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8月22日に開幕を迎える『U-21 Jリーグ』。日本サッカーの成長を加速させる、若き才能の挑戦の舞台として、新たに創設されたこのリーグには、未来の日本代表を担い得るタレントが顔をそろえることになる。そんな彼らの中から、躍動が期待されるネクストヒーローのキャリアを深掘りして、その横顔に迫る今企画の『虎視眈々』。第八回はサッカー王国・静岡の土壌に育まれたジュビロ磐田のセンターバック、甲斐佑蒼をフィーチャーしたい。
■初めての移籍は小学校5年生の夏に
中学時代からすべての思い出を共有してきたサックスブルーのユニフォームを纏ったまま、プロサッカー選手になった日常への充実感を覚えつつ、さらなる成長への期待は自分が一番強く感じている。今いる場所で全力を尽くし、1センチでも、1ミリでも、着実に前へと進んでいく。
「学校に通っていたユースの時とは違って、サッカー中心の生活に最初は違和感を覚えたというか、慣れない感じがしましたし、何とも言えない不思議な感じもありました。ただ、本当に1日中サッカーのことを考えられるのは素晴らしい経験ですし、普通はなかなか味わえないことだとも思うので、今はもう毎日を楽しんでいます」
近い将来にジュビロ磐田のディフェンスリーダーを担い得る、左右両利きというスペックを有した19歳の若き才能。甲斐佑蒼は王国で培ってきたサッカー観を携えながら、ヤマハスタジアムの主役として躍動する明日を、虎視眈々と見据えている。
人生の分岐点は、小学校入学の直前に訪れていた。経験者の父が熱を入れていたこともあり、甲斐は幼いころからソフトボールに親しんでいたが、2つ上の兄が偶然参加した“あるイベント”に同行したことで、新たなスポーツの魅力を知ることになる。
「小学校に入る前はずっとソフトボールをやろうと思っていたんですけど、兄が参加したサッカー少年団の体験入部について行った時に、途中で僕も混ざることになって、そこで『サッカー、楽しいな』と思ったので、『ソフトじゃなくて、サッカーをやろう』と。本当にその場の感覚でしたけど、今はこうやってプロになれたので、兄に感謝しています」。その後の自分の生き方を決めたのは、6歳のころの何気ない選択だったというわけだ。
小学校1年生から在籍していたのは、高洲サッカースポーツ少年団。当時はフォワードやトップ下といった攻撃的なポジションを任されており、「守備は一切やったことがないぐらい、凄くのびのびとやらせてくれたチーム」で、サッカーの楽しさに魅せられていく。
甲斐の特徴でもある両利きは、既に小学生のころから確立されていたようだ。「もともと手は左利きなのに、ボールは右足でしか蹴れなかったんですけど、『左利きなんだから、左足で蹴ってみたら』と父に言われて、左足しか使わない時期を経たら、いつの間にか両利きになっていました。でも、箸のような物を持つのは左手で、ソフトボールを投げるのは右手なんですよ。自分でもどっち利きなのかあまりわかっていません(笑)」
初めての移籍は5年生の夏。藤枝トレセンでも指導を仰いでいた、元Jリーガーの津島三敏が監督を務める蹴力HANASHI FCで、よりサッカーにコミットした日々を送る決断を下したが、高洲SSSの仲間たちが自分を快く送り出してくれたことは、今でも大切にしている思い出だ。
蹴力HANASHI FCでは、5年時にも6年時にも静岡県大会で3位に入るなど、レベルの高い環境で確かな実力を付けていく中で、中学進学時は地元の藤枝明誠SCジュニアユースへ進むことを考えていたものの、甲斐を高く評価する津島監督の勧めで、県内を二分するJクラブアカデミーのセレクションを受けることに。どちらも最終選考までは残ったが、清水エスパルスからは不合格を言い渡され、ジュビロ磐田からは合格を伝えられる。
「日本平には“コンコルドシート”というのがあって、チームのみんなとエスパルスの試合にはよく行っていましたけど、ジュビロにはそこまで関心があったわけではないというか、選手も全然知らないようなチームでした」。ここも大きな運命の分かれ道。甲斐はそれまで想像もしていなかったジュビロ磐田U-15で、中学時代の3年間を過ごすことになった。
■藤枝から磐田へ電車で通い続けたU-15時代の回想
やはり周囲のレベルも高く、そこにアジャストしていくことに加え、藤枝から磐田へ毎日の練習に通うことも、中学生にとっては決して簡単ではない。とりわけ1年生のころは、学校生活とサッカーを両立させる苦労を味わったという。
「もう朝からジュビロに行く準備をして、車に荷物を乗せて、授業が終わったら母に中学校まで迎えに来てもらって、車の中で着替えて、そのまま藤枝駅に送ってもらって、磐田に行って、帰ってきて、の毎日だったので、メチャメチャキツかったです。特に最初の1か月は1日が終わるだけで精一杯でしたね」
1つの転機になったのは、本人も「あまり思い出したくない試合」だと振り返る、2年時のクラブユース選手権グループステージの東京ヴェルディジュニアユース戦。甲斐はスタメンに抜擢されたものの、試合は0-7という衝撃的なスコアで完敗。厳しい現実を突き付けられる。
「1試合目に勝って、2試合目はターンオーバーで行くということで、僕を含めた中2の選手や、普段は試合に出ていない中3の先輩たちが出たんですけど、ボロボロにやられてしまって……。悔しい気持ちもありましたし、何より先輩たちに申し訳なかったです」。
「ただ、あの試合から感じるものは多かったですし、負けて気持ちが沈んだというよりは、『自分はまだまだだな』と思えたんです。あの試合に出ていた僕ができることは、もっと成長して、ここから先で結果を残すことだとポジティブに捉えられたので、今からできることをどんどんしていこうと思いました」。この一戦が改めて自身の成長欲に、小さくない火をつけてくれたことは間違いない。
3年に進級すると、U-18の活動に参加する機会が増え、時には県リーグの試合に出場するチャンスを与えられることも。今回のワールドカップでもプレーした後藤啓介(フライブルク/ドイツ)をはじめ、実力者がそろった環境でさらなる刺激を得ながら、確実に成長を遂げた甲斐は、3年後のプロ入りを目指して、そのままU-18へと昇格する。

■広島での悔恨。リベンジを誓った高2の冬
憧れていたプレミアリーグのデビューは、意外と早くやってきた。1年時の7月。大津高校とのアウェイゲームで、背番号20の16歳はセンターバックとして、真剣勝負のピッチへと解き放たれる。
「もう凄く楽しかったですね。試合前は緊張していて、みんなにそれをほぐしてもらったんですけど、前半のプレーはあまり良くなくて。でも、ハーフタイムで無駄な力が抜けた感じがあって、後半は自分の思い通りのプレーができましたし、さらに逆転で勝ったので、ユースの3年間の中でも特に印象に残っている試合です」。フル出場で手にした逆転勝利の感覚が、確固たる自信に繋がったことは、あえて言うまでもないだろう。
このシーズンのプレミアでは、もう1試合だけ先発出場した記録が残っている。こちらもアウェイで戦ったサガン鳥栖U-18戦。この日の一戦でマッチアップしたフォワードの存在は、かなり後になってから認識したそうだ。
「試合が終わった後に初めて、マッチアップしたのが同学年の子だと知ったんですけど、数年後にそれが新川(志音)選手だったというのがわかりました(笑)。その時も確かに速くて、強くて、さらに坊主頭だったので、印象に残っています」
高校生のうちにトップデビューを果たし、現在はベルギーのシント=トロイデンでプレーする、世代屈指のアタッカーとして知られる新川志音との少し不思議なエピソードからは、それとなく甲斐のキャラクターが透けて見えるようで面白い。
2年時の主戦場はプリンスリーグ東海に移ったものの、甲斐は左サイドバックの定位置を掴み、フィールドプレーヤーの中でもトップの出場時間を誇るなど、チームの中での立ち位置を確立していく。
忘れられない試合がある。シーズンの総決算に当たる12月。ホットスタッフフィールド広島で開催されたプレミアリーグプレーオフの1回戦で、磐田U-18は岡山学芸館高校と対峙。試合は先制するも、後半に追い付かれると、もつれ込んだPK戦で競り負け、みんなで目指した1年でのプレミア復帰は叶わなかった。
「自分は3年生の1年間をプレミアでやるつもりでいたので、ああいう負け方は凄く悔しかったですし、試合後は『もう3年生とサッカーできないんだ……』と思ったら、感情が昂ってしまって、涙が出てきました」。
「でも、もうああなった以上は、『自分たちが絶対プレミアに上げてやる』という気持ちが本当に強くなりました。あの負けは2年生の終わりの試合でもありましたし、3年生の始まりの試合でもあったと思います」。1年後の歓喜を誓って、甲斐は広島の地を後にした。
■レジェンド・川島永嗣に圧倒された鹿児島キャンプ
トップチーム昇格への想いが一層強くなったのは、悔しい敗戦から1か月が経ったタイミングで参加することになった、トップチームの鹿児島キャンプ。1週間という帯同期間の中で、徐々に雰囲気に慣れていくうちに、抱えていた不安を楽しさが上回っていく。
特にプロとしての立ち振る舞いに影響を受けたのは、守護神のレジェンドだったという。「やっぱり一番印象に残ったのは(川島)永嗣さんですね。僕の母がちょうど永嗣さんと同い年で、ということはもう親とサッカーしているみたいな感覚じゃないですか」。
「それでもあそこまで自分を追い込んで、それを毎日続けている姿を見て、今までにないぐらい刺激になりました。もう圧倒されてしまって、遠くから見ていただけで、話したりする機会はなかったですけど、本当に凄いなと思いました」。4度のワールドカップを経験している大ベテランは、すべてが圧倒的だった。
2025年6月11日。甲斐はトップチームの一員として、ヤマハスタジアムのピッチに立っていた。天皇杯2回戦のSC相模原戦。45番を与えられた2種登録の18歳は、同じU-18所属の石塚蓮歩、西岡健斗とともに、スタメンに抜擢されたのだ。
試合前はとにかく緊張感に包まれていたが、あるタイミングからはっきりとスイッチが切り替わる。「実は試合の直前でスタメンになったんですけど、ユースの試合とは比べものにならないぐらい緊張して、ちょっと足もフワフワしてきてしまって、『どうしたらいいんだ……』みたいな」。
「でも、いざスタジアムに入って、応援の声が聞こえてきたあたりから、なんかワクワクが大きくなっていったというか、緊張がだんだん応援で覆されていって、試合が始まる直前は『もう早くやりたい!』という気持ちが大きくなっていったんです」
キックオフのころには、もうワクワクする気持ちが止まらない。前半の45分間はあっという間に過ぎ去り、70分に江﨑巧朗との交代でベンチへ。チームは後半アディショナルタイムの失点で敗れることになったが、肌で感じたヤマハの雰囲気と湧き上がってきた高揚感は、強く記憶に刻まれている。
■約束の地への帰還。勝ち獲ったプレミアリーグ昇格
12月12日。プレミアリーグプレーオフ1回戦。再びこの舞台に帰ってきた磐田U-18は、崖っぷちに追い込まれていた。札幌大谷高校相手に先制したものの、58分までに3失点を喫して、小さくないビハインドを追い掛ける展開に。それでもサックスブルーの若者たちは、力強く立ち上がる。
「あの試合は一人ひとりが『絶対に勝ちたい』という気持ちを持っていたので、1-3になっても誰も諦めていなかったですね」。69分、奥田悠真。79分、奥田悠真。そして90+5分、石塚蓮歩。怒涛の3得点を重ね、ファイナルスコアは4-3。磐田U-18は超劇的な逆転勝利を飾ってみせる。
「もう鳥肌がヤバかったです。凄く興奮しました」という甲斐は、不思議な因縁を感じていた。勝負のプレーオフ決勝が行われるのは、ホットスタッフフィールド広島。1年前に悔し涙を流した会場へ、プレミア昇格を懸けて帰還することになったのだ。
「『これも何かの縁かな』と思いましたね。僕らはあのグラウンドで勝利を掴むために、1年間必死に毎日練習してきたので、もうワクワクしていましたし、あの時はみんなの勢いが凄くて、たぶんどこが相手でも勝てる自信はありました」
タイムアップのホイッスルが聞こえ、チームメイトの笑顔を見ていたら、いつの間にか涙がこみ上げてきた。RB大宮アルディージャU18と激突したプレーオフ決勝は、攻撃陣が爆発して5-1と快勝。磐田U-18は3年ぶりとなるプレミア復帰を、逞しく引き寄せる。
「もうやり遂げた感覚が大きくて、気持ちを抑えきれないぐらい嬉しかったですね。あとは、やっぱり一番は去年の3年生たちに、この勝利を届けたいなと思いました。本当に一番良い形でジュビロでのアカデミー生活を終われたのかなって」
試合会場には、甲斐も含めたU-18の選手たちが恩師と慕う“前監督”の姿があった。9月末までチームの指揮を執りながら、トップチームの監督交代に伴い、そのポストに就くことになった安間貴義は、教え子たちのラストゲームを見届けるべく、広島へと足を運んでいたのだ。
「9か月という短い間でしたけど、今まで出会った指導者の中でも安間さんは一番印象的で、チームをイチから育てていただきましたし、試合前から『安間さんにこの勝利を届けたい』と思っていた選手も多かったはずなので、安間さんの前で勝てたことが凄く嬉しかったですし、試合が終わった後に安間さんとみんなが泣きながら抱き合っていた姿が、僕らの正解の形だったのかなって」
ジュビロのアカデミーで過ごした6年間の集大成とも言うべきプレーオフの180分間は、最高の形で大団円を迎える。1年前のリベンジを達成したホットスタッフフィールド広島には、いつまでも、いつまでも、サックスブルーの歓喜の声が響き渡っていた。

■サッカーに生きる日常。「しっかり成長はできている」
2026年。甲斐にとって、本当の意味でサッカーとともに生きていく日々が幕を開けた。すべてのエネルギーをトレーニングへ注ぎ込む毎日は、やりがいもあるし、強い危機感も背中合わせに迫ってくる、ある意味でヒリヒリするような日常だ。
2月に開幕した明治安田J2・J3百年構想リーグでは、3試合でベンチに入ったが、ピッチに立つことは叶わず。同期入団の石塚と増田大空はともに出場機会を得ているだけに、はやる気持ちがないはずはないが、まずは自分自身をブラッシュアップしていくことに目を向けている。
「サッカーの技術はもちろん、体格の面でもまだ足りないところが多いので、そこはもっと強化していきたいですし、この半年の結果は自分にとって散々だったので、新しいシーズンは1試合でも、1分でも多く試合に出て、チームの勝利に貢献できるように頑張りたいです」。
「U-21 Jリーグでも、自分が出場する時には結果を出したいですね。どんな場所でも結果を残していかないと、もっと上のレベルには行けないですし、プロになってからも人一倍練習をしてきた分、しっかり成長はできていると思っているので、1試合1試合結果にこだわってやっていきたいです」
まだまだ成長過程であることは百も承知。ここから地道に、真摯に、努力を積み上げ、必ずサックスブルーに染まったヤマハのスタンドを沸騰させてやる。闊達自在。虎視眈々。ジュビロが丹念に育ててきた、静岡出身の護りびと。甲斐佑蒼は目の前のひと蹴りに、目の前の一歩に、大きな感謝の想いを乗せて、自分だけのストーリーを丁寧に紡いでいく。

取材・文 土屋雅史