虎視眈々 第五回 ヴィッセル神戸 ウボング・リチャード・マンデー

U-21 Jリーグ

2026/8/14 (金) 17:00

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8月22日に開幕を迎える『U-21 Jリーグ』。日本サッカーの成長を加速させる、若き才能の挑戦の舞台として、新たに創設されたこのリーグには、未来の日本代表を担い得るタレントが顔をそろえることになる。そんな彼らの中から、躍動が期待されるネクストヒーローのキャリアを深掘りして、その横顔に迫る今企画の『虎視眈々』。第五回はヴィッセル神戸の20歳のGK、ウボング・リチャード・マンデーの異国での奮闘にスポットを当てる。

■関西弁を操る陽気なキャラクターで周囲の心を鷲掴みに

昨年1月の新体制会見。京都の福知山成美高校から加入したリチャードこと、GKウボング・リチャード・マンデーはそのキャラクターでヴィッセル神戸のファン、サポーターの心を鷲掴みにした。

「ホンマにこの機会を与えてくださった皆さまに感謝いたします。僕のことは、リチャードと呼んでください。リッチーがあだ名やけど、最初はリチャードと呼んでください」

コテコテの関西弁に会場がドッと湧き立つ。会見後、メディア向けに行われた取材では通訳が同席したが、時折、口をついて出る関西弁で場を和ませた。

「関西人の友だちが多いから、俺もメッチャ関西弁。高校で覚えました」

194センチ、84キロ。恵まれた体格と長い手足を生かしたハイボール処理やクロスボール対応、シュートストップに定評のあるゴールキーパーだ。

ヴィッセル神戸のGK陣でも最長身を誇るリチャードだが、子供のころはそこまで体は大きくはなかったという。サッカーを始めた時のポジションもフォワード。中学生から所属したイガンム・タイガーFCでも、ヘディングで得点を量産するゴールゲッターとして存在感を示した。

「僕のお父さんは元プロサッカー選手。ナイジェリア代表にはなれなかったけど、現役時代はセンターバックとして活躍しました。サッカーへの情熱が凄くあって、いつもサッカー、サッカーという感じでした。その影響で僕もサッカーを始め、最初は小学校のサッカー部に入り、中学生になるタイミングでイガンム・タイガーFCにスカウトされました。クロスボールから頭で合わせるのが得意で、チームで2番目に点を取っていました。1番は今、徳島ヴォルティスでプレーしている幼馴染の親友、デイビッド(ローレンス)でした」

イガンム・タイガーFCはナイジェリアリーグ3部に所属するプロサッカーチーム。トップチームとU-17チームで構成されていて、リチャードは後者に所属していたという。

そんな彼に転機が訪れたのは14歳の時。体が一気に大きくなったのを受け、GKへの転向を勧められた。

「FWだった時も練習後はよくGK練習を見学していたんです。たまに遊びでGKをすることもありました。お父さんやコーチもその姿を見ていたとは思いますが、ポジション転向を僕に勧めた一番の理由は身長がメッチャ伸びたから。お父さんやクラブの人たちが僕の将来を真剣に考えてくれたうえでのアドバイスだったので、僕もチャレンジすることにしました」

■欧州も含めた複数のオファーから日本の福知山成美高校へ

その決断が功を奏し、リチャードはGKとして瞬く間に頭角を表す。その証拠に転向からわずか1年後、15歳の時にはイガンム・タイガーFCのトップチームで公式戦に出場したことも。そのポテンシャルと将来性はすぐさま日本、ドイツ、ポルトガルのプロクラブの目に留まり、オファーが届いた。

「将来の目標はナイジェリア代表になること。なので僕自身はできるだけ早くヨーロッパでプレーできればいいなと思っていました。お父さんもドイツやポルトガルでもいいんじゃないかって意見でした。でも、お母さんがメッチャ反対して……。ドイツやポルトガルには知り合いがいないし、僕の年齢的にもまだ生活や食事のことが心配だからダメだ、って」。

「唯一、日本だけは東京にお父さんの友だちが住んでいて、何かあった時に助けてくれるはずだからいいよと言ってくれました。日本からのオファーにはJ3のクラブも含まれていた中で、福知山成美高校を選んだのは、海外に行くのは勉強や言葉を覚えるのも目的だったから。両親にも日本の高校に通ってサッカー部でプレーすることを勧められました」

もっとも、日本への留学を決めた時期はコロナ禍で渡航ができなかったため、来日したのは1年後の2022年春だ。そこから海外留学生の受け入れを積極的に行っている『国際コース』で学びながら、寮に暮らし、サッカーをする生活が始まったという。だが、当初は言葉の壁に苦しみ、ホームシックとの戦いが続いた。

「いざ来てみたら、メッチャ田舎でびっくりしました。学校は田んぼと山に囲まれていて、近所で見かけるのもおじいちゃん、おばあちゃんばっかり(笑)。ナイジェリアとは環境が全然違って、最初はホームシックというか、ずっとメッチャ機嫌が悪かったです(笑)。特に最初の1年くらい日本語も全く分からず、英語もほぼ通じなくて、何もかもがやりづらかった」。

「だから、学校にいる間も、ずっとナイジェリアにいる家族や友だちと電話していました。クラスにはロシア人、イギリス人、中国人、ノルウェー人ら、海外からの留学生が9〜10人くらいいて、みんなは日本人の家庭にホームステイをしていたんですけど、僕は1人、男子寮に住んでいて毎日、寮に帰るのが寂しかった」

■努力を重ねた日本語の習得。取り払われた「言葉の壁」

そんな毎日からようやく抜け出せたのは、来日から1年が過ぎたころ。同郷の先輩からの「プロを目指すなら日本語を話せるようになれ」というアドバイスのもと、毎日、2時間程度、家庭教師とマンツーマンで日本語を学んでいた成果が表れ始めてからだ。

日本語の“聞き取り”ができるようになるとずいぶん気持ちが軽くなり、しばらくして “話せる”ようになると友だちとのコミュニケーションもスムーズになって、学校に行くのが楽しくなったそうだ。もちろん、サッカーでも『言葉の壁』が取り払われるにつれて、自分らしいプレーを示せることが増えた。

「日本語が理解できなかった時は、英語でやりとりしていたんですけど、最初の1年半くらいは試合中にチームメイトとコミュニケーションがうまく図れずにミスをしたり、練習試合で僕のコーチングが悪くてDFラインのミスに繋がってしまったこともありました」。

「それでも、チームメイトが僕のために英語を覚えてくれて、右、左、前みたいな簡単な指示は英語でしてくれたり、監督もいろんな場面で凄く助けてくれて、ありがたかったです。でも、やっぱり自分が日本語をたくさん話せるようになってからの方がやりやすかったかな。簡単な指示だけではなく、自分の考えていることを伝えられるようになり、2年の終わりごろからサッカーをするのがメッチャ楽になった」

あわせて、福知山成美高校で本格的にGKとしての基礎技術を学べたのも大きかったと振り返る。基本的な『フォーム』を叩き込まれたことで、セービングには明らかに幅が生まれた。

「毎日、チーム練習が終わって45分間くらい監督がマンツーマンでGK練習をしてくれました。当時の僕はGKとしてのテクニックも少なかったし、監督にはいつも『プロサッカー選手になりたいなら、そのフォームをなんとかしよう』と言われていました。実際、監督にセービングのフォームやキャッチのフォームなど、GKとしての基本的な『フォーム』を教えてもらって、それを半年くらい続けていたら、セーブできる回数も、いいセーブも増えて自信も大きくなっていきました」

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■練習参加で受けた衝撃。より成長できる環境を求めてヴィッセルへ

そうした成功体験をもとに『プロ』への思いをより募らせていったリチャードが、「今のままじゃ全然足りない」と痛感したのが3年生の時。ヴィッセル神戸の練習に参加したことがきっかけだ。

イガンム・タイガーFC時代もトップチームでプレーし、プロ選手のシュートを数多く受けていたこともあって「高校生のシュートスピードはそんなに難しく感じていなかった」と本人。だが、ヴィッセルの練習に参加し、百戦錬磨の攻撃陣と対峙したことで気持ちを新たにしたという。

「当然、高校生とはシュートスピードも全然違ったけど、一番びっくりしたのは前線の選手のシュートテクニックです。GKやDFとの駆け引きも上手いし、シュートもスピードがあるだけじゃなくて、いろんな技術を備えていて、驚きました。僕がメッチャ緊張していたのもあったけど、思うようなプレーも全然できず、メッチャショックを受けて帰りました」
 
でも、だからこそリチャードは、高校卒業にあたっていくつかのオファーの中からヴィッセル神戸を選択する。大迫勇也や武藤嘉紀、佐々木大樹ら、Jリーグ屈指の迫力と得点力を備える攻撃陣と毎日のように対峙することによって、求められる成長を力にしようと考えたからだ。

「ヴィッセル以外にもJ1、J2の3〜4クラブに練習参加をさせてもらったけど、高校の監督にも『ヴィッセルが今、日本で一番強いチームだ。レベルの高いところにチャレンジした方がいいんじゃないか』と言われたし、両親も同じ意見だったので、それに従いました」。

「実は、僕はナイジェリアにいた時もラ・リーガやプレミアリーグの試合しか観ていなかったので、Jリーグに関する知識がほぼなく……。でも、ヴィッセルはアンドレス・イニエスタが所属していたのもあってナイジェリアでも有名だったし、ACL Eliteにも出場しているから、このクラブならナイジェリア代表にも近づけると思いました」

■ハイレベルなGK陣と過ごす刺激的な学びの日々

そんな思いでプロキャリアをスタートさせて1年半。公式戦への出場は未だ実現できていないものの、期待通りのたくさんの『刺激』を受けながら毎日を過ごしている。先に書いた攻撃陣のみならず、鎬を削るGK陣から学ぶことも多いそうだ。

「想像通り、みんな凄くサッカーが上手くて、レベルが高いし、GKグループもみんなが厳しさを持って毎日の練習に向き合っているのもいいなと思います。拓也さん(松本GKコーチ)やトミさん(富居大樹GKコーチ)をはじめ、ゴンちゃん(権田修一)、章太さん(新井)、黛也さん(前川)、汐生さん(髙山)ら、それぞれに特徴があっていい選手ばかりだし、学ぶところもたくさんあります」。
「よくみんなには『集中しろ』って言われますが、そういう声を掛けてもらえるのも本当にありがたい。ピッチではみんながライバルで、いい緊張感で練習する一方、ピッチ外ではみんな優しくて、いい人ばかり。ビッグネームが多いのに年齢、キャリアに関係なくとてもフレンドリーです。本当にいつも、ありがとうございます、って思っています」

自身の武器であるビルドアップやハイボール処理といった持ち味を磨くことも意識しながら、新たな強みを備えるための取り組みも続けているという。

「もともとキックは両足で蹴れるんですけど、黛也さんみたいなキックテクニックはないので、今はそこを磨いています。これまでは右50%、左50%って感じで蹴っていたけど、左足の方がより得意だから、左足を60%くらいに際立たせたい。あとは大会を戦いながらプレーを磨きたいと思っているので、U-21 Jリーグが始まるのも嬉しいです」。

「この半年もACL Eliteに帯同させてもらったり、U-21チームとして毎週のように練習試合は戦ってきたけど、やっぱり独特の緊張感がある大会での経験を積みたい。フィールド選手なら仮にミスをしても後ろで誰かがカバーしてくれるけど、GKのミスは失点に直結するから絶対に許されない。そういうプレッシャーを感じながらプレーできればもっと成長スピードが上がるんじゃないかな」

■「23歳までには絶対、ナイジェリア代表に入りたい」

目標にしているGKは先のW杯北中米大会にも出場していたドイツ代表のマヌエル・ノイアー。

「どの試合を見ても、練習みたいにリラックスしてプレーができているのが凄い」

ビルドアップの上手さはもちろん、あらゆる状況を想定してどこから打たれるシュートにもパーフェクトな準備をしていることや、足元、シュートストップ、ハイボール処理など、GKに必要な技術を全て兼ね備えていることにも魅力を感じているという。

「あと、フィールドプレーヤーだったらクリスティアーノ・ロナウドが好き。どんな試合でもネバーギブアップの精神で、ハードワークと切り替えをやり続けられるから。あのメンタリティはメッチャ尊敬しています。I want his heart.僕もあのメンタリティが欲しい」

だからだろう。プロサッカー選手としてのモットーを尋ねると「Do your best & Never give up」と返ってきた。最善を尽くし、決して諦めない。『23歳でナイジェリア代表になる』ためにも、だ。
「正直、今の自分はまだ代表には遠いと自覚しています。若いし、経験も浅いし、誰も僕のことを知らない。プレーを見たことがない人も多いと思います。だけどここから頑張って、23歳までには絶対、ナイジェリア代表に入りたい。そのころにはGKとしてのテクニック、技術、メンタルもそろっているはずだから、それを活躍につなげて目標に到達したい。だから、努力、努力。まだまだ上手く、強くなりたいです」

加えて、もう1つの目標を叶えるためでもある。それはナイジェリアに暮らす家族を勝利給で招待すること。その胸にはいつも2024年に亡くなった父の代わりに、一家の大黒柱にならなければいけないという思いも秘めている。

「お母さんと4人の兄弟、みんなが僕の活躍を楽しみにしてくれているので、絶対に呼びたい。日本を見せてあげたい。でも、飛行機は1人往復で32万円くらいかかるから、5人分はなかなか大変。だから僕がトップチームで活躍して勝利給をもらえるようになったら絶対に呼びます。そのためにも、ホンマに頑張ります」

とびっきりの優しい笑顔を浮かべながら、虎視眈々と未来を見据え、目を輝かせた。

VISSEL KOBE


取材・文 高村美砂