Jリーグは、本日の理事会で海野 一幸(うみの かずゆき)氏、白幡 洋一(しらはた よういち) 氏、武田 信平(たけだ しんぺい)氏、中野 幸夫(なかの ゆきお)氏、野呂 輝久(のろ てるひさ)氏によるクラブ経営アドバイザーの発足を決定いたしました。任期は2年となります。
本施策は、各クラブへの助言および新任実行委員のサポートをすることによりクラブ経営を支援することを目的といたします。
■アドバイザー (敬称略、五十音順)
氏 名 | プロフィール |
海野 一幸 (うみの かずゆき) |
2001年、当時1億1280万円の債務超過に陥ったヴァンフォーレ甲府の再建を託され、代表取締役社長に就任。地元企業へのスポンサー営業強化、選手・スタッフによる地域との交流促進等の陣頭指揮をとり、2001年には単年度黒字を達成。2006年には債務超過を解消。就任後はすべての年度において単年度黒字を達成。地方の小都市で、しかも、大企業の支援のない市民チームの再建は、多くの地方クラブが Jリーグ入りを目指すきっかけとなった。緻密なクラブ経営、ホームタウンでの人脈づくり、営業活動のプロフェッショナル。
【(株)ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ代表取締役】2001年1月~2016年4月(在任期間:15年3ヵ月) |
白幡 洋一 (しらはた よういち) |
ベガルタ仙台の社長として、2008年10月から2014年4月までの5年半で、経営体質強化とトップチーム強化に注力。2011年には東日本大震災に見舞われた際は自ら陣頭指揮をとり、早期に県外でのチーム活動再開を決定する。県外キャンプを前に、選手を含めたクラブ全員で被災地にボランティアとして出向くなど、クラブの存在意義を行動で示した。2013年にはクラブ初となるACL出場も果たす。「地域に貢献するソーシャルビジネス」をクラブ経営を通して実践するプロフェッショナル。
【(株)ベガルタ仙台代表取締役】2008年10月~2014年4月(在任期間:5年6ヵ月) |
武田 信平 (たけだ しんぺい) |
2000年12月よりフロンターレの社長として、地域に根ざしたクラブ作りを唱え、練習場の2面化、選手寮の建設、等々力競技場の改修、クラブハウスの建て直し等、クラブの土台作りに取り組んできた。富士通の100%出資だったクラブに川崎市や地元企業からの出資を募り、社名を「富士通川崎スポーツマネジメント」からチーム名と同じ「川崎フロンターレ」に改めた。またホームタウンでは、算数ドリルの開発等常に先駆的事例にチャレンジし、クラブが地域に存在する意味を体現しつづけた。誰よりもサッカーを愛し、ホームタウンの人々やサポーターから愛されるクラブ経営のプロッフェショナル。
【(株)川崎フロンターレ代表取締役】2000年12月~2016年4月(在任期間:15年4ヵ月) |
中野 幸夫 (なかの ゆきお) |
アルビレックス新潟の立ち上げに尽力し、1999年のチーム創設から専務取締役、代表取締役としてクラブ経営に携わる。観客の招待施策など様々な戦略を打ち、年間65万人以上の集客を誇るクラブへ育て、新潟の街とスタジアムをオレンジ一色に染めた立役者。Jリーグの理事を経て、2009年専務理事に就任。入場者数増のノウハウはもちろん、地域に根ざしたチーム創設、Jリーグ入会を目指す百年構想クラブ等への研修や経営指導のプロッフェショナル。
【(株)アルビレックス新潟代表取締役】2003年3月~2008年12月(在任期間:5年9ヶ月) |
野呂 輝久 (のろ てるひさ) |
2012年ガンバ大阪に着任以来、新スタジアム(市立吹田サッカースタジアム)建設の旗振り役として尽力。公共施設を民間資金(寄付金等)で建設し、完成後も指定管理に委ねることで、行政が一切経費を支出せず公共施設を保有するという官民連携の先駆的事例として注目を集める。また建設のみならず、スタジアムの指定管理を48年間という異例の長期契約を締結し、スタジアムビジネスの礎を築いた。スタジアム新設、官民連携のプロフェッショナル。
【(株)ガンバ大阪代表取締役】2013年1月~2016年4月(在任期間:3年3ヶ月) |