J.League history
  1. 4
    平成
    1. 11月
      第1回ナビスコカップが開催。初代王者はV川崎。
      翌年に開幕するJリーグに参加する10クラブによって第1回大会は行われた。総当たりによるリーグ戦で予選が争われ、V川崎、鹿島、清水、名古屋の4チームが決勝トーナメントに進出。決勝はV川崎と清水のカードとなり、三浦知良の決勝ゴールでV川崎が初代王者に輝いた。
  2. 5
    平成
    1. 5月
      Jリーグ開幕。
      記念すべき初ゴールはマイヤー(V川崎)が記録。
      5月15日に国立競技場でJリーグの歴史はスタートした。記念すべき開幕戦はV川崎と横浜Mの黄金カードとなり、6万人近くの観衆でスタジアムは埋め尽くされた。V川崎のマイヤーが歴史に名を残す初ゴールを決めたが、その後、横浜Mが反撃し、ラモン・ディアスのゴールで2-1と逆転勝利を収めた。翌日にはその他の4試合が行われ、鹿島のジーコが名古屋相手にハットトリックを達成した。
    2. 7月
      鹿島がサントリーシリーズで優勝。
      開幕から快進撃を続けた鹿島が、圧倒的な強さでJリーグ元年の最初のステージを制した。なかでも際立ったのは攻撃力で、ジーコとアルシンドのブラジル人コンビが中心となりゴールを量産。18試合で41得点を記録するなど、他を寄せ付けない破壊力を示した。
    3. 12月
      V川崎がニコスシリーズで優勝。
      サントリーシリーズでは2位に甘んじたV川崎だったが、ニコスシリーズでは総合力の高さを示し、見事に優勝を飾った。三浦知良、ラモス瑠偉ら日本代表を多数そろえるタレント軍団は、18試合でわずか2敗と力強い戦いを披露。43得点・10失点と攻守両面で他を圧倒し、独走状態を保ったまま後半戦のステージを制している。
  3. 6
    平成
    1. 1月
      チャンピオンシップで鹿島を下したV川崎がJリーグ初代王者に。MVPは三浦知良(Ⅴ川崎)が受賞。
      Jリーグ元年の決着がついたのは、翌1994年の1月のこと。各ステージを制した鹿島とV川崎によって年間王者を決める戦いが行われた。2試合によって争われるチャンピオンシップはともに国立競技場で開催。第1戦は三浦知良、ビスマルクのゴールで2-0とV川崎がものにすると、第2戦は鹿島がアルシンドのゴールで先制したが、終盤にV川崎の三浦が同点ゴールを決めて、1-1の引き分けに。2戦合計3-1でV川崎が初代Jリーグ王者に輝いた。
    2. 6月
      ジーコ(鹿島)が現役引退。
      1991年に来日し、鹿島というクラブの礎を築いた“神様”が、Jリーグ2年目のサントリーシリーズ終了後に現役引退を表明した。Jリーグ初年度のサントリーシリーズ優勝に貢献するだけでなく、まだ経験の少なかった日本人選手たちにプロフェッショナルのすべてを叩き込んだ。1シーズン半プレーしたJリーグでは、23試合に出場し14得点を決めている。
    3. 7月
      三浦知良(V川崎)がジェノア(イタリア)に移籍。
      Jリーグ初代MVPに輝いた三浦知良が、アジア人として初となるイタリア・セリエAへの挑戦を決断した。移籍先はジェノアで、セリエA開幕戦でデビューを果たす。その後は限られた出場機会の中でゴールも記録したが満足のいく結果を出せず、翌年にV川崎に復帰した。
    4. 11月
      Ⅴ川崎がニコスステージで優勝
    5. 12月
      Ⅴ川崎が広島を下し、リーグ連覇を達成。MVPはペレイラ(V川崎)が受賞
  4. 7
    平成
    1. 7月
      横浜Mがサントリーシリーズで優勝
    2. 11月
      Ⅴ川崎がニコスシリーズで優勝
    3. 12月
      V川崎を下した横浜Mが初優勝。
      サントリーシリーズで優勝した横浜Mが、ニコスシリーズを制し、リーグ戦3連覇を狙うV川崎とチャンピオンシップで対峙した。第1戦をビスコンティのゴールで1-0とものにした横浜Mは、第2戦でも井原正巳のゴールを守り抜き、1-0で勝利。2試合トータル2-0とし、悲願のリーグ制覇を成し遂げた。
      ベンゲル監督率いる名古屋が躍進。
      ストイコビッチがMVPを受賞。
      過去2年のJリーグでは低迷していた名古屋だったが、フランス出身の名将がチームを蘇らせた。就任当初は結果を出せなかったが、徐々にそのスタイルを浸透させ、サントリーシリーズで4位と躍進。ニコスシリーズでは優勝争いに絡み、2位と飛躍を遂げている。チームの中心を担ったストイコビッチの存在も大きく、“ピクシー”は優勝チーム以外で初のMVPに輝いた。
      福田正博(浦和)が日本人初の得点王に。
      ラモン・ディアス、オルデネビッツと2年連続で外国籍選手が得点王に輝いていたが、Jリーグ3年目のこの年、初の日本人得点王が誕生した。浦和のエースに君臨した福田正博は開幕からゴールを量産し、チームの躍進を牽引。50試合で32ゴールを叩き込み、トップスコアラーの栄誉を手にした。得意のドリブルからフィニッシュを見舞うだけでなく、“職人”と呼ばれるほど、PKでの得点も多かった
  5. 8
    平成
    1. 3月
      初の1シーズン制でJリーグが開催。
      U-23日本代表がアトランタ五輪に出場するため、この年のJリーグには3か月の中断期間が設けられた。そのため2ステージ制ではなく、史上初となる1シーズン制でリーグ戦が行われた。これまで行われたチャンピオンシップがなくなり、代替としてリーグ戦とナビスコカップ上位2チームによる「サントリーカップ」が11月に行われた。
    2. 11月
      鹿島が初のリーグ優勝。
      MVPはジョルジーニョ(鹿島)が受賞。
      1シーズン制で行われたリーグ戦を制したのは、鹿島だった。Jリーグ初年度のチャンピオンシップでV川崎に敗れて以来悔しい思いを味わい続けたチームが、ついに悲願成就を成し遂げた。ジョルジーニョ、レオナルド(シーズン途中に移籍)とブラジル代表を擁し、柳沢敦ら若手も台頭。名古屋、横浜Fとの三つ巴の争いを制し、栄光をつかみ取った
  6. 9
    平成
    1. 7月
      鹿島が1stステージで優勝
    2. 8月
      JOMOカップで日本代表とワールドドリームスが対戦
    3. 10月
      磐田が2ndステージで優勝
    4. 12月
      磐田が鹿島を下し、初のリーグ優勝。
      MVPはドゥンガ(磐田)が受賞。
      鹿島とのチャンピオンシップをものにした磐田が、初優勝を飾った。中山雅史、名波浩ら日本代表選手を多数擁し、ブラジル代表のドゥンガの存在感も大きかった。2ndステージを制した勢いをチャンピオンシップにも持ち込み、初戦を延長の末に3-2、第2戦も1-0で勝利し、4-2で前年王者を打ち破った。
      エムボマ(G大阪)旋風が巻き起こる。
      この年のJリーグで最もインパクトを放ったのは、カメルーンからやってきたストライカーだった。圧倒的なスピードとパワーを生かしてゴールを量産。左足から放たれる強烈なシュートには、相手GKもお手上げだった。「浪速の黒豹」と呼ばれた点取り屋は、28試合で25ゴールを叩き込み、G大阪の躍進の立役者となるとともに、得点王にも輝いている。
  7. 10
    平成
    1. 4月
      中山雅史(磐田)が4試合連続ハットトリックを達成。
      磐田の中山雅史が前人未踏の記録を生み出した。4月15日のC大阪戦で5得点を決めると、続く広島戦では4得点。さらに福岡戦でも4得点を決めた中山は、札幌戦でも3ゴールを奪い、4試合連続となるハットトリックを達成した。この驚異の記録は2016年に破られるまで、ギネスブックに掲載されたほどだった。
    2. 7月
      中田英寿(平塚)がペルージャ(イタリア)に移籍。
      同年6月に行われたフランスW杯で世界にその名を知らしめた中田英寿が、3年半在籍した平塚を離れ、三浦知良に次ぐ2人目のイタリア・セリエAへの移籍を実現した。デビュー戦で2ゴールを奪う活躍を見せた中田は、ペルージャの王様として君臨。その後、イタリア国内でステップアップを果たし、イングランドへの進出も果たした。
    3. 8月
      磐田が1stステージで優勝
    4. 11月
      鹿島が2ndステージで優勝
      磐田を下した鹿島がリーグ優勝
      中山雅史が得点王とMVPを受賞。小野伸二が新人王を受賞
    5. 11月12月
      J1参入決定戦が開催
    6. 12月
      横浜フリューゲルスが合併消滅。最後の天皇杯で優勝。
      “オリジナル10”として開幕時からJリーグに参戦していた横浜Fが、出資会社の経営難により、同じ横浜市に本拠地を構える横浜Mに吸収合併された。サポーターだけでなく選手も街頭に立ち署名活動を行うなど存続を訴えたが、その想いは叶うことはなかった。合併決定後、横浜Fはリーグ戦で無敗を続け、天皇杯でも次々に対戦相手を撃破。1月1日に行われた決勝では清水を2-1と下し、クラブ最後の試合で有終の美を飾っている。
  8. 11
    平成
    1. 3月
      J1・J2の2部制を導入
      10チームで始まったJリーグだったが、年々チーム数が増加し、この年からJ1・J2の2部制が採用。J1は16チーム、J2は10チームでリーグ戦が行われた。2部制となったことで、降格・昇格のレギュレーションも導入され、優勝争い以外の注目度が高まることに。またこの年からPK戦が廃止となっている。
    2. 4月
      アジアクラブ選手権で磐田が初優勝
    3. 5月
      磐田が1stステージで優勝
    4. 10月
      JOMOカップにロベルト・バッジョが参戦。
      1995年に始まったこの大会は、Jリーグの日本人選手選抜(JAPAN DREAMS)と外国籍選手選抜(WORLD DREAMS)が対戦するもので、2001年まで毎年開催された。外国籍選手選抜にはJリーグに所属していないゲストプレーヤーも出場。1999年大会には日本でも絶大な人気を誇り、当時インテル(イタリア)に所属していたロベルト・バッジョが参戦。華麗なテクニックで日本のファンを魅了した。
    5. 11月
      清水が2ndステージで優勝
    6. 12月
      磐田が清水を下して二度目のリーグ制覇。MVPはアレックス(清水)が受賞。
  9. 12
    平成
    1. 5月
      横浜FMが1stステージで優勝
    2. 10月
      totoの販売がスタート。
      サッカーの勝敗や得点数を予想するtoto(サッカーくじ)の第1回販売が行われたのは2000年10月のこと。当初は静岡県内で試験的に販売され、翌年3月から全国販売がスタートした。スポーツ振興のための財源確保が目的で、これまでに全国各地の施設や環境整備など、その売上金がスポーツ振興に役立てられている。
    3. 11月
      鹿島が2ndステージで優勝
    4. 12月
      鹿島が横浜FMを下してリーグ制覇。
      MVPは中村俊輔(横浜FM)が受賞。
      1stステージでは8位にとどまった鹿島だったが、2ndステージに巻き返し、柏とのデッドヒートを制して優勝を成し遂げた。その勢いは横浜FMとのチャンピオンシップでも続き、第1戦はスコアレスドローに終わったが、第2戦では鈴木隆行のゴールなどで3-0と快勝。力強い戦いぶりで2年ぶり三度目のリーグ制覇を成し遂げた。
      鹿島はナビスコカップ、天皇杯も制し、史上初の3冠を達成。
      リーグ戦を制した鹿島は、天皇杯でも快進撃を続け、準決勝でG大阪を撃破すると、決勝では小笠原満男のVゴールで清水に3-2と勝利。ナビスコカップでも優勝を飾っていた鹿島は、Jリーグ史上初となる国内3冠を達成した。
  10. 13
    平成
    1. 7月
      磐田が1stステージを制覇
      ストイコビッチが現役引退
      小野伸二がフェイエノールト(オランダ)に移籍
      浦和で確固たる地位を築き、日本代表でも活躍していた当時21歳の小野伸二が、1stステージ終了後に、オランダの名門フェイエノールトへ移籍した。新天地ではすぐさまレギュラーを掴み、同シーズンにUEFAカップ制覇に貢献している。
      稲本潤一(G大阪)がアーセナル(イングランド)に移籍
      小野の同級生でもある稲本潤一も、この年に欧州進出を実現した。行先はイングランドの強豪アーセナル。同年6月に日本で行われたコンフェデレーションズカップのプレーをベンゲル監督に評価され、G大阪からの期限付き移籍で海を渡った。また小野、稲本だけでなく、同じ“黄金世代”の高原直泰も、この年にボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)に移籍するなど、日本人選手の海外移籍ラッシュが加速していった。
    2. 11月
      鹿島が2ndステージで優勝
    3. 12月
      磐田を下した鹿島が2連覇を達成。MVPは藤田俊哉(磐田)
  11. 14
    平成
    1. 7月
      中村俊輔(横浜FM)がレッジーナ(イタリア)に移籍
      メンバー入りが有力視されていた日韓ワールドカップの日本代表から落選し、悔しい思いを味わった中村俊輔だったが、7月にイタリアのレッジーナへの移籍を決断。卓越したテクニックとプレースキックを武器にチームの中心として活躍。その後、スコットランド、スペインリーグでもプレーし、2010年に横浜FMに復帰した。
    2. 8月
      磐田が1stステージで優勝
      中山雅史、名波浩、ボカ・ジュニアーズから復帰した高原直泰ら、リーグ屈指のタレントを揃える磐田が、ステージ優勝を成し遂げた。圧巻の攻撃力を武器に、ワールドカップ中断明け後に一気に加速。追いすがる横浜FMを振り切った。
    3. 11月
      磐田が2ndステージを制し完全優勝を達成。
      MVPは高原直泰(磐田)が受賞
      2ndステージでも磐田の強さに陰りは見えなかった。序盤こそやや躓いたが、終わってみれば2位のG大阪に勝点8差をつける余裕のレースだった。2つのステージをともに制し、史上初となる完全優勝を成し遂げた。この年のベストイレブンにはMVPと得点王に輝いた高原をはじめ、じつに磐田の選手が7人も名を連ねた。
  12. 15
    平成
    1. 8月
      横浜FMが1stステージで優勝
    2. 11月
      浦和がナビスコカップで初優勝
      “オリジナル10”のメンバーでありながら長く無冠が続いた浦和に、ついに歓喜の瞬間が訪れた。グループステージを磐田に次いで2位で通過すると、準々決勝ではFC東京、準決勝では清水を撃破し、決勝に進出。決勝ではエメルソンの2ゴールなどで、鹿島を4-0と一蹴し、悲願の初タイトルを手にしている。
      横浜FMが2ndステージを制し完全優勝を達成。
      MVPはエメルソン(浦和)が受賞
      岡田武史監督を迎えた横浜FMが、前年の磐田に次いで完全優勝を達成した。磐田を勝点1差で上回り1stステージで優勝すると、2ndステージでは優勝を争っていた磐田を最終節の直接対決で撃破。同じく優勝の可能性があった鹿島が他会場で引き分けたことで、優勝が決定。史上稀にみる大混戦を制した。
  13. 16
    平成
    1. 3月
      森本貴幸(東京V)が最年少出場記録を更新。
      怪童と呼ばれた森本貴幸がJリーグデビューを果たしたのは、2004年3月13日の磐田戦だった。この時、森本は卒業を控えた中学3年生で、Jリーグ最年少出場記録を15歳10か月6日に更新した。それから約2か月後の市原戦で、森本は15歳11か月28日というJ1最年少得点記録も作っている。
    2. 6月
      横浜FMが1stステージで優勝
    3. 11月
      浦和が2ndステージで優勝
      FC東京がナビスコカップで初優勝。
      2000年にJ1に昇格したFC東京が、クラブ史上初となるタイトルを獲得した。原博実監督が率いるチームは攻撃スタイルを前面に押し出し、快進撃を続けた。準々決勝のG大阪戦、準決勝の東京V戦では、ともに4ゴールを奪取。連覇を狙う浦和との決勝では早々に退場者を出す苦しい展開となったが、粘り強く耐え凌ぎスコアレスで延長を含めた120分を終えると、PK戦の末に浦和を撃破。PKで見事なセーブを見せた守護神の土肥洋一がMVPに輝いている。
    4. 12月
      横浜FMが浦和を下し、リーグ制覇。MVPは中澤佑二(横浜FM)
  14. 17
    平成
    Coming Soon ...
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