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コラム

プロサッカー選手としての経験、役立てています!

2018/5/1 19:00

5つのクラブを渡り歩いた元Jリーガーは、今ではビール販売の営業マン!~千代反田 充編~

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―「仕事はいまだに毎日大変。我慢、我慢の日々です」―

現役時代は5つのクラブを渡り歩き、J1への昇格や優勝を経験して、Jリーグ選手として酸いも甘いも経験した千代反田 充氏(37)。アビスパ福岡やアルビレックス新潟などでディフェンダーとして2014年まで選手として活躍した。

現役を退いた今、アサヒビール株式会社でビール販売の営業マンという、まったく新しい仕事に飛び込んで活躍している。

営業のジャンルで最も厳しいといわれるビール業界を何故選んだのだろうか?そこには『引退した選手の選択肢を増やしたい』という想いがあったからだ。各業界で好評を得ているこのコーナー、今回は新たな世界で自分が最も輝ける場所を常に探し続けている千代反田氏に思いの丈を語ってもらった。

―高校卒業後にプロへは進まず、筑波大学へ―

東福岡高校時代は全国優勝を果たし、三冠(インターハイ、全日本ユース選手権、全国高校選手権で優勝)も達成した。当然、卒業後はプロであるJリーグ入りを考えた。

「でも、両親からは『できれば大学に』と言われ、僕自身も『大学後にプロになれなかったとしたら、高校からプロに行っても上手くはいかない』と悩んだ末、筑波大学に進学することを決めたのです」

ところが大学へ入学して体験したのは、高校のように厳しい先生がいるわけでもなく、環境も恵まれ、当初の目標を忘れがちになったことだった。さすがに3年生になった時、「このままではマズイと思った」。そこから気持ちを入れ替え、一般の生徒が就職活動をする中で、プロサッカー選手を目指して練習を繰り返し、2003年に見事アビスパ福岡からオファーを受け、プロ選手として契約を交わした。

 
 

―忘れられない新潟時代のサポーターの後押し―

福岡で4年間プレーした後、2007年にはアルビレックス新潟に移籍した。

ここで千代反田氏は、現役時代に一番印象に残る体験をすることになる。

「よく新潟の後に移籍した名古屋グランパスでのJ1初優勝の経験を聞かれるのですが、ベンチにはいましたし少しは仕事をしたと思いますが……。決してスタメンではなく、バリバリ出場していたわけではありません。現役をやっていて本当に一番印象に残っているのは新潟時代かなと思います」

ふり返ってみて、大学卒業後に唯一オファーがあった福岡への感謝の気持ちは今も変わらないが、自分の持っている実力以上の力を発揮できたのは新潟時代だけだった。そこで彼を待っていたのはJリーグ屈指の大サポーターが後押しするビッグスワンという“最高の環境”だった。

「当時は4万人の観客が入った試合もありましたね。普通でも3万後半は入っていた時期です。出場した選手しか、あの感覚は分からないと思います。これだけの観客がいるピッチに立った瞬間、何ていうか、気持ちが凄いレベルまで高まっていくんです。大げさにいうと命を削るというか。そういう意識でプレーしていました」

誰もが経験できることではないだろう。満員のスタジアムのピッチの上、あの時の、あの瞬間の血が逆流するような興奮は、今も千代反田氏には手に取るような身近な感覚として残っているようだ。

―34歳からの“就活”、どうやって成功したのか―

その後は名古屋グランパス、ジュビロ磐田、徳島ヴォルティスと歩き渡り、2014年に引退。

晩年は怪我がちだったが、まだまだJ1の舞台で戦える自信を持ちトライアウトにも果敢に挑戦した。

「でも、需要がなければ辞めなくてはいけません。あと、当時34歳でしたが一般企業への就職を考えた時に35歳になったら何かちょっと変わってしまうような気がしたのです。なので34歳のうちに新しい分野に挑戦しようと決めたんです」

当時の千代反田氏が何故そう思ったかは定かではないが、これは一般企業へ就職するなら正しい選択だった。1、2年現役を長く続けるよりも35歳になる前に現役を退き、その後の長い人生に備える。いずれにしても千代反田氏の出した答えであり、この通りの行動を取っていった。

そして、いざ“就活”。しかし、何から手をつけていいかさっぱり分からなかった。自分で職務経歴書をつくる、自己アピールする、面接のシミュレーションをする……生まれて初めての作業に苦労は絶えなかった。

「就職活動の時は普通に人材紹介会社に登録して、アドバイスをもらいました。頑張って履歴書も書きました。大学の先輩が添削してくれたりもしました。同時にいろいろな方にも会いました。興味のある会社の社員、大学の後輩、親戚と自分が思いつくところにはすべて足を運びました。少しでも可能性のあるところはすべてあたりました」

まさに就活の真っ最中だった。Jリーグ経由でアサヒビールが社員を採用をするという話を耳にした。

「日本プロサッカー選手会の方から教えてもらったのです。アサヒビールは第二新卒くらいの年次を求めていたようで、正直、年齢がネックになっていたのですが、諦めずに選手協会の方に『面接だけでもお願いします!』と懇願したのです。僕としては、大企業がどういう面接をやっていくか、何を求めているのか聞くことができると考えていました」

思いは実った。面接が実現したのだ。

「言ってみるものだなと(笑)。面接が終わって1週間ぐらいしたら、もう一度面接をやりますと言われたんです。二度目の面接を受けた後、アサヒビールの内定をもらったのです」

―自分の身の回りのことはすべて自分でやらなければいけない環境―

現在の仕事は日々しのぎを削るアルコール業界の、しかも最激戦のビール販売である。難しさはいっぱいあるはずだ。

「最初の担当エリアは北区や荒川区など都内の北側でした。現在は酒屋さんと外食チェーン担当の社員の間に入って仕事をしています。各地域の酒屋さんは大事なお客様なんです。営業周りは確かに大変なのですが、大事なのはお客様からのいろんなご要望にどれだけ応えられるか。ご対応をしたいけど様々な要因で難しい。そこを本当に可能な限り『ご対応できる』にまでもっていく。そういうところは難しいですね……」

今も日々の営業活動をして戦っている。そんな日々のなか、ふとプロ選手の頃と今の自分を比較することがあるという。選手時代と今の違いは決定的な部分がある。

「基本、プロサッカー選手はいろんなことを他人にやってもらっていました。準備もスケジュールも。今の仕事では、自分の身の回りのことはすべて自分でやらなければいけません。そこはまだ自分の足りないところですが、プロ選手なら自分のスケジュール管理や練習の準備くらい自分でやらないといけないと気づかされました」。

また逆に選手時代から変わらない考え方があるという。それは「ファンがいなければ、チームがなければ、サッカーはできない」ということ。素晴らしいプロの環境に居させてもらえるっている、そこでプレーできている、とても有難いことで感謝は忘れたことはなかった。現在のアサヒビールでも周囲の環境に恵まれながら仕事させてもらっている。千代反田氏は今も基本的に、同じ考えで働いている。

 
 

―サッカーもビジネスも、課題解決の本質は同じ―

ビジネスの最前線で戦う千代反田氏にとって、Jリーグ時代の経験はどのように活きているのだろうか。

「現役の時は、何か問題があれば『その問題が発生する確率をどう減らすか?』という作業を繰り返しました。僕のポジションはセンターバックなので、ゴールされないための確率を上げるシミュレーションをずっとしていました。こうしたら1点を奪われるところを、1試合平均0.5点の失点に抑える。そのためにどんな取組みが必要か。そういった細かい作業を結構やっていました。アサヒビールの仕事でもミスをしないため、ちょっとこうしてみようとか、こうしてやった方がミスが減るなど、いろんな角度から考えています。物事の進め方の本質はサッカーも仕事も同じだと思います」

平然と言ってのける千代反田氏だが、一つひとつの言葉の重みが違っている。人が見ていないところで日々大変な努力を重ねているのは間違いない。

現役のJリーグ選手へのアドバイスでは、厳しい意見も飛び出した。それは何より自己への反省でもあった。

「今の選手へのアドバイスですか!? 僕も何もできなかったので偉そうなことは言えませんが、選手を辞めた後にこれをやるんだという目標があれば、それに向かって行動すればいいわけです。それがないから『何やんの?』という状態になります。
ただ、プロ選手としては、目の前の練習や試合に一生懸命にやるべきことがあります。正直、現役選手の生活を送りながらセカンドキャリアを考えるのは難しいですね……」

それでも千代反田氏は、いろんなアドバイスを現役選手に提案してくれた。例えば自分の名刺を持つこと。挨拶する際には「名刺」を差し出す。飲食店に行っても、その名刺で自己紹介する。個人経営者だと思って行動すれば、少しずつ意識も変わっていくのだそうだ。

「ちょっとのことでいい。現役選手は、それくらいでいい。それがきっかけでファンも増え、助けてくれる人がいつの間にか増えていくことがあります。現役時代なら相手の方も嬉しいと思いますしね」

現役時代にどれだけネットワークを築くことができるか。これは大変重要で、今まで登場していただいた廣瀬 智靖氏、三原 廣樹氏、青山 隼氏など全員が同じことを主張している。現役プロサッカー選手やアスリートにとって、セカンドキャリアを考えるうえで大事な要素となるはずだ。

 
 

―Jクラブも選手のセカンドキャリアを意識する時代へ―

最後に今後の夢やビジョンを聞いてみた。

「今の会社でずっと営業職でいるかどうかは分かりません。でも、可能な限り自分の持ち味が発揮できるようにしていきたい。どこにいても精一杯、目の前の仕事をやっていきたい。同時にエネルギーが落ちないよう継続していけるようにしたいのです。今は営業以外のイメージがわかないので、今いる場所で頑張る。やりたいことはこれから探す感じですね。それと、いつかはJリーガーに僕の少なからずの体験を話さなければいけないとも思っています」

また、アスリートのセカンドキャリアについて、こういった要望も話してくれた。

「あと、セカンドキャリアについてはJリーグの各チームがもっと意識を持たないといけない時にきているのではと思っています。スタジアムの看板を見ると有難い事に多くのスポンサーや大きな企業が名を連ねています。これだけ多くのスポンサーがあるので、Jリーグ選手が引退する際にスポンサー企業の間にクラブが入って話を進めていく。そういうことが一例でもあればどんどん広がっていくと思います。こういった仕組みがあれば高校生、大学生がJリーグに入る際に本人や家族が安心すると思うのです。僕の両親だって、そんな取組みがあれば別の答えがあったかもしれません。間違いなくクラブの価値が上がります」

インタビューの後、すぐに取引先へと向かった千代反田氏。そのスーツの後ろ姿は颯爽としていた。いつか多くの現役Jリーグ選手の前で自身の体験を話す機会がくることだろう。誕生して25年が経ったJリーグ、セカンドキャリアへの取組みも新しい段階に入っている。

Text By:上野直彦