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8月22日に開幕を迎える『U-21 Jリーグ』。日本サッカーの成長を加速させる、若き才能の挑戦の舞台として、新たに創設されたこのリーグには、未来の日本代表を担い得るタレントが顔をそろえることになる。そんな彼らの中から、躍動が期待されるネクストヒーローのキャリアを深掘りして、その横顔に迫る今企画の『虎視眈々』。第四回は岡山で生まれ、岡山で育ったファジアーノ岡山のサイドバック、千田遼がこれまで歩んできた道のりを紐解く。
■「壁が壊れるから」と母に勧められてサッカークラブへ
岡山で生まれ、岡山で育ってきたからこそ、ずっと心の中に携えてきたことがある。このクラブに関わるみんなで大事に育んできた、「子どもたちに夢を!」という理念を体現するためには、きっと自分がJリーグのピッチに立つことが、そこで活躍することが、さらにそれを推し進めることに直結するのではないかと。
「『子どもたちに夢を!』というファジアーノ岡山の理念は素晴らしいなと思っていますし、自分たちのような若い年齢の選手が試合に出場すれば、それがもっと具体化されるというか、『もっとサッカーを頑張ろう』という子どもたちの想いにつながっていくと思うので、よりクラブ理念をつないでいく意味でも、早く試合に出場したいです」
地元出身選手として、サポーターからも大きな期待を寄せられている、ファジアーノ岡山のサイドプレーヤー。千田遼は幼いころから憧れてきたスタジアムのスタンドを、自身のプレーで沸かせる日が来ることを信じて、虎視眈々とチャンスを狙い続けている。
本格的にサッカーを始めるきっかけになったのは、やんちゃな少年に手を焼いていた母の決断だった。「家の庭でよく壁に向かってボールを蹴っていたんですけど、母が『もう壁が壊れるから、サッカーを始めてくれ』ということになって(笑)、母の知り合いが紹介してくれたクラブチームに入ることになりました」
入ったクラブはJフィールド岡山FC。まずはスクールからスタートし、小学校1年生からはチームとして活動する中で、千田はどんどんボールを追い掛けることへ夢中になっていく。
「Jフィールド岡山FCは技術を大切にするチームだったので、自分の今のプレーの土台となっている部分が相当大きいですね。コーンを置いてのドリブル練習や、パス練習もそうですし、基礎の部分をかなり練習したイメージがあるので、そこは今につながっているのかなと思います」
もちろん小学生のころから、熱い視線を送っていたのはファジアーノの選手たち。行ける時は毎週のようにシティライトスタジアム(当時)へ通い、スタンドからピッチで躍動する彼らを見つめていたという。
「やっぱり地元にJリーグのクラブチームがあるのは凄くいいな、カッコいいなと思っていました。イ・ヨンジェ選手は毎試合ゴールを決めていましたし、仲間隼斗選手、上田康太選手、関戸健二選手と、挙げたらキリがないですけど、自分が見ていたあのころのファジアーノを引っ張っていた選手は、特に印象に残っています」
■セレクションに受かってファジアーノ岡山U-15へ
中学進学時は、そのままJフィールド岡山FCのジュニアユースでプレーする選択肢もあったものの、環境の変化を求めてファジアーノ岡山U-15のセレクションを受験。「緊張した記憶はあるんですけど、『受かるだろう』みたいな変な自信がありました」という予感は当たり、見事に合格を勝ち獲ることとなる。
U-15時代に指導を仰いだ猿田公章(岡山U-15まさだ監督)は、サッカーにおけるメンタルの持ち方を教わった、恩師の1人と呼べる存在だ。「猿田さんは技術を凄く大切にしながら、メンタルのところを強化してくれて、自分の気持ちの部分を引き出してくれたので、それも今に凄くつながっていますね。あまり自分が会ったことのないタイプの指導者の方でした」
2年生になると1学年上の選手たちに混じって、レギュラーを獲得。さらに3年時のクラブユース選手権では、グループステージ第2節のインテルナシオナル戦で同点ゴールを記録。さらに、引き分け以上でグループ突破が決まる浦和レッズジュニアユース戦でも、終了間際に劇的な同点弾をゲット。全国大会で2戦連続得点を挙げるあたりに、大舞台での勝負強さが垣間見える。
ただ、決勝トーナメント初戦ではFC東京U-15むさしに0-3で完敗。今季からFC東京でトップ昇格を果たした4人の選手がそろう強敵に屈したこの試合を、千田ははっきりと覚えているという。
「自分たちの方が決定機はあって、それを外して3点も取られたので、あの試合は悔しかったですね。やっぱり実力の差があるなと感じましたし、関東のチームと試合をする機会もなかったので、大きな経験になりました」。明確に味わった全国のレベルの高さが、自身の力を測る1つのモノサシになったことは間違いない。

■クラブ初のプレミア昇格!視界に飛び込んできた先輩の姿
高校時代はそのまま岡山U-18へと昇格したが、1年時は周囲のレベルも、環境も大きく変わった中で、夏過ぎまではなかなか体調が整わない時間が続く。「熱が出て、1週間ぐらい練習を休んでしまうということが、1か月おきぐらいに起きていました。たぶん自分の体力が追い付いていなかったんだと思います」
少しずつコンディションも回復し、大会メンバー入りを果たした夏のクラブユース選手権で、チームはベスト4進出と大躍進。試合出場は多くなかったが、千田は先輩たちの発していた強力なエネルギーと、どんどん膨らんでいく一体感に、ただただ感銘を受けていた。
「あの大会は大きな刺激をもらいました。もう一体感が凄かったですし、試合に出ているとか、出ていないとかは関係なく、本当にチームが1つになっていたから、あそこまで行ったのかなと思います。あの代の3年生には尊敬の気持ちしかないですね」
チーム初のプレミアリーグ昇格が懸かった年末のプレーオフは、U-18で過ごした3年間の中でも、最も印象に残っている大会。初戦で北海道コンサドーレ札幌U-18を下した岡山U-18は、2回戦で京都サンガF.C.U-18と対峙。1年生だった千田も、2試合続けてスタメンに指名され、勝負のピッチに立つ。
「もう勝つか負けるかしかない試合でしたけど、自分の中では緊張よりも『もうやってやろう』という気持ちの方が強かったですし、試合に出られない先輩とか、メンバーを外れた人の気持ちを思って戦っていた試合でもありました」
実は夏のクラブユース選手権でも、京都U-18とはグループステージで対戦しており、その際は完敗を喫していただけに、同じ相手に2度も負けることは許されないという、リベンジへの決意も加わった一戦。岡山U-18は相手に4倍近いシュートを打たれながら、1-0で勝利を収め、昇格の歓喜を力強く手繰り寄せる。
試合が終わった瞬間。千田の視界にある人の走ってくる姿が飛び込んできた。「1個上の先輩で、自分と同じポジションだった田原悠帆くん(広島大)が、試合が終わってすぐに自分のところに来てくれて、熱いハグをしたのを覚えています。そこで感情が一気にこみ上げてきました」。笑顔と涙に彩られた勝利。みんなで新たな歴史の扉をこじ開けた日のことは、絶対に忘れられない最高の思い出だ。
チームにとっても、千田にとっても、初めての挑戦となったプレミアリーグというステージ。高校年代でも最高峰の難敵が居並ぶリーグを戦う週末を重ねていく中で、少しずつ自分たちの在り方が、個人としての手応えが、確かな輪郭を帯びていく。
「実際にやってみたら、あまり差はないなという感覚が、チームとしても自分としてもありました。ただ、あと1つ決めていればとか、あと1つ守り切っていればという試合が多くて、1つの試合を勝ち切ることが凄く難しいんだなと感じましたね」。
「自分はセンターバックとサイドバックで出ることが多かった中で、どのチームにもエース級のフォワードがいて、そこでマッチアップすることで自分の実力が試せますし、足りないところもわかったので、『プレミアいいな。面白いな』と思いながら、凄く楽しい1年を過ごしました」
■初めての年代別代表。刺激しかなかったトップチームのキャンプ
9月。その知らせは梁圭史監督(現:湘南ベルマーレコーチ)から唐突にもたらされた。千田は『国際ユースサッカーin新潟』に臨むU-17日本代表に招集される。自身初となる年代別代表ということもあり、大きな驚きとともに、それまで味わったことのないような、不思議な感覚に襲われる。
「いつも通りの練習前に、突然梁監督から伝えられたんですけど、代表に選ばれるなんてまったく思っていなかったので、もうその日の練習は本当にボールが足につかなかった記憶があります。あれは緊張だったのかなあ……」
日の丸の付いたユニフォームを纏い、国を代表してプレーすることの意味は、16歳の心の中に強く刻まれる。「実際に試合前に国歌を歌うと、気合いが一層入りますね。やっぱりサッカーをやっている以上は、意識し続けないといけない特別な場所だなと感じました」。いきなり初戦のペルー戦でアシストを記録するなど、初代表で好パフォーマンスを披露した千田は、それから年代別代表の常連になっていく。
岡山U-18も苦しみながらプレミアリーグ残留を果たし、年が明けるとクラブから1つのリリースが発表される。それは千田と末宗寛士郎の2種登録を知らせるものだったが、そこには“但し書き”が加えられていた。「両選手は、すでに1月9日の初練習からトップチームでの活動に参加しており、シーズン開始から常時トップチームの活動に参加するアカデミー選手は、クラブとして初めてとなります」
本人もクラブ初の試みに、強い感謝とモチベーションを抱いていたことは、あえて言うまでもないだろう。「2年生のシーズンが終わったくらいに、『来年は最初からトップに入ってもらう』という話をもらいました。自分たちは期待されている部分があるのかなと思って、緊張もしましたけど、『一番若いんだし、思いきりやるだけだな』と」
飛び込んだトップチームのトレーニング。フィジカル面の違いを強く実感した一方で、より印象的だったのは、1つ1つのメニューに対する選手たちの解像度と、常に実戦を想定してプレーする意識の高さだったという。
「どの選手も練習の目的を理解する力が凄くて、1つのパスへのこだわりや、そのパスに込められたメッセージを凄く感じましたね。普通のパスコンでも、常に試合をイメージしているというか、自分はその意識が足りていなかったので、なおさら強く思いました」。とりわけ影響を受けたのは、一回り以上も年上のセンターバックだ。
「田上(大地)選手はビルドアップも、ディフェンスも、コーチングも、全部高い基準でやっていたので衝撃を受けましたね。キャンプでも自分から話しに行ったら、もともとフォワードをやっていたと教えてくれて、それを聞いて納得したというか、『だからフォワードが嫌なことを理解しているようなプレースタイルなんだな』と思いました」
■仲間に託したプレミア残留。アカデミーへの強い感謝
2月にはトップチームへの昇格も発表され、3年生の1年間は基本的にトップチームで練習し、週末はU-18に戻ってプレミアリーグを中心とした公式戦に出場する日々を過ごしていたが、千田は改めてその時間が今の自分にもたらしているアドバンテージを痛感しているようだ。
「最初は自分の実力も全然伴っていなくて、凄く苦労して、慣れるまでに時間がかかったんですけど、1年早くプロのトレーニングを積んできたことで、今は監督のやりたいサッカーも、要求されることも、自分の中ではっきりわかっていて、身体も無理が利くようになりました。この1年分の経験は大きいと思います」
プレミアリーグの最終盤。岡山U-18は崖っぷちに立たされていた。残り2節で自動降格圏の11位に転落し、迎えたホームゲームは勝点1差で最下位の東福岡高校と激突するシックスポインター。千田も並々ならぬ覚悟を持って、90分間に挑む。
「本当に後がない状況でしたし、やっぱり3年生も自分たちの代で絶対プレミアリーグから落ちたくないと思っていて、クラブとしても1年でも長くプレミアリーグに居続けることが大事だったので、もうメチャメチャ気合いが入っていました」
試合は18分に千田が先制点を叩き出すと、田邊健太(関西大)、堤涼太朗(関西学院大)といずれも3年生がゴールを重ね、3-0で快勝。この節の試合に敗れた10位の静岡学園高校を抜いて、最終節を前に降格圏脱出に成功する。
運命のラストゲームは、アウェイに乗り込んだ神村学園高等部戦。ただ、その一戦の試合記録を確認しても、背番号17の右サイドバックの名前はどこにも見つからない。「いや、その時はインフルエンザに罹ってしまって……」とは本人。まさかの事態に見舞われ、千田は自宅で仲間からの吉報を待つことになる。
「親にLINEで通知が来るんですけど、もう失点の通知ばかりで。自分は静岡学園の結果を見ながら、もう願うしかなかったです。本当に情けなかったですね……」。試合には0-7で大敗したものの、静岡学園が引き分けたため、岡山U-18の残留が決まる。「もう本当にホッとしました。あの試合に出られなかったことは、今でもコーチにメチャメチャイジられますよ(笑)」。今となってはそれも笑って振り返ることのできる、大事な思い出だ。
3年間に渡って指導を受けた梁監督からは、サッカー選手として必要なことを過不足なく伝えてもらった。「梁さんは誰よりもサッカーが大好きで、ミニゲームでも、リフティングでも、本当に勝負に勝つことに熱くこだわっている監督でした。サッカーに対する取り組み方や価値観を教わったことも、今の自分につながっていると思いますし、本当に強い影響を受けました」。岡山のアカデミーで送ったかけがえのない時間は、現在の自分のすべてを形づくってくれたと、胸を張って言い切れる。
■「サッカーに対する考え方が変わった」ブラジル留学の意義
ルーキーイヤーとなる今年の2月から3か月にわたって、千田は末宗と一緒にブラジルのマリンガFCへと短期留学を敢行。通訳もいない環境の中で、必死にサッカーと自分と向き合う、貴重な経験を積み重ねた。
「自分のサッカーに対する考え方がガラッと変わった3か月でした。マリンガは日本だとJ3のクラブぐらいのチーム規模で、話を聞いたら家庭環境も凄く複雑で、月の給料のほとんどを自分の親に送っている選手もいましたし、本当に生活を懸けて練習をしているなと実感しました」
ブラジル行きを知ったのは、出発の1週間ほど前。ほとんど準備する間もなく旅立ったため、ポルトガル語でのコミュニケーションも、スマホを駆使しながら格闘したが、徐々に仲の良い友だちもできていったことで、帰国するころには一抹の寂しさを覚えるほどだったようだ。
「海外に友だちがいるのは初めてなので、またどこかで会えたらいいなとは思いますけど、最後は寂しかったですね。それこそワールドカップで日本がブラジルとやった時は連絡が来て、ブラジルが勝ったのでメッチャ煽られました(笑)。でも、そういうことも面白いですよね」
これからもサッカーに関わっていれば、また彼らが出会う日がやってくるかもしれない。それがもしグラウンドの上だったら、しかも、片方は青いユニフォームを、片方はカナリア色のユニフォームを着て、対戦する日が来るのなら、こんなに最高な再会はないだろう。
8月からはJリーグと同時に、『U-21 Jリーグ』も開幕を迎える。18歳の若武者は現在地をしっかりと見つめながら、ここから先の自分が歩んでいくべきステップを、こう捉えている。
「まずはJリーグを一番に目指していますけど、U-21 Jリーグもあって、自分をアピールする場があることは凄く大きいですし、ありがたいなと思っています。U-21 Jリーグに出られれば、チームのスタッフにも見られると思うので、そこでしっかりアピールして、今後の自分のキャリアにつなげていきたいです」。
「そこから先は、まずいち早くJリーグでデビューすることを目指していますし、1分でも多くJリーグの試合に出場するというのが、今の大きな目標ですね。さらに長期的には、やっぱりスタメンを奪っていきたいですし、ゆくゆくは日本代表に選ばれるような選手になりたいです」
地元にJリーグのクラブがあることの価値は、誰よりも自分が一番よく理解している。だからこそ、躍動したい。かつてはスタンドから眺めていた、あのスタジアムの、あのピッチの上で。
雲外蒼天。虎視眈々。ファジアーノ岡山の31番を背負った、サイドを駆け上がるクラブの宝。千田遼は自らのプレーで、まだ見ぬ未来の“後輩”たちに希望をつなぎ、キラキラと輝く夢をもたらしていく。

取材・文 土屋雅史