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第17節 6.1(土) 15:00KO 国立競技場 鹿島vs横浜FM 国立競技場に10,000名様無料ご招待
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かつてYoung Gunsとして活躍したJリーグに名を残すレジェンドたちが、自分自身の若手時代と現在の若手選手について語るひととき「Young Guns Talk - legendary edition」。今回はJリーグ開幕時にヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ)で三浦知良やラモス瑠偉、武田修宏らと共にチームの黄金時代を支えた北澤豪。

誰もがそこを狙っているので、試合だけではなく日常の練習も厳しかった

──はじめに、ご自身がプロデビューした時のことを聞かせていただけますか。
「我々の時代はまだJリーグがなかったので、サッカー選手としてのデビューは日本リーグ時代のこと。世間からはセミプロという言われ方をされてましたけど、当時の国内トップリーグなので、自分の中ではプロという想いでいました。だから、本田技研での初めての試合が、僕の中でのプロデビューという意識ですね」

──そのデビュー戦は緊張されました?
「やっとかよ、という感じでしたね。なかなか使ってもらえなかったので。やっぱり、学生のサッカーから社会人に入ると、年齢の幅も広いので、与えられる機会というのはなかなかないんだなと。革新的なものがない限りは使ってもらえない。大人のサッカーの厳しさをすごく感じました」

──1993年のJリーグ開幕は、ヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ)の選手として迎えましたが、当時はまだ若手の立場だったと思います。どんな選手だったのでしょうか?
「正直、若いという意識はなかったですね。当時は23、4歳くらいだったんですけど、試合に出ている以上、年齢的なことは考えていませんでした。ただ、隣にラモス(瑠偉)さんとかがいるので、若い自分が先に動き出さないといけない。きっかけを作るのは若い人たちだと思っていたし、鼻息荒く先陣を切っていくことが許される部分もあったので。先輩が先に出ていって、自分たちが後から付いていくという姿勢ではなかったですね」

──個性の強い選手が多かったなか、どういう想いでレギュラー争いに挑んでいたのでしょうか?
「毎日が戦いですよ。試合で結果を出さなければいけないのはもちろんですけど、日常の練習でも、さらに若い選手が、俺を削ることによってそのポジションを奪ってやろうと思ってやっている。誰もがそこを狙っているので、試合だけではなく日常の練習も厳しかったですね」

──削り合うのが普通の環境だった?
「ヴェルディはいち早く、プロとしての意識付けをしてきたクラブで、若い選手たちは年齢に関係なく、試合に出ることがなんぼだと考えていた。誰もが自分の意識を表現できるので、争いの厳しい場ではありましたね。ラモスさんでさえ、自分を脅かすような存在が出てくると、かなり激しく行ってましたし、しかもパスも出さない。活躍してもらいたくない選手にはパスを出さないから、僕も本田から移籍してきたときは、まったくパスが来なかった(笑)。だから、自分で取りに行くしかないんですよ。自分で取って自分で結果を出す。常に何かを起こさなければ、認めてもらえないという世界でしたから」

──仲良し集団ではなかったということですね。
「勝ちたいという意識が強い仲間が集まっていましたね。自分のサッカー哲学を持っている人たちばかりなので、ひとつ問題が起きた時には当然揉めるけど、そこで意見を言い合うことができました。サッカーは協調性が大事だけど、個人としてどう考えているかをぶつけ合うことも大事。それができるチームでしたね」

──北澤さんも、先輩に意見していたんですか?
「言えないんだったら、ここにいるなと言われてしまうので。考えを持っていなければこの場にいる資格がない。プロじゃないと言われてしまう。もっともだよね。一つひとつのプレーに対して自分の考えがなければ、試合でできるわけはない。だから常に考えていましたよ」

喜びを継続的につなげていくというのは、将来を考えれば大事なこと。

──当時、お世話になった先輩を挙げるとすれば?
「ラモスさんは僕より12歳上になりますけど、存在感は大きかったですね。若い選手が活躍すると、外車を買うわけです。そうすると帰りがけに、ピカピカの車の前に、カラーコーンが立っているんですね。ちょっと活躍したくらいで、車を買うのかと。シーズンを通してまだ何も成し遂げていないのに、その前にやることがあるんじゃないかという意味が込められたカラーコーンなんだよね。やり方としては厳しいかもしれないけど、若い選手は気づかなかったりもする。喜びを何かの形にするのも大事だけど、喜びを継続的につなげていくというのは、将来を考えればもっと大事なこと。ムカつくオヤジだったけど(笑)、はっと気づかされるようなことを言ってくれる存在がいたのは大きかったですね」

──ほかに、先輩に関する印象的なエピソードはありますか?
「加入した当初は、なかなかみんなが僕に協力的ではなかったんですけど、ある大会で決勝ゴールを決めたんです。その時に菊池新吉さんから、やっとチームメイトになれたねって言われたんです。その時は嬉しい反面、ぎくってしたよね。やっぱり結果を出さないと、チームメイトとして認められないんだなと。チームメイトになるためには、自分がチームに何かもたらさないといけない。そういうことなんだなと、強く感じました」

負けたら先輩に責任を押し付ければいいという気持ちも、若いうちにはありましたよ(笑)

──では、当時のライバルを挙げるとすれば?
「一個下に、菊原志郎がいたからね。天才と言われた男だから。天才と同じようなことはできないと思ったし、自分はその対極にあるものを表現していかないといけないと思っていました。対極を見る意識を与えてくれたという意味で、良い存在だったなと思いますね。あとは三浦知良がいましたから。向こうはライバルだとは思ってくれないけど、目標設定を高くに置くことも大事なので、カズさんに対しても、ライバル心を持っていましたよ」

──選手生活を通して、一番プレッシャーを感じたことはなんでしょう?
「負けそうな時だね。残り時間が少ししかなくて、自分のパスミスから失点するとか、その後に取り返す時間があるのかとか。そういうことの責任やプレッシャーはありましたね。特に(1995年の)チャンピオンシップでマリノスに負けた時は、地に足がつかない状態になっていました。やっぱり、思うようにいかなかったときには、プレッシャーをすごく感じていたと思います」

──プレッシャーを押しのける術はあったのですか?
「僕は多少の緊張感があった時のほうが、力を発揮できるタイプ。だから、あえて、緊張感を持ったまま試合に入っていました。もちろん不安なものもあるんですけど、それすらも楽しんでいるところはありましたね。負けたら先輩に責任を押し付ければいいという気持ちも、若いうちにはありましたよ(笑)」

──今の若手に対しては、どういった印象を持っていますか?
「今の20歳くらいの選手たちって、全小(全日本少年サッカー大会)から見ている子もいますからね。原口(元気)も、彼が出ていた全小の決勝戦を僕が解説していましたし」

──北澤さん自身が若手だった時と比べて、違いを感じますか?
「一番違いを感じるのは、眉間にしわを寄せないこと。普通、気合入った時はしわが寄るじゃないですか。でも最近の若い選手は、ツルンとしてるからね」

──それは、あまりよくないことだと?
「はじめは、そういうふうに思っていたの。なんで、感情を出さないのかなって。でも、実際に話したりすると、そういった想いを見せないだけで、強く持っていることが分かった。逆に言うと、相手に想いを感じ取られないように、あえて見せていないのかなと。持ってはいるんだけど、駆け引きとして、感情をあらわにしない。でも最近、井手口(陽介)とかが、しわを寄せてプレーしている姿を見るのは、やっぱり嬉しい。そこは、僕らの年代の人たちから見れば、称賛しやすいポイントなのかなと思いますけどね」

自分を守ろうとせず、先のビジョンを持って、突き進んでもらいたい

──自分が若手だった頃の経験をもとに、今の若手にこうしたらいいというアドバイスはありますか?
「我々の時代と比べると、経験が違うと思うんですよね。Jリーグも高いレベルになって、国際試合もたくさんやれるようになってきた。ある意味、贅沢な経験をしていると思うんです。我々はそこまでの経験はできなかったし、限られた人間だけだったと思う。でも限られたなかで、その経験を次に活かそうという意識を強く持っていた。今の環境を考えれば、それを活かしていくことによって、もっと伸びる要素がそこにあると思っていて。だからやっただけにならないように気を付けなければいけないと思う。経験を次に活かすことをさらに意識すれば、もっと早い段階で、成功を収めることができるのかなと思いますね」

──若手だからこそ、経験できないこともあるのでしょうか?
「正直、僕が若かった頃は日本のサッカーがこれまでどうだったとか、歴史的なことを気にしたことはなかったんですよ。昔がどうというより、先のことしか見ていなかった。それでいいんですよ。だからこそ新しいものが生まれてくると思うし、今まで想像もつかなかったことがプレーとして表現されてくると思う。自分を守ろうとせず、先のビジョンを持って、突き進んでもらいたいですね。鼻息荒く、眉間にしわを寄せてもいいから、立ち止まるんじゃなくて、前に進んでいってもらいたい。僕らはワールドカップに出ている国にしなければいけないという風にしか思っていなかった。周りの先輩方からは、無理じゃないっていう雰囲気が漂っていやけど、僕らはそんな歴史を知らないから、たとえ韓国にだって、勝てるだろうって思っていた。ある意味で、強気なんですよね」

ポジティブな空気を作り出しすぎちゃって、ちょっと待てよ、って言われるくらいの若手が出てこないと時代は変わらない

──TAG Heuer YOUNG GUNS AWARDには「革新は、いつだって若い世代から生まれる」というキャッチコピーがありますが、北澤さんはそう思われますか?
「正しいですよね。ポジティブな空気を作り出すのは若い人たちだと思う。出しすぎちゃって、ちょっと待てよ、って言われるくらいの若手が出てこないと時代は変わらないし、Jリーグは変わらない。今のJリーグをこうしたいよねって、具体的なことを言える若い選手たちが出てこないと、面白みがないし、ロマンもない。サッカーって、選手がロマンを語る場でもあると思う。そういう意識が、時代を変えていくことになると思いますね」

──TAG Heuer YOUNG GUNS AWARDは、若手に対するモチベーションになると思いますか?
「なりますよね。やっぱり、称賛の場を増やすのは大事だと思う。それが本当に正しかったのか、何か世の中に貢献できたのか、ということは結局、自分でジャッジするしかない。でも世の中にジャッジされることによって、これで良かったんだって確信を持てる。そうすると勇気を持って、次のターゲットに突き進もうって思えるはずなんだよね。だから、こういった称賛の場を増やすことは、すごく大事だなって思う。表彰されると、若い選手は恥ずかしがったりするけど、内心は大喜びなんだよね。本人のモチベーションにもなるし、周りの人たちも喜ぶと思う。そうなると、支えてもらってきた人たちがもっと見えてくるんですよ。こんなに多くの人たちから支えられていたんだなって思えれば、もっと人のために頑張ろうって気持ちになる。称賛されることで、新しい大きな力が生まれてくると思います」

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