本文へ移動

今日の試合速報

アジアの頂点まで、あとひとつ! AFC CHAMPIONS LEAGUE 決勝第1戦 5.11(土)19:00KO 横浜FMvsアルアイン 横浜国際競技場 DAZNでLIVE配信!
アジアの頂点まで、あとひとつ! AFC CHAMPIONS LEAGUE 決勝第2戦 5.26(日)1:00KO アルアインvs横浜FM ハッザーア ビンザイード スタジアム DAZNでLIVE配信!

コラム

百年構想のある風景

2015/1/12 10:00

子どもたちのグラウンド

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

幼い頃、ふるさと高知で催された放浪画家:山下清さんのサイン会で、パリの絵はがきにサインをもらった。彼は、『裸の大将ヨーロッパを行く』(ノーベル書房)の中で、「日本でも欧州でも、人がゆっくりと歩いている町には、親切な人が多い」と書いている。 山下さんは、日本全国の車の通れない道を好んで歩いていた。長田弘さんの詩集『深呼吸の必要』(晶文社)にある詩『散歩』の最終節「歩くことを楽しむために歩くこと/それがなかなかできない/この世でいちばん難しいのは、いちばん簡単なこと」を筆者はとても気に入っている。

ここからそこに行く自動車での移動よりも、人のための道をアミダくじのように歩く方が、子どもであった自分にはとても楽しかった。かつて、子どもにとって、道、空き地、公園は、立派なグラウンドだった。そこには、子どもたちのはしゃぎ声が、そこかしこから聞こえてきた。キャッチボール、ボール蹴り、縄跳び、缶けり・・・ 同詩集の中に、子どもの目線から“道”を観察した詩『あのときかもしれない』がある。 「きみはいつおとなになったんだろう./ 大通り.裏通り.横丁.路地.脇道.小道.行き止まり.寄り道.曲がり道.廻り道.どんな道でも知っていた.だけど、広い道はきらいだ. 広い道は急ぐ道だ.自動車が急ぐ.おとなたちが急ぐ./ きみの好きな道は、狭い道だ.狭ければ狭いほど、道は自由な道だった./ 歩くことのたのしさを、きみが自分に失くしてしまったとき、そのときだったんだ。 そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになってたんだ。」 “子どもたちのグラウンド”には、ボールの規格も、ピッチのサイズも、ゴールの場所も、ルールも存在しない。

グラウンドに合わせて発想力豊かに、子どもたち自らがすべてを決めた。日本の人口が、戦後60年の間に4千万人も増加したため、街のあちこちにあった“子供たちのグラウンド”(遊び場)はすっかり姿を消し、住宅、ビル、駐車場、おとなたちが急ぐ道へと変わってしまった。 子どもの安全が社会問題となる今日、おとなの目の届かない路地や空き地が、再び“子どもたちのグラウンド”に戻ることは不可能だろうか。そこには、まず何よりも失われた本来の地域性(近所づきあい)の復活が求められる。入りくんだ路地は、いわば子どもたちが無意識に好む秘密基地のよう。子どもの想像力や独創性を引き出す宝箱に見えてくる。