虎視眈々 第六回 清水エスパルス 土居佑至

U-21 Jリーグ

2026/8/15 (土) 17:00

interview

8月22日に開幕を迎える『U-21 Jリーグ』。日本サッカーの成長を加速させる、若き才能の挑戦の舞台として、新たに創設されたこのリーグには、未来の日本代表を担い得るタレントが顔をそろえることになる。そんな彼らの中から、躍動が期待されるネクストヒーローのキャリアを深掘りして、その横顔に迫る今企画の『虎視眈々』。第六回は清水エスパルスの才気あふれるレフティ、土居佑至がのちの職業に没頭していくルーツを探る。

6歳の時に小3の大会で優秀選手賞を受賞

「僕が入った少年団はドリブルをたくさん練習するチームで、自分もドリブルが本当に大好きで、相手の裏をかくとか股を抜くとか、パスでもワンツーで抜いたりして相手を翻弄するようなプレーが楽しくて、毎日夢中になってやってましたね」

小学校低学年時代の自分を振り返って、土居佑至はこう語った。

清水エスパルスユースから今年トップチームに昇格した19歳のアタッカーは、多彩な足元の技術とアジリティ、それらを生かした鋭いドリブル、左足のキック、シュートなど多くの特徴を備え、未来の中心選手としてサポーターの期待を集めている。

もちろん『U-21 Jリーグ』でも注目すべき逸材だが、原点は「ボールは友達」という言葉が似合う1人のサッカー小僧だった。サッカーを始めたきっかけもよくある流れ。4歳上の兄・秀旭(ひであき)さんがサッカーをしていた影響で、物心つくと自然に兄とボールを蹴るようになり、6歳で地元(三重県津市)の神戸FCスポーツ少年団に入団した。

ただ、サッカーセンスには特別なものがあった。入団から半年ほど経ったころに、年長組の6歳児ながら小学校3年生の大会に出場し、ドリブルで数人を抜いてゴールを決めるなど大活躍して優秀選手賞を受賞。一際体の小さい幼児がスルスルと年上の子たちを抜いてゴールを決めていく姿を見て、「神童か」と驚嘆した人も多かっただろう。

それでも、ピッチ外では控えめな性格で、けっしてジャイアン気質ではなかった佑至少年は、天狗になることもなく、「相手を何人も抜いてゴールしたりするのも、アシストするのも楽しくて、夢中になってずっとサッカーしていた記憶しかないですね」と振り返る。

少年団の練習が終わった後も、兄と2人でボールを蹴ったり、1対1で勝負したり、技術を教えてもらったりという日々を積み重ね、常に年上のチームでプレーしてきたことも彼の成長を加速させた。同級生のレベルが彼についていけなかったとしても、4歳上の兄が良い意味で高い壁となって、挑戦する意欲をかき立ててくれた。本人も「お兄ちゃんの影響は本当に大きかったと思いますし、本当に感謝しています」と言う。

「もともと右利きだったか、左利きだったか」論争の真相

また土居といえば、もともと右利きだったのが左利きに変わったというエピソードがメディアで伝わっているが、本人の記憶では少し異なるようだ。手が右利きなのは間違いないが、足に関してはもともと右利きだったという記憶はなく、「本当に気づいたら左足で蹴ってました」とのこと。ちなみに兄は両利きで、同じエスパルスの鈴木奎吾をはじめ手は右利き、足は左利きという選手も意外に多い。

ただ、リオネル・メッシのビデオをよく観て真似していたというのは本当で、「メッシを見て無意識のうちに左足を使っていたのかもしれません」とも語る。本当は右利きだったのか、最初から左利きだったのか、真相は本人にもわからないようだ。

土居が所属した少年団は、団員数でも戦績の面でも地域の強豪とは言えなかったが、彼が攻撃を牽引して6年時には2大会連続で優勝するなど、近年にない結果を残した。自分がやりたいプレーを誰に遠慮することなくやれたという意味では、彼自身にとっても良い環境だった。

そして中学に入ると市内の新興クラブ「H&A FCジュニアユース」に加入。小学校の頃からH&A FCのスクールに通っていた縁もあって勧誘を受け、指導方針やスタイル的にも自分に合っていると考えて決めた。

「ポンポン蹴るというより足元でつなぐことが多いチームで、良い距離感で連動しながら攻撃するようなイメージでした。僕は、トップ下とかサイドハーフをやることが多くて、ごくたまにボランチもやっていましたが、ボールが来たらどんどん仕掛けろという感じで自由にやらせてもらえました」

自分の特徴を生かしやすい役割を与えられ、入学早々から3年生の試合に出始めた土居。ただ、元々小柄だった中1の彼と中3との体格差は大きく、少年団のころほど思うようなプレーはできなかった。

「1対1の駆け引きは小学校から積み重ねてきた感覚があるので自信を持って仕掛けられたんですが、3年生とは体格が違うし、自分は体が弱かったので、体で当たられるとなかなか……。だから、どうしたらコンタクトせずにやれるか、先にポジション取りしたり、うまくかわしたり、仕掛ける位置を考えたりということを監督にもチームメイトにも教えてもらいました」

U-15日本代表のスペイン遠征で受けた強い衝撃

課題の克服で徐々に持ち味を発揮できるようになってきた彼は、1年生の段階で早くも清水のアカデミーの敏腕スカウト・植草裕樹の目に留まる。植草は三重県のU-13リーグまで足を運んで土居を発見し、すぐにコンタクトをとった。その後は多くのJクラブからも声がかかったが、もっとも早く誘われたこととチームのレベルの高さが決め手となり、地元を離れて清水ユースに加わることが早い段階で決まった。

その過程で、当時アカデミーヘッドオブコーチングを務めていた元日本代表の森岡隆三も土居の試合に訪れたが、その際の印象を聞く機会があった。

「もうファーストプレーから『なんだこいつ!?』と思うぐらいインパクトがありました。躍動感とボールとの一体感が凄くて、ボールは友達感が半端なかったですし、反転してキュンキュンと抜いていく運動能力も高い。まあよく見つけたねと植草に言いましたよ。エスパルスに来てからも、本当にボールと一緒に寝てるんじゃないかと思うような雰囲気を持ったサッカー小僧だなと感じたことをよく覚えています」(森岡)

森岡は、プロになってもサッカー小僧の部分を失わないことが大事だと常々訴えているが、中学時代の土居はそれを存分に表現することができていた。

「動画とかを見て面白いなと思ったプレーとか、普通じゃやらないようなプレーとかも試合でやっちゃってました。失敗したら怒られそうなプレーでも『ちょっとやってみたいな』みたいな感じで。それでミスした時に、自分で取り返しに行かなかったらもちろん怒られますけど、全力で取り返しに行っていれば何も言われなかったので、チャレンジしやすい環境を作ってくれたと思います。小学校のころから見てくれていた監督さんで安心感もありましたし、自分がしたいプレーと求めてくれるプレーに近いものもあって、迷いなくやれました。中学に上がる時にH&A FCを選んだのは本当に良かったと思います」(土居)

そんな中で、中3になって初めて年代別日本代表に選出され、U-15日本代表の一員としてスペイン遠征に参加した。

「日本代表に選ばれるのも、海外でサッカーするのも初めてで、しかも行ったのが自分の好きな国で、メチャクチャ楽しみにして行きました。でも、実際に海外のチームと試合して、凄いレベルの差を感じました。凄くボールをつなぐし、本当にプロみたいなサッカーというか、特にスペイン代表との試合は大人とやっているような感覚があったのが強く印象に残っています」

スペイン代表といえば、ラミン・ヤマルとパウ・クバルシは土居と同い年だが、彼らはより上の年代の代表でプレーしており、当時戦ったチームにはいなかった。だが、バルセロナやレアル・マドリードの選手も多く、彼らのレベルや意識の違いを肌で感じて、かつてないほど強い衝撃を受けた。

「本当に全然違うなと感じて、凄く良い影響を受けて帰ってきました。もっともっと上手くなりたい、もっと上のレベルでやりたいと強く思うようになりましたし、本気でプロになりたいなと思うきっかけになる経験でした」

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トップデビュー戦で初ゴール!忘れられない歓声

そんな覚悟を決めて清水ユースに加わった土居だが、ピッチ内だけでなくピッチ外でも大きな刺激があった。

「オフの日に街中へ出たりすると、どこに行ってもエスパルスのポスターとか旗とかいろいろあって、オレンジ色が多いなと。凄く街に愛されているクラブだと感じましたし、やっぱり本場だなと。アイスタ(IAIスタジアム日本平)の雰囲気も最高ですし、自分も早くプロになって応援されたい、活躍したいと思いました」

だが、チームへの合流前に負傷を負い、数か月出遅れることになったのは想定外だった。ようやく復帰しても、コンディション的に夏のクラブユース選手権には間に合わず、「同じ1年の岩尾健琉(早稲田大)や大石息楓(京都紫光クラブ)はクラブユースにスタメンで出ていて、凄く悔しかったです」と振り返る。

それでも「1日1日、今日より明日、明日より明後日と毎日何かひとつでも上達や成長ができればと思いながらやってきました」とサッカーノートもつけながら成長を積み重ねてきた。それによって課題であった守備面も改善され、フィジカル面でも食事やトレーニングに気を使って、夏以降は着実に出番を増やしていった。

そして2年時には中心選手の1人となった中で、「最後のところで決め切る力をもっとつけないといけない」と痛感し、シュート精度やゴール前の駆け引きといった面にも磨きをかけていった。

それが実ったのが、プロの公式戦に初出場した2025年3月26日。JリーグYBCルヴァンカップ1回戦のSC相模原戦で、72分から待望のトップデビューを果たした17歳の土居は、85分にユースの大先輩・北川航也のラストパスを左足のワンタッチシュートで冷静に流し込み、いきなり初ゴールを決めてみせた。

「北川選手がもう決めるだけのパスをくれたので、思ったよりリラックスして打てました。決めた瞬間にサポーターの方々が『おおっ!』という感じで凄く沸いて、メチャクチャ嬉しかったですし、あの歓声が忘れられないです」

ここで得た自信もあって、4月に開幕したプリンスリーグ東海でも2試合連続ハットトリックを記録するなどゴールを量産。フィニッシャーとしても大きく成長した姿を見せたことが、トップ昇格にもつながった。

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背番号33を自ら希望して選んだ理由

ただ、年代別日本代表に関しては、2年生の夏に一度U-17日本代表に選ばれただけで、同期の針生涼太がコンスタントに選出されているのに対して、悔しさも感じていた。

「U-17代表に選んでもらった時に、他の選手を見ていると、プレーの強度はもちろん、自分のプレーの質に凄くこだわっているなと感じたので、そこは改めて練習から意識を変えないといけないと思いました。針生が代表でチームを離れている時は、表には出してないですけど悔しい気持ちもありました。でも、だからこそ自分ももっと頑張ろうと思いましたし、良いライバル関係というか、良い競争ができていたと思います」

ユースでの3年間は、プレミアリーグの昇格プレーオフに3年連続で敗退するという無念さも味わい、全てが順風満帆だったわけではない。だが、悔しさをバネに奮起する反骨心も養うことができた。

正式にプロになった今年は、昨年まで乾貴士(ジュビロ磐田)がつけていた33番を自ら希望して背負い、新たなスタートを切った。

「(乾は)もちろんサッカー選手としてのプレーの魅力も凄いですし、人間性の面でも本当にサッカーが大好きで、元気で、周りに良い影響を与えてくれました。トップの練習に参加した時も、自然と乾さんに目が行きましたし、練習中にどういうことを意識しているのかとか、ボールを持っていない時の動きも凄く勉強になりました」。

「何より凄く楽しそうにプレーする姿は本当に憧れますし、僕もああいうふうに『おまえがいれば大丈夫だ』と思われるぐらい、チームメイトや監督から信頼される選手になりたいので、同じ番号を選ばせてもらいました」

乾は“サッカー小僧”の先輩としても理想的な存在。土居にとっては今も最高の手本となっている。

“14分間”の貴重な経験。より輝く未来を窺う野心

ただ、明治安田J1百年構想リーグでは出場が1試合(14分間)に留まり、満足できる状況とは言えない。吉田孝行監督の新体制になって、今まで以上に攻守両面でインテンシティが求められていることも、土居にとっては越えるべき壁のひとつになっている。

「今年のチームでやりたいことに対して、自分にはまだまだ足りない部分が多かったという実感はあります。でも、日々それを克服できるように取り組んでいますし、いつ呼ばれてもいい準備はしているつもりです。半年で1試合途中出場しただけですが、僕にとってはあの経験が凄く大きくて、自分の足りない部分も、逆に通用する部分もわかりましたし、試合に出ている選手たちの良いところを盗みながら自分なりに工夫をするというところは、この半年で意識が変わったところだと思います」

2026/27シーズンに向けては、攻撃陣の選手層がより厚くなり、越えるべきハードルも高くなったが、それで下を向くことはない。『U-21 Jリーグ』が開幕すれば、実戦経験を積む場としても大きなプラスになる。

「もちろんJ1に出て活躍したいというのが一番ですけど、自分の足りない部分を練習から改善して、アピールできる場(U-21 Jリーグ)を今年は作ってもらえたので、しっかりと生かしたいです。試合を観に来てくれる人もいると思うので、観ている人たちに『面白い』とか『良いプレーだ』と言ってもらえるようプレーをたくさんしたいと思っています」

目指す選手像は、サッカーを始めたころから憧れていたメッシや、背中を追う乾のように、狭い局面、スペースがない中でもボールを受けて違いを出せる選手。今年のワールドカップでもっとも刺激を受けたのは、やはり年齢も利き足も同じヤマルだった。

「ヤマル選手はあの歳で主力としてワールドカップで優勝して、他の国でも僕と同じとか年下の選手が活躍していたので、世界との差を感じましたが、逆に自分もあの舞台に立てるように頑張りたいという気持ちは強くなりました。決して届かない場所だとは思わないですし、自分の成長スピードをもっともっと上げて、次回は同じ舞台に立てるようにしたいです」

まだあどけなさの残る優しい顔は変わらないが、自身の未来について語る表情や目からは、虎視眈々とチャンスを窺う野心がはっきりと伝わってきた。

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取材・文 前島芳雄