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8月22日に開幕を迎える『U-21 Jリーグ』。日本サッカーの成長を加速させる、若き才能の挑戦の舞台として、新たに創設されたこのリーグには、未来の日本代表を担い得るタレントが顔をそろえることになる。そんな彼らの中から、躍動が期待されるネクストヒーローのキャリアを深掘りして、その横顔に迫る今企画の『虎視眈々』。第十回は東京ヴェルディのサッカー小僧、今井健人がプロサッカー選手になるまでの歩みをたどる。
■初のベンチ入りで心を揺さぶられたサポーターの声援
あの日の景色と耳を突き刺す大声援は、今も鮮明に覚えている。
今年5月16日に行われた明治安田J1百年構想リーグ 地域リーグラウンド 第17節、東京ヴェルディがアウェイ・ケーズデンキスタジアム水戸に乗り込んだ一戦。今井健人はプロ入り後、初めて公式戦のベンチに座った。
アカデミー時代から緑のユニフォームに袖を通してきた今井にとって、J1のピッチでサポーターの声援を受けながら体を動かし、ピッチレベルでチームメイトを鼓舞する体験はどれも新鮮だった。
ベンチで戦況を見つめる今井は「緊張はしていなかったです。いつでも出られる準備をしていました」と振り返る。しかし、どれほど体を温めて戦う準備を整えても、最後まで声はかからなかった。プロデビューが叶わず、もどかしさも感じた18歳。それでも、アウェイゴール裏で激戦を制したチームを称えるサポーターの声援が、心を揺さぶった。
「アウェイでしたが、多くのファン・サポーターの皆さんが来てくれました。試合後の挨拶の時に応援歌を肌で感じて、鳥肌が立つぐらい感動しました。その時に、『今度は自分のチャントを聞けるように頑張りたい』と思いました」
アカデミー時代から見慣れていたはずの光景。しかし、ピッチレベルで全身に浴びたサポーターの熱量と応援歌の響きは、今まで味わったことのない高揚感を今井にもたらした。
より公式戦出場への想いが増した東京ヴェルディの背番号42は「正直、監督やスタッフに必要とされるスタートラインにまだ立てていないと思う。そこに立つことが、まず越えなくちゃいけないライン。その中で自分の良さだったり、(森田)晃樹くんや(平川)怜くんには出せないプレーを出していけるように」と成長を誓う。
■野球一家に育った少年がサッカーを選んだ理由
サポーターの熱量に触れ、未来へ想いを馳せた水戸での経験。ベンチで味わったもどかしさを糧に、ルーキーは前だけを見つめている。 プロの世界で揉まれる今井だが、どんな壁にぶつかっても揺らぐことのないその強い意志や高い志は、一体どのようにして育まれたのだろうか。その原点は、彼がサッカーボールを蹴り始める幼少期に、家族の教えの中で形成された。
神奈川県川崎市で育った今井。家庭は「野球一家だった」ため、当初は野球チームに入る予定だったという。しかし、幼少期の今井は白球を追う道へは進まなかった。理由はきわめてシンプルだ。
「通っていた幼稚園に野球チームがなかったんです。サッカーチームしかなくて、友達と『やってみようか』という感じでサッカーを始めました」
友人に誘われる形でボールを蹴り始めた今井だが、野球一家のスポーツへの情熱が、今井の競技への姿勢をかたどっていく。
父も長年野球に打ち込み、祖父は元日本ハムファイターズの球団スタッフとしてプロ野球の現場を支えてきた人物だ。特に第一線で戦うプロアスリートを間近で見続けてきた祖父からは、スポーツに臨む姿勢や人間性について、幼少期から厳しく教え込まれたという。
今井はサッカーを習い始める時に祖父から言われた言葉を、いまでも胸に刻んでいる。
「やるからには、日本代表を目指して頑張れ」
プロの世界を知る祖父からの言葉は、幼い今井の心に深く突き刺さった。そこには、これからスポーツと真摯に向き合う者としての「覚悟」を促す重みを含んでいた。
■叩いたヴェルディの門。森勇介との大事な出会い
ボールを蹴る楽しさに取り憑かれた今井は、小学校へ進学すると地元の中野島FCに入団。高学年になるとサッカーの才能を急速に開花させた。
東京ヴェルディのプレミアクラスをはじめ、川崎フロンターレのエリートクラス、横浜F・マリノスのスペシャルクラスと、複数のJリーグクラブのスクールを掛け持ちして研鑽を積んだ。
転機が訪れたのは、中学校へ進むタイミングだった。進路に悩む今井に、真っ先に声をかけたのが東京ヴェルディだった。
当時、Jリーグのクラブに入りたいという明確な目標を掲げていた今井は、小学校時代の1学年上の先輩で、後のアカデミーの先輩にもなる坂巻悠月(桐蔭横浜大)からの「ヴェルディのサッカーに合うんじゃないか」という助言もあり、東京ヴェルディのアカデミー加入を決めた。
自宅からほど近いクラブとの縁。今井は育成の名門クラブで、祖父と誓った大きな目標に向かって歩み出した。
小学校時代からトップ下やボランチでの出場が多かった今井だったが、中学1年の時に1学年上の代を指導していた森勇介氏(当時ジュニアユースコーチ/現川崎フロンターレU-18監督)との出会いが、同選手のプレーの幅を広げる。
「森さんに『サイドバックをやってみたら?』と言われて、一時期はサイドバックをやっていたんです。4バックの時は自由にやらせてもらえてすごく楽しかった。攻撃の時に内側へ入っていくプレーなどを教えてもらいました」
初めは慣れないサイドでのプレーに戸惑うも、当時サイドバックとボランチの両ポジションで活躍していた元ドイツ代表DFヨシュア・キミッヒのプレーを参考にしながら、新たなポジションへの適応に精を出した。

■負けず嫌いの仲間たちと切磋琢磨したアカデミーでの日々
ジュニアユース加入から間もない頃は「足下の技術がなかった」と、自らのスキルに自信を持てなかったが、東京ヴェルディ特有の技術を求めるスタイルと、相手のプレッシャーを受けやすいサイドバックでの実践を通して、課題だった局面の打開力やビルドアップの能力を飛躍的に伸ばした。“ボックストゥボックス”として、ピッチ全体を縦横無尽に駆け回り、攻守両面で活躍する現在の今井のプレースタイルは、この時に培われたのだ。
今井が中学2年の時に、2026特別シーズンまで男子トップチームコーチを務め、現在は女子トップチーム(ベレーザ)ヘッドコーチの小笠原資暁氏が、ジュニアユースの監督に就任。チームが3バックへ変更されたタイミングで、再びトップ下へポジションを戻した。自由度の高い戦術の中で、今井は攻撃センスの高さを存分に発揮していく。
また名指導者たちとの出会いは、今井の技術面だけでなく精神面も大きく成長させた。
「森さんからは、サッカーを楽しむことを教えてもらいました。でも、その楽しさの中に『必ず勝ち負けにこだわる』という姿勢を学ばせてもらいました。小笠原さんからは、サッカーの戦術や守備のところはもちろんですが、サッカーだけじゃなくて人としてどういう振る舞いをするかというのを、厳しく言われて学びました」
東京ヴェルディのアカデミーには、選りすぐりの逸材が集まる。特に今井と同世代のチームメイトたちは個性豊かな面々が揃っていた。ポジションこそ異なるものの、中学生の頃から常に飛び級で上の学年に加わり、ともにピッチに立ち続けてきた仲山獅恩は、いまでも切磋琢磨する良きライバルだ。
今井は同学年のアカデミー生たちを「(足下の)上手さというよりも、自分の学年は特に勝ち負けに対するこだわりが凄かった。個性的なメンバーでしたけど、みんな一貫して負けず嫌いでしたね」と紹介する。
ボールを扱う楽しさを追求しながらも、泥臭く勝負の細部にこだわる。名門アカデミーの環境と熱量の中で、今井健人というフットボーラーの基礎は力強く育まれていった。
■トップチームの洗礼。「守備も上手い」森田晃樹の衝撃
アカデミーで着実に成長の階段を駆け上がる今井だが、プロの壁は高く、険しかった。高校1年時からトップチームのトレーニングや練習試合に帯同する機会を得ていた今井。しかし、初めて足を踏み入れたプロの現場は、16歳の少年にとって「衝撃の連続」だった。
「初めて練習に参加した時は、とにかく緊張したのを覚えています」と当時は硬さがあったことを明かす。ユース年代では体感したことのない強度とスピード、そして何よりグラウンドに張りつめた緊張感。真っ先に今井の目を奪ったのは、プロ選手たちのピッチ上での圧倒的なプロ意識だった。
「(森田)晃樹くんや(谷口)栄斗くんの声掛けの質は、ユースの選手とは全く違いました。ユースの時は、チームメイトに厳しく言う人はほとんどいませんでしたが、(トップチームの)グラウンドでは、栄斗くんが年齢関係なく要求や指示をしていたので、『これがプロなんだな』というのを痛感しました」
特にピッチ上で圧倒的な存在感を放っていた選手が、アカデミーの大先輩であり、現在は背番号10を背負ってキャプテンを務める森田だ。実際にマッチアップをして体感した森田のプレーは、今井に大きな衝撃を与えた。
「晃樹くんは足下の技術がズバ抜けているのはもちろんですが、実際に相手として対峙してみたら守備もめちゃくちゃ上手かった。当時は攻撃の選手だと思っていたので、守備の上手さに衝撃を受けましたね。今は10番を背負いながら、キャプテンとしての責任も背負っている。純粋に『凄いな』という目で見ています」
プロの高い基準を身をもって体感し、今井自身の日常に対する意識もガラリと変わった。「ユースの頃はそこまで深く考えてサッカーをやっていなくて、ある程度は感覚というか、ちょっと適当になっていた部分もあったと思う」と素直に明かす。森田ら意識の高い選手たちとともに練習を重ねることで、いまは「練習への取り組みや、一つ一つのプレーに対してのこだわりが出てきている」という。

■ボランチのポジション争い。森下仁志ヘッドコーチの金言
そんな森田と、定位置を争う立場となった今井。ポジションを掴み取り、プロの世界で生き残るため、日々指導者たちの言葉に真摯に耳を傾けている。
ボランチでプレーする際、森下仁志ヘッドコーチから繰り返し掛けられる言葉がある。
「答え合わせをするんじゃなくて、自分で正解を導き出せ」
今井は、この言葉の真意を「もちろんビルドアップでのポジショニングなどは、チームとしての決まりごとがあります。でも、最終的にボールを前に運ぶことができれば、どんな判断であってもそれが正解になる。そのためには、自分自身のサッカーIQを高めなきゃいけませんし、ピッチ上で迷わずに正解を導き出す決断力だったり、自分からアクションすることが必要になってくる」とかみ砕く。
自らが判断し、アクションを起こしてゲームを動かす。相手の逆を突き、ボールを前進させられるボランチへの進化を目指す今井にとっては、日々の紅白戦も「どうやって自分がボールを受けて前進させられるか」を伸ばす成長の場なのだ。
当然、チーム内での信頼を勝ち取り、J1のピッチに立つためのハードルが高いという事実は百も承知している。森田をはじめ、平川怜や齋藤功佑、山本丈偉といった実力者がひしめくボランチのポジション争い。しかし、憧れているだけの時期はもう終わった。
「晃樹くんたちと一緒に練習できることに対しては凄く楽しさがありますが、やっぱり自分が試合に出るのなら、晃樹くんや怜くんのポジションを奪わないといけない。まずは(彼らと)同じラインに立てるように頑張らないと」
そう語る18歳の瞳には、ルーキー特有の気負いも迷いもない。静かに胸の奥で闘志を燃やしながら、今井は自らの手で定位置を掴み取るその日を、虎視眈々と狙っている。
■「いま自分に必要な課題と向き合っていきたい」
今井がトップチームでのデビューと定位置確保へ向けて日々の練習に励む中、今季からポストユース世代と呼ばれる19歳から21歳までの年代の実戦機会を確保するため、「U-21 Jリーグ」が新設された。アカデミーを卒業してから半年間、公式戦のピッチに立てずにいる今井にとって、この新リーグの開幕は吉報だった。
「自分は半年間、公式戦に出られずにいたので、純粋に試合が楽しみです。やはり試合に出ないと得られないものが絶対にあると思う。練習では得られない課題だったり、試合で自分の特徴を出すとか、そういう部分に関してはすごく価値があるリーグなのかなと」
U-21 Jリーグでは、東京ヴェルディユース(U-18)の選手たちとともにピッチへ立つ機会も増える。後輩たちを導く立場にもなるが、今井は気負うことなく、自らの背中で「プロ選手としてのプライド」を示すつもりだ。
アカデミー時代もチームを引っ張るキャプテンタイプではなかったという今井は「言葉で何かを言うというよりは、プレーで見せたい」と語る。プレーの質や強度、ピッチ上での立ち居振る舞いで、ユース選手との違いを見せつける。
さらに、非公開の練習試合とは異なり、観客の目がある環境でプレーできる点も、若い選手たちにとって貴重な経験となる。
「プロは見られる立場ですし、僕も幼いころにプロ選手のプレーを見て、夢をもらって育ちました。応援されるのは本当に嬉しいことですし、人の目の前でプレーできるのは素晴らしい機会だと思います」
だが、当然このリーグでの活躍が目標ではない。緑の若武者は「トップチームでJ1の試合に出ることが一番の目標です。そこに向けて、いま自分に必要な課題と向き合っていきたい」とその先を見据える。
来年にはFIFA U-20ワールドカップが控える。年代別の日本代表としてもプレーしてきた今井にとって、同大会も一つの目標。さらに国際大会での活躍が認められれば、自ずと夢の日本代表への道も開けるはずだ。
「ここ数回は代表活動から離れていますが、U-21 Jリーグでのプレーは間違いなく関係者からも見られます。まずはこのチームで活躍してJ1の公式戦に出る。そこで結果を出し続ければ、(年代別)代表にも呼ばざるを得ない状況になるはず。そこを目指して、まずは1試合でも多くJリーグのピッチに立つために頑張りたいです」
幼少期、ボールを蹴り始めたあの日に、祖父から掛けられた「やるからには、日本代表を目指して頑張れ」という一言。
その言葉は、時を経たいまも18歳のMFの胸の中で、ブレることのない大きな道しるべとなっている。緑の誇りを胸に、泥臭くピッチを駆け巡る。祖父と交わした約束の場所へたどり着くまで、今井の歩みは止まらない。

取材・文 白谷遼