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今日の試合速報

コラム

百年構想のある風景

2015/1/12 10:00

自由時間

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ドイツの街中をウィンドーショッピングしていると、店のドアに“Ruhetag”と記された吊り板をよく見かける。日本ならさしずめ「本日は休業日です」というところを、「今日は休息日です」と書かれている。その違いは、休みの主体。「仕事が休みの日」をさす休業日に対して、休息日は「人間がゆっくり休む日」だとお客さんに伝えている。 我々がスポーツを楽しむ時間の表現も同じではないか。スポーツはレジャーの一部として、「余暇」すなわち余った時間を利用して行うものと受動的な存在にうつる。いまや経済大国と自負する一方で、子供の塾通い、大人の長い労働時間や通勤時間から考えると、時間に関しては、まだまだ先進国の中では最も貧しい国と認めざるをえない。

ドイツ人がスポーツを楽しむ対象に使う言葉は、“Freizeit”(自由時間)。自由時間の設定は、個々が能動的に決めることができ、職場でウアラウプ(長期休暇)の予定を1年も前から決め合うのもうなずける。“Schönen Abend!”(良い午後を)“Schönen Tag!” (良い一日を) “Schönes Wochenende!”(良い週末を)。幸せをはこぶ楽しいフレーズが、一年中街のあちらこちらから聞こえてくる。 欧州で暮す人々に、「あなたにとって“豊かさ”とは何でしょうか?」と尋ねると、たいていの返事は「自分の自由な時間がたくさんあることです」。地元のクラブで仲間たちとスポーツを楽しみたい、そのあとクラブハウスで飲み語らいたい。老夫婦は、地元オーケストラの音楽を気軽に鑑賞したい。近くの山歩き(Wanderung)を友人と楽しみたい・・・。○○したいという生きることを楽しむ戦略、「観」をもって日常生活を送っている。 経済学の祖アダム・スミスが眠る英国スコットランドのエジンバラを先日訪ねた。「経済的な豊かさの基盤」は、「人間が人間らしく生きる社会」をつくるために必要な手段であると彼は説く。

本来、IT技術の進歩もまた、人間の自由な時間をつくりだすための道具だったはずなのに。 携帯電話もパソコンも持たない、新聞は読んでもテレビはニュースだけにとどめる、今回思い切ってそんな英国旅行をしてきた。すべての時間は、自分の自由なものとして存在し、一日の長さが日本に暮すときの倍にさえ感じる気分を味わえる。 スポーツ観戦、読書、街の散策、美術館・博物館めぐり、ハイキング、カフェテラスでのひととき・・・時間の過ごし方は、インターネットやケータイに縛られた最短とか便利とか他と同様の「価値観」ではなく、自分にとり最適な「人生観」によってすべて決まってくる。