虎視眈々 第七回 V・ファーレン長崎 宮口裕多

U-21 Jリーグ

2026/8/16 (日) 17:00

interview

8月22日に開幕を迎える『U-21 Jリーグ』。日本サッカーの成長を加速させる、若き才能の挑戦の舞台として、新たに創設されたこのリーグには、未来の日本代表を担い得るタレントが顔をそろえることになる。そんな彼らの中から、躍動が期待されるネクストヒーローのキャリアを深掘りして、その横顔に迫る今企画の『虎視眈々』。第七回はV・ファーレン長崎U-18のエース、宮口裕多に未来への希望を力強く語ってもらおう。

宮崎でスタートしたキャリア。フォワードとしての原体験

2026年の夏、九州プリンスリーグ1部の得点ランキング表の最上段に、1人の高校3年生の名前が刻まれている。V・ファーレン長崎U-18の宮口裕多、9試合11得点。数字だけを見れば、それは1つの快挙である。だが、この数字にたどり着くまでに彼が積み重ねてきた時間をたどっていくと、そこに派手な物語はない。あるのは、当たり前のことを当たり前に、という愚直な反復と、ゴール前でひたすら機会を窺い続けた3年間の蓄積だ。

「当たり前のことを当たり前に、ゴール前で何回走り込めるか、アクションの数を何回増やせるかを意識して、少ないチャンスを決め切ることを意識してやっています」

好調の要因を問われた宮口の答えは、驚くほど素朴だった。特別な戦術も、突然覚醒した技術も、彼の口からは出てこない。走り込む回数を増やす。アクションの数を増やす。そして、訪れた少ないチャンスを決め切る。それだけである。しかし、それだけのことを90分間、1シーズン通してやり続けられる選手が、どれほどいるだろうか。彼はそこに、自らの価値を置いている。

宮崎県で生まれ育った。サッカーを始めたきっかけは、兄の存在だった。「お兄ちゃんが最初にやっていて、その影響で始めました。一番最初にボールを蹴ったのも、お兄ちゃんの影響です」。そして、ボールを蹴り始めた少年が最も心を奪われた瞬間は、最初から一貫している。「やっぱり点を決める瞬間です。小さいころからフォワードだったので、点を決める喜びというか、周りのみんなが自分に寄ってきてくれる瞬間が何よりも嬉しいです」。フォワードとしての原体験が、彼のキャリアの出発点にあった。

小学校時代を過ごしたアリーバFC、中学時代を過ごしたセントラルFC宮崎。いずれも宮崎屈指の強豪クラブである。もっとも、中学進学の際にセントラルを選んだ理由は、少年らしい現実的な事情でもあった。「送迎バスがあったのが一番大きかったですね(笑)」。だが、そこで出会った指導者が、彼を変えることになる。

「大西健介監督がフォワードを育ててくれる人で、ビシバシ言ってくれる人でした。そのおかげで前向きに努力しようという気持ちになれました。自分はサボり癖があったのですが、そのおかげで努力できるきっかけになり、守備もしっかりやるようになりました」

攻撃を中心に任される一方で、常に投げかけられた言葉があった。「その分チームを勝たせろ、責任を持て」。得点を取ることと、チームを勝たせること。この2つが同義であるという意識は、この時期に彼の内側に埋め込まれた。今年の彼が、チーム全体の前からの守備という約束事の中で得点を量産していることと、この教えは決して無関係ではない。

順風満帆だったわけではない。小学校最終学年は、コロナ禍と重なった。「できるはずのことができない状況で不安でした。当時、アリーバFCは全国大会も出場を決めていたんですけど、大会が本当にあるのかなと心配しましたね」。幸い、全国大会は開催されたが、努力の先にある扉が、自分の力とは無関係に閉ざされるかもしれないという不安は、12歳の少年が抱えるには、あまりに重かったはずである。

憧れの先輩から受け継いだ背番号13の意味

中学卒業を前にした宮口には、大きな決断が待っていた。セントラルFC宮崎からは、多くの選手が地元の強豪校・鵬翔高校へ進み、全国高校サッカー選手権を目指す。そのルートは、宮崎のサッカー少年にとって最もわかりやすい道である。しかし宮口は、県外へ出ることを選んだ。V・ファーレン長崎U-18への加入である。

「鍋島暖歩さんや七牟禮蒼杜さんなど、宮崎からV・ファーレンのユースに入って、プロになっている方が多く、それが一番大きい理由でした。自分の中にJクラブのチームでしっかり基礎的な部分をつけたいという思いもありました」

選手権という華やかな舞台ではなく、プロへの道筋を選んだ。15歳の判断としては、明確に将来を見据えたものである。そこには、目先の栄光よりも先にあるものを見つめる目があった。

実際に長崎で始まった日々は、想像とは違っていた。「Jクラブのチームは走らないのかなと思っていましたが、もう走るのが当たり前で、毎日きつい中でのトレーニングでした。体力面も精神面も鍛えられていったかなと思います」。技術中心の環境を思い描いていた少年は、走ることも前提とされる世界に放り込まれた。そしてその負荷が、のちの彼を支えることになる。

U-18での1年目は、ケガに苦しみ、試合に出られない時期が続いた。「自分は1年生のころにケガをしていて、その期間が悔しすぎて毎日筋トレをしていました」。悔しさを、筋力に変える中で、プリンスリーグへの出場は1年生の終盤にようやく訪れる。だが、その結末は苦いものだった。

「実際、最後の試合で出させてもらったのですが、負けてしまい、やるせなさというか、もっと早く出たかったという悔しさが半々でしたね。でも、次の年は自分が中心になって勝たせるということを目標にしようって。そのために頑張ろうって思いました」

この1年生の時期、宮口は3年生3人とともに、練習の帰り道、熱中症のような症状でふらついていた高齢者を介抱し、救急車を手配している。このエピソードは写真付きで地元新聞の記事になっており、その写真の中で、彼は3年生よりも背が高く、一見すると最上級生のようだが、実際はピッチではまだ出場機会を得られていない時期だった。1年生だったころの彼はもどかしさの中で、日々を過ごしていたのである。

だが、プロという言葉が具体的な輪郭を持ち始めたのもこのころだった。「当時のエースだった七牟禮さんがトップに昇格したんですけど、その七牟禮さんが背負っていた13番を僕がもらったんですよ。エースナンバーをもらって、自分が期待されているんだなって感じましたし、プロになるという道が自然と見えた気がしました」。憧れの先輩が歩んだ道は、自分の前にも伸びているような気がして、それがモチベーションを一層高めたのである。

ブレイクの兆し。着実に上がり始めた成長の階段

2年目、宮口はチームの得点源となる。九州プリンスリーグ1部で18試合7得点、得点ランキング6位タイ。国スポ少年男子でも主力を務め、サニックス杯に出場する九州トレセンU-17選抜チームには、V・ファーレン長崎U-18から大田和とともに選出された。着実に、階段を上がり始めたのである。

U-18を率いる原田武男監督は、2024年の時点で「1年に面白い選手が多い」と語っていた。宮口が1年生だった年である。翌2025年には「新2年に期待」と述べている。指揮官の視線は、早い段階から彼らの学年に注がれていた。

その原田監督は、宮口の強みをこう分析する。

「いろんなパターンで点が取れるのは強みかなと思いますね。ヘディングも右足も左足でも取れますし、あとは動きが柔らかいというか、シュートに持っていくまでの形だったり、無理が利くというところは、他のフォワードと比べてもあるかなと思います」

頭でも、右足でも、左足でも、点を取れる。シュートに至るまでの形に幅があり、崩れた体勢からでも枠に飛ばせる。180センチ、69キロという体格を持ちながら、動きが硬くならない。フォワードとしての総合力が、指揮官の言葉から浮かび上がってくる。

宮口自身が目標とするのは、レアル・マドリードのキリアン・エムバペ・ロタンである。

「裏抜けや背後へのアクションも良いですし、シュートも参考にしています。自分もディフェンスの位置を見て、背後へアクションするように心がけています」

注目すべきは「ディフェンスの位置を見て」という部分だろう。ただ走るのではない。相手を観察し、その隙を測り、最適な瞬間に動き出す。それはまさに虎視眈々という風情で、鋭い目つきで獲物を見据え、機会を窺い続けるフォワードの姿である。

ちなみにこの言葉は中国古代の『易経』に由来し、本来は上に立つ者が油断せず周囲に目を配ることの重要性を説いたものだった。下から上を狙うという現代的な用法とは、少し意味合いが異なる。だが宮口の場合、その両方の意味が重なっているように見える。ゴール前で機会を待つ目と、自らを磨き続ける姿勢。その2つが、彼の中に同居している。

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エースが見据えるのはクラブ史上初のプレミアリーグ参入

最終学年を迎えた今年、彼はエースとしてチームを牽引している。プリンスリーグ九州1部9試合11得点は、得点王争いのトップを走る数字だ。本人はその要因を、個人の変化だけでなく、チームとしての変化にも求めている。

「チームとしても守備でいかに前で奪えるかを目標にしていて、前目で奪ってすぐに繰り出すカウンター、ショートカウンターでのチャンスが結構多いので、去年に比べてチャンスが多くなったと思います」。個の成長とチームの成熟が噛み合った結果としての、11得点なのである。

だが、彼が見ている場所はもっと先にある。そして、そこには現実的な壁が立ちはだかっている。

V・ファーレン長崎U-18は、2021シーズンにプリンスリーグ九州1部優勝を果たし、2023シーズンには日本クラブユースで創設以来2度目となる本大会ベスト16を達成した。しかし、以降の3シーズンは故障者やコンディション調整、練習施設の不足に苦しみ、リーグ、カップともに十分な成績を収められずにいる。今季、宮口の活躍もあって久しぶりのリーグ制覇、そしてその先にあるプレミアリーグ参入という目標達成が、現実的な射程に入ってきた。

その道のりを、宮口は冷静に見積もっている。

「プリンスリーグは順当にいけば優勝までできると思います。その後は参入戦で関東勢という強力な敵を必ず破らないと上がれず、長崎はここに挑んでは跳ね返されてきました。シーズン前の練習試合で関東勢とやったりもしていて、そこまで差はないと思うので、いかに勝負強さをつけるかが大事です」

差はない。しかし、跳ね返されてきた。この2つを同時に認識しているところに、彼の現実感覚がある。では、その差を埋めるものは何か。彼は「勝負強さ」という言葉で答えを出している。

「プリンスリーグの後期で不用意に星を落とすことがなければ、チームとしての勝負強さがもっとついてくると思います。0-0の場面でいかに勝ち切れるか、点を決められるか。そこはプレミアリーグ参入戦を勝ち上がるためにも、必要条件になってくると思います」

0-0の膠着した展開で、1点をもぎ取れるかどうか。それはまさに、ストライカーの仕事である。チームの目標達成の責任が、そのまま自分の役割として跳ね返ってくることを、彼は理解している。中学時代に叩き込まれた「その分チームを勝たせろ、責任を持て」という言葉が、ここで再び意味を持つ。

「必ずプロになる」という18歳の決意

「何が何でも結果を出さなきゃいけないリーグではないのかもしれません。ですが、個人の成長ということを考えると、若い選手にとっては本当に良い経験の場だと思います。U-18から出場する選手がいれば、力をつける場だと思ってやってほしいですね」

経験の場ではなく、力をつける場。今年から始まる『U-21 Jリーグ』について、U-18の原田監督はそう期待を寄せる。そして、その舞台の厳しさもこう指摘する。「浦和や神戸はU-21だけで早い段階からトレーニングを積んでいると聞きますし、来日したての外国籍選手や、故障明けの主力が調整の場として出場してくる可能性もあるでしょう。そういったものも含めて、いろんなものを感じてほしい」

守られた環境ではない。だからこそ『U-21 Jリーグ』には価値がある。宮口もそんなリーグの、そしてその先への抱負をこう語る。

「しっかりと活躍して必ずプロになって、プロの舞台でもしっかり点を決めて、代表にも呼ばれるような選手になりたいです。最近は結構連続して点を決めているので、このコンディションを維持しつつ、U-21 Jリーグに出場できたらもっと得点できるようにしていきたい」

2026年の夏、九州プリンスリーグ1部の得点ランキング表の最上段には、依然として彼の名前がある。だが、その数字は目的地ではない。プレミアリーグ参入という、チームが跳ね返され続けてきた壁。プロになるという夢。そして、その先にある日本代表という舞台。宮口裕多の鋭い目は、いま、そのすべてを射程に収めている。

走り込む回数を増やし、アクションの数を増やし、訪れた少ないチャンスを決め切る。その愚直な反復こそが、彼の武器。『U-21 Jリーグ』はその武器を示す格好の舞台である。

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取材・文 藤原裕久