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コラム

青山 知雄の悠々J適

2015/3/19 19:52

次世代へ継承される伝統の背番号(♯3)

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先週日曜日は、スカパー!で明治安田生命J2リーグのセレッソ大阪vs大宮アルディージャを観戦した。試合は今シーズンから加入した玉田圭司の2得点でC大阪が勝利。ゴールシーンは豪快に叩き込んだ2点目の直接FKが印象的だったが、自分が目を引かれたのは1点目。ペナルティエリア内で巧みなパス回しから鋭く抜け出し、飛び出してきた相手GKの動きを読み、体を開いて左足で逆を突いて流し込んだ秀逸なゴールに関してだ。それも得点そのものではなく、決めた際に見せたパフォーマンスに思索を巡らせた。玉田がゴール裏サポーターに背中を向け、両手の親指で背番号20をアピールしたのだ。

西澤明訓氏が背負った20番を着け、早速活躍を見せた玉田圭司。
西澤明訓氏が背負った20番を着け、早速活躍を見せた玉田圭司。

今シーズン開幕前に名古屋グランパスから新加入した彼にとって、ホーム開幕戦は地元サポーターへのお披露目マッチでもあった。試合後に「早くセレッソの一員になりたかった。一日も早く結果が欲しかった」と話していたように、節目で結果を出して自分の背番号を覚えてもらいたいという思いがあったのだろう。鮮烈な本拠デビューとゴールパフォーマンスでC大阪サポーターの脳裏にも新しい「20番」が焼き付けられたはず。と同時に、かつてチームの代名詞的存在だった伝説の「20番」を思い出したサポーターも多かったことと思う。

C大阪と言えば、2008年までクラブ一筋でプレーし、チームを牽引した森島寛晃氏の「8番」が代々受け継がれていることで有名だ。8番のユニフォームは引退セレモニーで森島氏本人から香川真司(現ボルシア・ドルトムント/ドイツ)へ直接手渡され(というか強引に着せ込まれ)、そこから清武弘嗣(現ハノーファー96/ドイツ)、柿谷曜一朗(現バーゼル/スイス)と、攻撃の中軸を担う選手へと託されてきた。特にスクールからC大阪育ちの柿谷は、子供の頃から桜の「8番」に強く憧れていたという。今でも長居スタジアムには森島氏のシルエットが描かれた「8」のビッグフラッグが掲げられており、8番は柿谷が海外移籍した後は誰も着けていない。まさに特別な背番号なのだ。

C大阪の背番号8は、森島寛晃氏をはじめ香川真司(写真)などチームの中心選手が背負う特別な番号。
C大阪の背番号8は、森島寛晃氏をはじめ香川真司(写真)などチームの中心選手が背負う特別な番号。

そしてC大阪で「8」とともにサポーターの記憶に強く残っているであろう背番号が、かつて西澤明訓氏の着けていた「20」だ。長居スタジアムのバックスタンド側コーナー付近には「8」とともに、「20」のビッグフラッグも掲出され続けている。これからも長く語り継がれていくべきレジェンドへの敬意、そしてクラブ史を支えた彼らを大切にするサポーターの思いが詰まった横断幕。新たな20番も多くの人々の記憶を背負いながら歴史を築いていくのだろうかと、現地に思いを馳せた。

ここでJリーグの背番号制について簡単に振り返っておこう。現在の固定背番号制が導入されたのは1997年からで、Jリーグが開幕した1993年から1996年までは変動背番号制が用いられていた。当時は試合ごとに先発メンバーが1~11番、ベンチ入りメンバーが12番以降を着け、選手ごとに背番号が決まっていたわけではなかった。例えば「10番」が代名詞だった名古屋のストイコビッチが「9」を背負ったりしたこともあった。現在のJリーグ規約では1番がGK、2番~11番はフィールドプレーヤーが着けるように決められており、12番から50番までは自由に選択できる。わざと大きい背番号を選んで目立つようにしたり、サポーターへの感謝の思いから「サンキュー」という語呂合わせで「39」を選んだりするケースもある。空き番号から選ぶ選手もいれば、強いこだわりを持つ人もいる。理由はそれぞれだ。

以前、マンチェスター・ユナイテッドの試合観戦にイングランドのオールド・トラフォードを訪れた際、「LEGEND OF 7」というTシャツが売られているのを見た。エリック・カントナ、デイヴィッド・ベッカム、クリスティアーノ・ロナウドのイラストが描かれたものだ。プレミアリーグが固定背番号制を導入し、「7番」が攻撃の中心選手へ受け継がれるうちにクラブ伝統の背番号へとなっていった。最近のマンチェスター・Uはあまり「7」を重視していないようにも感じるが、やはりサポーターにとっては特別な番号。チームでの活躍やクラブへの貢献度が愛着を持たせ、特別なものへと変わっていくのだろう。それがカントナであり、ベッカムであり、C・ロナウドの存在だったのだと思う。

迎えた今シーズンは、複数のJクラブで象徴的な背番号が受け継がれるケースが多く見受けられた。

名古屋では、田口泰士が中村直志氏の着けた背番号7を継承した。
名古屋では、田口泰士が中村直志氏の着けた背番号7を継承した。

いくつか例を挙げてみると、名古屋は「7番」を昨シーズン限りで現役を退いた中村直志から田口泰士へ継承。クラブ一筋14年、うち12年間にわたって7番を着けた中村から「着けてほしい」と打診を受けた田口が快諾した形だ。田口自身は「直志さんが背負い続けた番号を受け継がせてもらったことはうれしいですけど、あまり意識せずに自分らしさを出していきたい」と話しており、新しい赤の7番像を構築する覚悟を固めている様子だった。

鹿島アントラーズは秋田豊と岩政大樹(現ファジアーノ岡山)が背負ったディフェンスリーダーの「3」が昌子源へ、小笠原満男や野沢拓也がまとった司令塔の「8」が土居聖真へと受け継がれている。昌子が持つヘディングの強さ、積極的なコーチングは秋田氏も「鹿島のディフェンスリーダーとして必要な部分。昌子はそれを持っている」と認める。さらにスピードも持ち合わせており、昌子は「前に着けていた二人とは違う新しい3番を作り上げていきたい」と話している。

また、ジュビロ磐田の名波浩監督が現役時代に着けていた「7番」も、指揮官が自らの引退会見で後継者に指名していた上田康太へと手渡された。磐田ユース出身の上田は兼ねてから同じボランチで左利きの名波監督を憧れの存在に挙げており、大宮アルディージャ、岡山と渡り歩く中で自身も27番、17番、7番と「7」にこだわった番号を選択していた。そして今年、古巣に舞い戻って「7番」を託されたことには「うれしさはあるけど、それよりも強く責任感を感じている」とコメントしていた。

Jリーグでも各クラブに受け継がれている背番号がある。これから重みを増していく番号もあるだろう。在籍年数、クラブへの貢献度、強烈なインパクトを残した選手、印象的なプレースタイル、感情をむき出しに戦うスタイル……。サポーターの心を打つ理由は多種多様だ。それは万人に受け入れられるものから、個人的なものまで様々だと思う。長くクラブを見ていくことで、いつの間にか特別な番号ができているかもしれない。ほとんどの背番号は毎年誰かが着けることになり、次から次へと受け渡されていくものだが、せっかくの歴史を単に選手を識別する番号として見るのはあまりに惜しい。新世代へと託されていく伝統のナンバー。こういった背番号の系譜をフィルターにチームを見守るのも一興に思う。