連覇を狙う浦和との決勝では早々に退場者を出す苦しい展開となったが、粘り強く耐え凌ぎスコアレスで延長を含めた120分を終えると、PK戦の末に浦和を撃破。PKで見事なセーブを見せた守護神の土肥洋一がMVPに輝いている。
    4. 12月
      横浜FMが浦和を下し、リーグ制覇。MVPは中澤佑二(横浜FM)
  14. 17
    平成
    1. 1シーズン制を導入
      1996年の1シーズンを除いて2シーズン制で行われてきたJリーグだったが、この年からチーム数が18に増加し、1シーズン制が採用された。チャンピオンシップは行われず、シーズンを通して最多勝点を獲得したチームが優勝となる明確な形に。欧州主要リーグをはじめ世界各国で主に採用されているワールドスタンダートなレギュレーションとなった。
    2. 11月
      オシム監督が率いる千葉がナビスコカップ初優勝
      革新的なサッカーでJリーグに旋風を巻き起こしたイビチャ・オシム監督率いる千葉が、悲願の初タイトルを獲得した。グループリーグを首位で通過した千葉は、準々決勝では磐田、準決勝では浦和をともに打ち合いの末に下すと、決勝ではG大阪をPK戦の末に撃破。阿部勇樹をはじめとするオシムチルドレンが躍動し、PK勝利の立役者となった守護神の立石智紀がMVPに輝いた。
    3. 12月
      最終節までもつれ込んだ激闘を制し、G大阪が初優勝。MVPはアラウージョ(G大阪)が受賞
      1シーズン制となったJ1リーグは、最後まで予想のつかない大混戦となった。5チームが優勝の可能性を残して迎えた最終節。前節まで首位のC大阪は勝てば優勝できる状況だったが、アディショナルタイムのまさかの失点でFC東京とドロー。一方、2位のG大阪は川崎Fを4-2と撃破。最後の最後でC大阪をかわし、初のリーグ制覇を成し遂げた。川崎F戦でも2ゴールを決めたアラウージョが、MVPと得点王に輝いている。
  15. 18
    平成
    1. 1月
      小野伸二が浦和に復帰
      2001年にフェイエノールト(オランダ)へ移籍した小野伸二が、5シーズンぶりに浦和に復帰した。UEFAカップ優勝など欧州で輝かしいキャリアを積んだ天才の帰還は、悲願のリーグ制覇を狙う浦和にとっての最大の補強となった。
    2. 11月
      ナビスコカップで千葉が2連覇を達成
      前年にナビスコカップ初優勝を飾った千葉が、この年も快進撃を続けた。イビチャ・オシム監督が日本代表監督に就任したことで、シーズン途中に体制が変更。息子のアマル・オシム監督の下で決勝トーナメントを勝ち上がり、ファイナルでは鹿島に2-0と快勝。先制ゴールを決めた水野晃樹が大会MVPに輝いている。
    3. 11月
      ホームゲーム無敗を達成した浦和が悲願のリーグ初優勝。MVPは闘莉王(浦和)が受賞
      豊富なタレントを擁した浦和が、悲願のリーグ制覇を成し遂げた。特筆すべきはホームでの強さで、シーズンを通して一度も負けることはなかった。優勝をかけたG大阪との最終節でも、ワシントンの2ゴールなどで3-2と勝利。埼玉スタジアム2002に詰めかけた大観衆とともに歓喜を爆発させた。リーグ最少失点の堅守を支えた田中マルクス闘莉王がMVPに輝いている。
  16. 19
    平成
    1. 11月
      G大阪がナビスコカップ初優勝
      2005年にリーグ優勝を成し遂げたG大阪だったが、同年のナビスコカップでは千葉に敗れて準優勝に終わっていた。その悔しさを晴らすべく2年ぶりにファイナルの舞台に勝ち上がると、決勝では川崎Fと対戦。試合を決めたのは売りだし中の安田理大だった。55分にこぼれ球を押し込んで、先制ゴールをマーク。この1点を守り抜き、大会初優勝を飾った。
    2. 11月
      浦和が初のアジア王者に輝く
      圧倒的な強さで前年のリーグ王者に輝いた浦和は、初参戦となったアジアの大会でも力強い戦いを披露。グループステージを危なげなく勝ち上がると、準々決勝で全北現代、準決勝で城南一和と韓国勢を立て続けに撃破。決勝ではイランのセパハンを2戦合計3-1と下し、日本勢として初のACL優勝を成し遂げた。
    3. 12月
      鹿島が逆転でリーグ制覇。MVPはポンテ(浦和)が受賞
      アジアを制した浦和がリーグ戦でも強さを示していたが、ACLとの両立による疲労からか、シーズン終盤に突如失速。その間隙を縫うように終盤に勢いを増した鹿島が一気に加速。第26節から7連勝を達成すると、第33節には浦和との直接対決をものにして、勝点1差に詰め寄った。そして迎えた最終節、浦和がすでに降格が決まっていた横浜FCに敗れたのに対し、鹿島は清水に3-0と快勝。リーグ史に残る大逆転劇で、6年ぶりのリーグ優勝を飾った。
  17. 20
    平成
    1. 1月
      本田圭佑(名古屋)がVVVフェンロ(オランダ)に移籍
      高卒1年目から開幕スタメン出場を果たすなど、Jリーグでもインパクトのある活躍を見せていた本田圭佑。名古屋で3シーズンを過ごしたのち、北京五輪を夏に控えたこの年に欧州進出を果たした。この移籍をきっかけに日本を代表する選手へと成長を遂げていった。
    2. 11月
      大分がナビスコカップで初優勝
      森重真人、金崎夢生、清武弘嗣、家長昭博ら若きタレントを多数擁し、知将・シャムスカ監督に率いられた大分が、大躍進を遂げた。準々決勝でFC東京、準決勝で名古屋を撃破すると、決勝では高松大樹とウェズレイのゴールで、2-0と清水に快勝。九州のクラブが初めてタイトルを獲得した。
    3. 11月
      G大阪が初のアジア王者に輝く
      前年の浦和に次ぎ、G大阪がJリーグ勢として2年連続となるアジア王者に輝いた。優勝の要因は、決勝を含めた12試合で27得点を奪う圧巻の攻撃力にあった。準決勝では浦和とのJリーグ対決を制し、決勝では2試合合計5-0と危なげない戦いでアデレード・ユナイテッドに快勝。大会を通じてハイパフォーマンスを続けた遠藤保仁がMVPに輝いている。
  18. 21
    平成
    1. 11月
      経営危機に陥った大分にJリーグが6億円の融資
      スポンサーの相次ぐ撤退などで経営難に陥った大分に対し、Jリーグが合計6億円の融資を決定した。悲願の初タイトルを獲得した翌年に起きた悲劇。不安定な経営はチームにも影響を与え、この年大分はJ1で17位に終わり、J2に降格した。
    2. 12月
      鹿島が史上初の3連覇を達成。MVPは小笠原満男(鹿島)が受賞
      鹿島が史上初の3連覇を達成した。開幕から快進撃を続けたものの、シーズン終盤に失速。それでも最終盤に再び勢いを取り戻し、川崎F、G大阪との三つ巴の争いを制した。リーグ最少となる30失点の堅守が光り、鹿島らしい勝負強さも披露。チームを牽引した小笠原満男が初のMVPに輝いている。
  19. 22
    平成
    1. 7月
      香川真司(C大阪)がドルトムント(ドイツ)へ、内田篤人(鹿島)がシャルケ(ドイツ)へ、長友佑都(FC東京)がチェゼーナ(イタリア)へ移籍
      南アフリカW杯後に、若き才能が次々に海を渡った。香川真司はドイツのドルトムント、内田篤人は同じくドイツのシャルケに、長友佑都はイタリアのチェゼーナへと移籍した。3選手はいずれも新天地ですぐさまレギュラーの座を確保し、欧州における日本人選手の地位を高める役割を担った。
    2. 11月
      ストイコビッチ監督率いる名古屋がJ1初優勝。MVPは楢崎正剛(名古屋)が受賞
      就任3年目を迎えたストイコビッチ監督のもとで、名古屋が悲願成就を成し遂げた。ワールドカップ中断明け後に勢いに乗ると、他チームの躓きを尻目に独走状態を形成。第31節に湘南を下し、3試合を残して初優勝を決めた。2位のG大阪に勝点10差をつける圧倒的な強さを示しての戴冠だった。守護神の楢﨑正剛がGKとして初めてMVPを受賞した。
  20. 23
    平成
    1. 3月
      東日本大震災復興支援試合が開催。三浦知良(横浜FC)がゴールを記録
      3月11日に起きた東日本大震災から約2週間後の3月29日、日本サッカー界が復興に向けて団結した。「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」として開催された試合は、日本代表とJリーグ選抜チーム「JリーグTEAM AS ONE」が対戦。試合は日本代表が2-1と勝利したが、最もインパクトを放ったのは「JリーグTEAM AS ONE」の三浦知良だった。82分に鮮やかなゴールを決めると、お得意のカズダンスを披露。日本サッカー史に残る名シーンを生んだ。
    2. 8月
      松田直樹氏(松本)が死去
      「ミスターマリノス」として長年横浜FMの顔としてあり続けた松田直樹氏。2011年に当時JFLの松本に移籍したが、8月2日の練習中に突然倒れ、「急性心筋梗塞」のため帰らぬ人となった。34歳の若さだった。日本を代表するDFの訃報にサッカー界は悲しみに暮れた。
    3. 12月
      J1復帰1年目の柏が初優勝。MVPはレアンドロ ドミンゲス(柏)が受賞
      昇格1年目の柏が開幕から快進撃を続けた。レアンドロ・ドミンゲス 、ジョルジ・ワグネルと質の高い外国籍選手に加え、酒井宏樹ら若手も台頭。ネルシーニョ監督の下で一致団結し、連覇を狙う名古屋とG大阪を振り切って初優勝を達成。昇格1年目のチームのリーグ優勝は、史上初の快挙となった。
  21. 24
    平成
    1. 11月
      森保一監督就任1年目の広島が悲願のリーグ制覇。MVPは佐藤寿人(広島)が受賞
      長年チームを率いたペトロヴィッチ監督の後を引き継いだ森保一監督のもとで、広島が悲願成就を成し遂げた。これまでのポゼッションスタイルに加え、守備の安定も備わり、コンスタントに勝点を加算。第33節にC大阪を下して、初優勝を果たした。チームを牽引したのはエースでキャプテンの佐藤寿人。22ゴールを挙げて得点王に輝くとともに、MVPの称号も手にしている。
    2. 11月
      J1昇格プレーオフを制した大分がJ1に昇格
      この年に導入されたJ1昇格プレーオフ。J2の3位から6位のチームが残り1枚の昇格切符をかけて最後の戦いに挑んだ。初のJ1昇格プレーオフを制したのは大分だった。リーグ戦では6位だったものの、準決勝で3位の京都を下すと、決勝では終了間際の林丈統のゴールで、5位の千葉に勝利。4年ぶりにJ1復帰を果たした。
  22. 25
    平成
    1. 5月
      Jリーグ20周年試合が開催
      1993年に開幕したJリーグはこの年に20周年を迎えた。5月13日のJ1第11節に「Jリーグ 20thアニバーサリーマッチ」が開催。最多優勝の鹿島と、最多観客動員数を記録する浦和のカードとなった。試合は興梠慎三のゴールなどで浦和が3-1と快勝。なおこの試合で行われたセレモニーには、元浦和のポンテと元鹿島のアルシンドが登場している。
    2. 12月
      広島がリーグ連覇を達成。MVPは中村俊輔(横浜FM)が二度目の受賞
      シーズン終盤までは横浜FMが首位に立っていたが、優勝に王手をかけながら最後に失速。第33節、第34節に敗れると、土壇場で底力を発揮した広島が大逆転で連覇を成し遂げた。連覇を達成したのは史上4クラブ目。なお、横浜FMの中村俊輔が2000年以来二度目のMVPに輝いている。
  23. 26
    平成
    1. 3月
      J3リーグが開幕
      この年にJ3リーグが発足。11クラブと「Jリーグ・アンダー22選抜」を加えた計12チームによって争われた。全33節(3回戦総当たり)のリーグ戦を制したのは金沢で、J2昇格を実現。2位の長野は入れ替え戦に回ったが、讃岐に敗れ昇格はならなかった。
    2. 12月
      G大阪が天皇杯を制し、史上2クラブ目の3冠を達成
      昇格1年目のG大阪が、W杯中断明け後に勢いを加速。最終節に徳島と引き分けたものの、優勝を争う浦和と鹿島がともに敗れたため、2005年以来二度目のリーグ優勝を成し遂げた。2011年の柏に次いで、昇格1年目のリーグ優勝の快挙を成し遂げた一方、この年のG大阪はナビスコカップ、さらには天皇杯も制し、史上2チーム目の3冠も達成している。
  24. 27
    平成
    1. 3月
      2ステージ制が復活
      2005年から1シーズン制で行われていたJ1リーグが、前期・後期の2ステージ制に変更。また最大4チームによって争われるチャンピオンシップによって年間王者を決定するレギュレーションが採用された。
    2. 12月
      チャンピオンシップを制した広島が三度目のリーグ優勝。MVPは青山敏弘(広島)が受賞
      2ndステージを制した広島が年間勝点1位でチャンピオンシップに進出。浦和を破ったG大阪とファイナルを戦った。第1戦では終了間際の2ゴールで3-2と逆転勝利を収めると、第2戦では浅野拓磨のゴールで追いつき1-1のドロー。2戦合計4-3とし、2年ぶり三度目となるリーグ優勝を成し遂げた。
    3. 12月
      大久保嘉人(川崎F)が3年連続得点王に
      川崎Fに移籍した2013年に26得点を挙げて初の得点王に輝いた大久保嘉人は、翌年にも18ゴールを記録し、トップスコアラーに。そして2015年は23ゴールを挙げ、史上初となる3年連続得点王の偉業を成し遂げている。
  25. 28
    平成
    1. 3月
      J3リーグにU-23チームが参戦
      前年までJ3リーグに参戦していた「Jリーグ・アンダー22選抜」の活動が終了し、原則23歳以下の選手で編成された「U-23チーム」の参戦が決定。FC東京、G大阪、C大阪の3つの「U-23チーム」が、この年からJ3に加わった。
    2. 6月
      JリーグヤマザキナビスコカップがJリーグYBCルヴァンカップに名称を変更
      1992年に「Jリーグヤマザキナビスコカップ」として始まった伝統のリーグカップは、冠スポンサーの名称変更により、「JリーグYBCルヴァンカップ」へと大会名が変更された。
    3. 7月
      パフォームグループとの契約を締結
      JリーグがPerform Groupが提供するスポーツのライブストリーミングサービス「DAZN(ダゾーン)」との放映権の契約締結を発表。2017年より10年間、約2100億円の大型契約となった。これにより、2017シーズンより、J1、J2、J3の各リーグの全試合が、「DAZN」によって生中継されることになった。
    4. 12月
      鹿島がクラブワールドカップで2位に
      チャンピオンシップを制し、7年ぶりのリーグ王者に輝いた鹿島が、開催国枠で出場したクラブワールドカップで躍進を遂げた。準決勝で南米代表のアトレティコ・ナシオナル (コロンビア)を下し、アジア勢で初となる決勝に進出。決勝ではレアル・マドリー (スペイン)と対戦し、柴崎岳の2ゴールなどで欧州王者を苦しめたが、延長の末に2-4で敗れ、惜しくも準優勝に終わった。
  26. 29
    平成
    1. 2月
      再び1シーズン制としてJ1リーグが開幕
      2015年から採用された2ステージ制だったが、3季ぶりにJ1リーグが1シーズン制で行われることとなった。チャンピオンシップなどでメディア露出が高まった一方で、優勝争いの複雑さやスケジュール面などが、1シーズン制復活の要因となった。
    2. 3月
      三浦知良(横浜FC)が50歳で得点を記録
      この年に50歳を迎えた三浦知良が、世界にも例を見ない偉業を成し遂げた。3月12日行われた群馬との一戦で、40分にチームに勝利をもたらす決勝ゴールをマーク。自身の持つJリーグ最年長得点記録を50歳14日に塗り替えた。
    3. 4月
      久保建英(FC東京)がJリーグ最年少得点記録を更新
      中学3年生だった前年に、U-23チームの一員としてJ3デビューを果たした久保建英。高校1年生となったこの年、4月に行われたC大23との一戦で、Jリーグ初ゴールを記録した。15歳10か月11日での得点は、もちろんJリーグ最年少ゴールとなった。
    4. 12月
      川崎Fが初のリーグ制覇。MVPは小林悠(川崎F)が受賞
      鬼木達新監督を迎えた川崎Fが悲願のJ1制覇を成し遂げた。独走していた鹿島が終盤に失速した一方で着実に勝点を積み上げて、最終節を前に2ポイント差に詰め寄った。そして最終節では鹿島が磐田と引き分けたのに対し、川崎Fは大宮に快勝。鹿島に勝点で並び、得失点差で上回って、リーグ優勝を実現した。エースの小林悠が、得点王とMVPに輝いている。
  27. 30
    平成
    1. 5月
      アンドレス イニエスタの神戸加入が決定
      前年にルーカス ポドルスキを獲得していた神戸が、さらなる大型補強に打って出た。スペインの名門バルセロナで一時代を築き、スペイン代表として世界一に輝いた経験のあるアンドレス イニエスタを獲得。超ワールドクラスの加入は、神戸サポーターだけでなく、日本のサッカーファンに大きな驚きを与えた。
    2. 10月
      湘南がルヴァンカップで初優勝
      J1に復帰したばかりの湘南が、ルヴァンカップで快進撃を遂げた。プレーオフステージで仙台を下し勢いに乗ると、プライムステージ準々決勝ではでは前年王者のC大阪、準決勝では柏を撃破。そして迎えたファイナルでは、36分に生まれた杉岡大暉のゴールを守り抜き、1-0で横浜FMに勝利。曺貴裁監督の下で築かれた“湘南スタイル”で、ルヴァンカップ初優勝を成し遂げている。
    3. 12月
      川口能活(相模原)、楢崎正剛(名古屋)、小笠原満男(鹿島)らが続々と現役引退
      長く日本サッカー界を支えてきたレジェンドたちの引退が相次いだ。川口能活、楢崎正剛の2人のGKをはじめ、鹿島の象徴的な存在だった小笠原満男も21年間の現役生活に別れを告げた。他にも歴代屈指のCBである横浜FMの中澤佑二、広島一筋でプレーした森﨑和幸、千葉や熊本で活躍した巻誠一郎ら、多くのビッグネームがスパイクを脱ぐ決断を下している。