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【広島:下田崇選手 現役引退会見】会見でのコメント(10.12.18)

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本日、広島市内で下田崇選手の現役引退会見が行われました。出席者コメントは以下のとおりです。
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●織田秀和 強化部長
「1994年に広島加入以来、下田は17年間にわたって広島の守護神として、ゴールに鍵をかけてきてくれました。我々にとって、とても大切な選手です。ただ、サッカー選手として年齢を重ねてきたとともに、残念なことに膝のケガも重なってしまいました。
彼にしてみれば、もっともっと現役として選手生活を続けたいという想いはあっただろうし、我々としても広島一筋で頑張ってくれた地元出身の選手である下田に対し、できるだけサポートしたいという気持ちも強かった。ですが、クラブの立場としては、世代交代を推し進める必要もあり、次へのチームづくりを考えざるをえませんでした。その中で、10月だったと思いますが、下田と話をして『選手としては契約を延長しない』ということを伝えました。
ただ、彼の持つ日本トップレベルでのプレー経験などを、後進の育成の中で活かしてほしいという想いがあり、また彼の人間性を考えても、いい指導者になれるという確信もあった。そこで選手としては契約しないが、もし引退するのであればコーチとして広島に残ってほしいとも同時に伝えました。
当初は彼も現役生活を続けたいという気持ちがあり、即答してはもらえませんでした。しかし会見の前にも改めて、彼のほうから「サンフレッチェのスタッフとして仕事がしたい」という話がありました。来季の下田は、プロクラブのコーチとしてスタッフに加わる予定です。広島には、日本でもトップクラスのGKコーチである望月一頼がいますから、彼とともにコーチとしての仕事を行うことで、下田自身もコーチとしての勉強を続けてほしい。望月コーチだけでなく、加藤・阿江と2人のGKコーチも(アカデミーには)いるわけで、彼らからもしっかりと指導ノウハウを学びながら、一人の指導者として成長していってほしいと思います」

◆以下より代表質問

●下田崇選手
Q:引退を決めた、今の気持ちは?
「いろいろ考えた末に、引退を決断しました。この記者会見が自分の現役生活の中で最後の仕事になります。この会見が終われば、次へのステップへのスイッチを入れることができる」

Q:控え室では、どんな気持ちで待っていたのですか?
「緊張して、待っていました」

Q:引退を決意した理由は?
「広島、というのが一番大きいですね。もちろん、プレーを続けることも考えましたが、広島に残って広島のために働きたいという気持ちがだんだんと大きくなりました。自分が何をすれば楽しいのかと考えた時に、こういう決断に至りました」

Q:引退を選んだ瞬間、きっかけとは?
「時間をかけて、じっくりと考えました。一番は、広島のために力になりたいと思ったこと。(広島の後輩に)何を伝えられるか、広島の皆さんと一緒に喜ぶことがやりたかった。それが頭に浮かんだ時に、引退を決断しました」

Q:今は現役への想いは?
「まったくないです」

Q:来季の選手契約を結ばないと通告された時の気持ちは?
「それを聞いた時は、100%、現役を続けるつもりでした」

Q:時間が経つにつれて、変わっていったと?
「そうですね。通告を受けた瞬間は冷静じゃなかったですから。時間を置き、整理して考えると変わってきました」

Q:広島での17年間を振り返って、いかがですか?
「あっという間でした。いい時も悪い時も、チームで一緒にやれてきたことは、よかった」

Q:後ろにズラリと歴代のユニフォームが並んでいますが、思い入れは?
「最初のユニフォームは加入したての頃を、チェックのユニフォーム(1996年〜)を見ると、試合に出始めた頃を思い出します」

Q:17年間の思い出に残る試合は?
「悔しい想いのほうが、多いですね。天皇杯の決勝には2度出て2度負けているし。初出場の浦和戦も覚えているし、試合に出ていないけれど、今季のヤマザキナビスコカップ決勝やホーム最終戦も思い出になります」

Q:ここ数年は、悔しい想いをしてこられましたが、どんな気持ちでシーズンを過ごしてきたのですか?
「あのゴール前にもう一度立つという気持ちを強く持ち、しっかりとリハビリをしていた。あとは、試合に出ていなくても、しっかりとチームに貢献できるように、ずっと練習を頑張ってやった。確かに試合には出られなかったが、僕にとってはとてもいい経験になったと思います。そういう経験から学んだことを、いろんな形で伝えていきたい」

Q:J1・J2リーグ戦を合わせて331試合出場という数字が残っています。
「そんなにたくさん試合に出たんだなという気持ちがあります。その中で……………、J1だけで300試合近く出たんだという……、その……、たくさん出たんですが、どんな試合でもゴール前に立つということは、いつも新鮮な気持ちでいることができたと思います」

Q:ホーム最終戦の時も感謝の言葉をおっしゃっていましたが、今はどなたにその想いを伝えたいですか?
「17年間、ずっと応援してくれたサポーターの皆さんに、改めてお礼を言いたい」

Q:今後の進路については?
「コーチとしてサンフレッチェ広島に残って経験を積み、指導者の勉強をしていきたい。選手とはまた違った形で、サンフレッチェや広島の皆さんに感動や夢を与えていきたい。皆さんと一緒に、頑張っていきたい」

Q:どんな指導者になっていきたいですか?
「まずは、しっかりとした指導能力を身に付けたい。その後で、自分の経験や感じたものは伝えられる。そして、かつて広島で指導を受けた監督さんの言われたことを自分のものにしていきながら、下田崇らしい指導者になっていきたい」

Q:今後の夢は?
「今度はコーチとしてビッグアーチに立ちたい。僕がモチ(望月コーチ)さんに育ててもらったように、選手たちに『下田崇に教えてもらった』と言ってもらえるようなコーチになりたい」

Q:サポーターに一言。
「17年間、サポートしていただいて、ありがとうございました。これからはサンフレッチェでコーチとしての道を進んでいきたいと思います。そしてサポーターの皆さんと感動を共有できるように、闘っていきたい。長い間、ありがとうございました」

◆以下より質疑応答

Q:17年間、お疲れさまでした。サンフレッチェ広島の生え抜きの選手がこういう形で引退記者会見を行うのは初めてなのですが、その事実についてはどう感じていますか?
「ホーム最終戦の時に、ああいうセレモニーを行ってもらったこと。ああいう形で(サポーターに)挨拶する場を提供してもらったことを、すごく感謝しています。セレモニーの後、ある選手が『自分もああいう形で(現役を)終わりたい』と言っていたらしいんですね。周りの選手たちがそう思ってくれているという事実そのもので、17年間、広島の選手としてやってきてよかったなと思えること。今回、こういう形で記者会見を開いていただけたのは、自分がやってきたことを評価していただいているということ。すごく……………、感謝しています」

Q:最後の試合の後、引退か現役を続けるのか悩んでいると言われていたのですが、どのタイミングで最終的な決断をくだしたのか。あと、家族の方はどう言われていたのか?
「家族は、自分に任せてくれていた。とにかくずっと悩んでいたのですが、身体と心を冷静に見られるようになって、少しずつ『引退』という方向に流れが行っていた。100%、引退を決めたのは、12月8日の『感謝の夕べ』の後。様々なクラブの行事が一段落したところで、落ち着いて決めました」

Q:もしケガがなければ、まだまだやれたと考えていますか?
「ケガをした箇所が特に悪いということではないけれど、自分のイメージと身体の動きにはギャップがある。いいプレーができない状態で現役を続けることができないと思いました。
ケガをしてしまったことは、自分がサッカーを続ける中で、そういう(ケガをしてしまうような)身体の使い方をしてしまったということかもしれない。もしかしたら、正しくない身体の使い方をしていたかもしれない。だから、若い選手たちには、ケガをしない身体の使い方を伝えていきたい。それも自分が経験した中で感じたことを、伝えていきたいですね」

Q:ゴール裏からのサポーターの声で、印象に残っていることは?
「ホームの場合は、やはり下田コールですね。アウェイだと、(相手のサポーターに)野次られることも多かった。若い頃、『前川っ』と声をかけられたことがあって(笑)。ヤジなんでしょうけど、目標としていた前川さんに雰囲気とかたたずまいとか、自分としても似てきたかなという想いもあったので(笑)、うれしかったですね。『前川じゃねえのか』『違うよ』とか言われていて……。でも、僕はうれしかった」

Q:前川和也さんから学んだことは?
「前川さんからは、GKとしての基本的なこと、全てを学びました。直接、前川さんに教えてもらったことはほとんどないのですが、まず僕は前川さんの真似から、入りましたから。ずっとそうやって練習をして、自分に自信がついてきたら、今度は前川さんに毎日の練習で勝負を挑んでいました。そして毎日、僕は前川さんに勝てなかったのですが、その『勝負の日々』が僕を成長させてくれたと思います。僕は、前川さんの後ろ姿や雰囲気から、たくさんのことを学んだ。今も、自分のプレーで困った時には前川さんのプレーを思い出して、『前川さんだったら、こうしていた』ということを考えていた。自分の中でのベースは、そこにあったんです」

Q:プロに入って、初の練習に参加した時の印象は? その時からここまで、現役でやれると思っていたか?
「初練習の時は、とにかくびっくりしました。何がなんだか、わからないくらい。スピードとかどうとか、そういう問題じゃない。自分がそこに立っていることが、不思議だった。こんなところでやっていけるのか、不思議だったですね。入った時は、ここまでやれるとか、そんなことは想像できなかった。プロに入って1年間、『自分は3年できるのか』とびびりながら、やっていました。今思えば、高校からGKを始めた僕のような選手だからこそ、全てのことが勉強だと思ってやってこられた。それが、よかったと思います」

Q:17年間のプロ生活は長かったか、短かったか?
「短かった。あっという間でしたね。最初と最後は覚えているけれど、途中はあまり思い出せない」

Q:コーチとしての抱負は?
「自分の経験と指導能力は一致しない。しっかりと指導能力を付け、コミュニケーション能力を磨きたい。自分の考えを伝えることは得意なほうじゃないので、今までとは違う勉強をしていきたい。自分の経験が伝えられるようになった時、自分の良さが生きてくると思うから」

Q:17年間の中で、自分自身を支えてきたものとは?
「広島出身だったということが、自分を支えてきた。たくさん応援してくれるサポーターの方も、広島出身ということを意識してくれたと思う。広島皆実高の先輩・後輩、中学校や小学校のみんなのためにも、サンフレッチェに入ってくる後輩たちのいい見本となりたいと思ってきました。広島のみなさんに応援してほしいという想いが常にあったので、ぶれることなくやれたと思います」

Q:日本代表に入った時には、どういう気持ちでしたか?
「サンフレッチェに入った時は、代表どうこうを意識するレベルではなかった。望月コーチの指導を受け、成長は感じた。ユースや五輪代表に入って川口(磐田)や楢崎(名古屋)など、他のチームのGKと一緒に練習するにつれ、自分もやれるという自信が出てきた。でも、広島に戻って前川さんを見て打ちのめされる。そして代表に行って自信を取り戻す。その繰り返しだったと思います。それが、自分を成長させてくれたと考えていますね」

以上

2010.12.18 Reported by 中野和也
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