おそらく、多くの人は気づかなかったかもしれない。最終節、草津との試合が終了し、選手がサポーターへの挨拶を済ませて引き上げてきた時、藏川洋平は密かに目を潤ませていた。
「来年の目標は『現役続行』です」
藏川の口から出たこの言葉を筆者が聞いたのは10月頃だっただろうか。ただ、その時はいつもの冗談だと捉えた。昨年も一昨年も、事あるごとに彼は「あと何年現役でいられるかわからないですからね〜」と言っていたからだ。
第37節の岡山戦にて、藏川は途中交代で退く北嶋秀朗から、通常ならば栗澤僚一が受け取るはずのキャプテンマークを託され、しかも北嶋自身が藏川の左腕に巻きつけるのを見て「もしや…」と思った。さらにチームが不甲斐ないパフォーマンスに終始する中、左サイドを疾走した藏川の孤軍奮闘のプレーにも感ずるものはあった。
そして最終節の姿を目にして、もはや確信せざるを得なかった。
草津戦から4日後の12月8日。藏川の契約満了が発表された。
2000年に一度横浜FMに所属したが、1年で契約満了となった。その後、5年間を下部ディビジョンのFCホリコシ(現アルテ高崎)で過ごした後、自ら活路を切り開き、2006年に柏へ加入した。28歳でJリーグデビューを飾り、29歳でプロ入り初ゴール、三十路を迎える直前にJ1初ゴールを決めた遅咲きである。時にはその異色の経歴から“苦労人”と称されることも珍しくはなかった。
だが苦労して積み上げてきたものは、間違いなく藏川の糧となってプレーに反映された。「痛いなんて言ってらんないですよ〜」と顔をしかめながらフル出場を続けた。けが人が続出した2008年の春季キャンプでは、ただ1人けがなくメニューを全うした。埼玉スタジアム2002の真っ赤に染まったスタンドから受ける大ブーイングを「気持ちが良かった」と清々しい表情で語ったこともあった。2008年第27節川崎F戦では、前半に4失点を喫し、チームに諦めムードが漂う中、「俺はまだ逆転できると思った」と、2点差に詰め寄るゴールを決め、ボールを拾い上げてダッシュでセンターサークルまで戻った。
そんな心身ともタフさゆえか、チームが苦境に立たされた時の存在感は群を抜いており、藏川本人が「年に1度だけ」と笑い飛ばすゴールはどれも記憶に残るものばかりであったし、下位に低迷していた昨シーズン、第8節大分戦での初勝利は、右サイドバックの藏川が逆サイドのオープンスペースへ駆け上がったという、なかなか見られないオーバーラップが反撃の狼煙となった。今シーズンの終盤も、サイドバックにけが人が多発すると、チーム最年長とは思えぬエネルギッシュな動きで縦横無尽にピッチを駆けまわり、チームの危機を救った。
柏が経験した2006年と2010年の2度の昇格を、ピッチ上で迎えた選手はたったの2人しかいない。1人は近藤直也、もう1人が藏川だ。そして、多くの人たちが2010年のJ2優勝を回顧する時、必ず11月23日の横浜FC戦での藏川の決勝ゴールを思い起こすだろう。たとえ柏を離れても、黄色いユニフォームを着た藏川の姿がサポーターの記憶から離れることはない。絶対に。
以上
2010.12.18 Reported by 鈴木潤
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