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コラム

百年構想のある風景

2015/1/12 10:00

ベンチ

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イングランドの美しい田舎町を旅した。蜂蜜色をした街並みと、人口千人ほどでも小さいと感じさせないうるおいの源は、住民の憩いの場として欠かせない、中心部にある芝生の広場や散歩道だった。そこには、茶色のベンチが自由なおもむきで設けられ、背もたれのほとんどに、年月日、寄贈者名、いきさつなどが刻まれた銅板が打たれている。 その一例は、 「 In loving memory of 名前1907-1990 who loved this town and its people 」 「長年父親が愛したこの場所に、その想い出として家族みんなから寄贈します」 「このまちをこよなく愛し、やむなく去って行った家族がいた証しとして」 「このまちで過ごした妻とのすばらしい想い出のために、夫とその家族より」・・・ どれも、愛する人と過ごしたホームタウンへの深い気持ちが込められた贈り物である。

ベンチは、物思いにふける、好きな景色を眺める、あるいは将来の重大な告白をするなど、人生を楽しみ豊かにするための道具。意識していくうち、行く先々でまちのベンチを読み取ることに夢中になる。それは、大都会ロンドンの公園でも同じだった。 我が国のベンチは、公園に役所が設置した単なる腰掛や休憩所にすぎない、たかがベンチである。しかし、野球少年だった筆者が思い起こすベンチは、全国の名門高校野球部の練習場のバックネット裏にあった。熱心なファンが監督やコーチとともに練習風景を見守る、されどベンチである。

2年前、ブンデスリーガの古豪クラブ:ヘルタベルリンを訪問。若手育成のアカデミー活動について貴重な話をうかがった際に、目に飛び込んできたベンチが忘れられない。それは、クラブの練習風景をゴール裏から眺めることができる一段上がったところに置かれた。風格と伝統を感じさせるデザインの木製ベンチの背に輝く、クラブの丸いエンブレムがまぶしかった。 まちや暮す人々の生き様をじっと見つめているベンチと同じように、練習グラウンドの片隅にあったクラブのベンチもまた、ここから巣立って行った幾多の名プレーヤーたちを、心やさしく暖かく見守り続けてきたにちがいない。椅子が、そこに座る人を選ぶことはできない。しかし、一度腰かけた人は、もっと幸せになれる椅子がそこにある。 選手の練習を見守るベンチ、スタジアムをみつめるベンチ、愛するホームタウンをながめるベンチ。どれも、大切な無言のサポーターだ。