2003.7.5 vs柏にて |
大津高校時代は主にFWだったが、スペインやJリーグのクラブからは国体などでプレーしたDFとして声がかかった。しかし、巻はFWにこだわり、自分はまだプロでは通用しないと自己評価して、駒澤大学に推薦入学した。「自分はおおざっぱで適当な性格」と話す巻だが、サッカーに関しては違ったようだ。大学サッカーの取材で見た巻は、すでに現在の姿に近いプレースタイルだったが、そのルーツを巻は次のように説明した。
「ちっちゃい頃からサッカーがすごくヘタクソで、周りの人よりも技術的に劣るのは自分でもわかっていた。でも、サッカーが大好きだし、やっぱり試合に出たい。どうしたら出られるんだろうって考えながらやっていたら、今みたいなプレーになりました(笑)」
動体視力や競り合いの強さなど、高校時代まで両立していたアイスホッケーの経験も活きているという。感覚派ではなく分析派の選手という巻は、勉強では「数学や化学が得意で、社会はまだよかったけど、国語と英語は大っ嫌い」だったそうだ。「昔から物事を分析しながら考えたりするのがすごく好きなほう。スポーツでも『なんでこういうプレーになるのかなぁ』とか、そういうことを考えながら、試合を見ていました」
大学では1年時からスタメンで試合に出るようになったが、全日本大学選抜にはなかなか入れなかった。2001年のユニバーシアード代表にしても、8月の本大会前に行なわれた5月の東アジア競技大会ではまだ選ばれていない。だが、チームのために献身的にプレーして得点する姿が瀧井敏郎監督に認められ、土壇場で念願の代表入りとなった。
ユニバーシアードでは全6試合に出場し、羽生直剛(現千葉)と並んでチーム最多の3得点をゲット。予選リーグでは珍しくドリブルからのシュートでゴールを決めたり、準決勝では交代出場する際に滝井監督から「守備を頑張れ」と指示されたりと、さまざまな経験を積みながら優勝に貢献した。「世界の舞台で戦って、自分にはあらゆる面のスピードが足りないとわかった」巻が重ねた努力は、4年生時の関東大学リーグ戦で結実。深井正樹(現鹿島)とともに12得点で得点王を受賞し、チームをリーグ戦初優勝に導いた。
◆潜在能力を見事に開花させたオシム監督の指導
駒澤大学卒業時、FWとして複数のJクラブから誘われた巻は「チームとしてすごく頑張るイメージがあった」千葉(当時は市原)への加入を決めた。ストライカーとして学ぶべき点が多い、韓国代表(当時)の崔龍洙が在籍していたことも理由の一つだった。そして、その時点では就任が決まっていなかったオシム監督との邂逅が、巻を大きく成長させることになった。
韓国キャンプでチームに合流したオシム監督は、帰国後の記者会見後に行われた懇親会で、巻の両親にこう言った。キャンプで巻の技術不足がわかっていたからなのかもしれない。
「あなたは息子さんを最後まであきらめずに走る子どもに育てましたか? もしもそうでなければ期待をしないほうがいいでしょう。もしもそうならば私が責任を持って育てます」
そして、巻の両親は「それだけは自信があります」と答えたそうだ。
実際のところ、本人いわく「市原でいちばんヘタクソだった」巻は、プロのレベルでボールコントロールに苦しみ、トラップもシュートも思うようにできなかった。得意なはずのヘディングで相手に競り勝てないこともあった。プロ1年目の夏、巻はオシム監督にチーム練習ではほとんどやらないシュート練習の自主練習を許可してもらうよう申し出た。
「その時に『自分には何が足りないんですか?』と聞いたんです。監督は『まずは俺の練習を100%でやれ。今のおまえに足りないものは、その練習に全部詰まっている。練習の中で、その1本のシュートを集中して打て』って言われました」
レベルアップには真剣勝負が必要と考えるオシム監督は練習試合を多く組み、得点者よりも、味方のためにスペースを空けたり、潰れ役になったりした選手を褒めることも珍しくなかった。巻はその指導やチームメートから多くのことを学んで一歩一歩成長した。スタメンの座は獲得できなかったが、FWに負傷者が続出した2004年シーズンは肋骨にひびが入ってもリーグ戦全試合に出場。大学時代から現在まで、頭部の負傷以外に右頬骨の陥没骨折、左手薬指の骨折なども経験したが、めったに休まずピッチに立ち続けた。
「怪我をしていても体が動けば、たぶんプレーできますね。さすがに足の骨が折れちゃったり、靱帯切れちゃったりして動けないんだったら無理ですけど(苦笑)。僕がサッカーをやる時にいちばん大切にしているものですか? 気持ちですね。多少コンディションが悪くても、技術が足りなくても、気持ちで補える部分があると思うので」
◆目標達成のカギは最後まであきらめない気持ち
2006.5.13 キリンカップ vsスコットランドにて |
「チームでもまだしっかり結果を出していなくて、まずはレギュラーを取ることが大事だったので。『まあ、みんな頑張ってよ』っていう感じで、軽ーく聞き流していました」
しかし、スタメンでのプレーが続き、新加入のマリオ・ハースとの連係の相乗効果もあって得点を重ねると、事態は一変した。昨年7月、東アジア選手権の追加招集で初めて日本代表に呼ばれたのだ。海外組招集の試合ではメンバーを外れることもあったが、ジーコ監督の指導や代表選手のプレーからも学んだ巻は、着実に技術もレベルアップした。今年2月のアメリカ戦での初ゴールを皮切りに代表で3得点をあげると、ワールドカップのメンバーの当落線上の選手として注目を集めた。雑誌や新聞、テレビなどの取材攻勢やサッカーファンの期待がプレッシャーにならないのか聞いてみると、巻は事もなげにこう答えた。
「僕はうまく流しちゃうほうなので。時間があっても、家でボーッとしているだけで暇だし(笑)。いろいろな人が応援してくれるのはやっぱりすごくうれしいですし、それが僕が頑張れるエネルギー源にもなっている。ポジティブな意味ですごくありがたいことです」
天才やファンタジスタ、サッカーエリートが集まる代表で「点は取りたいけど、チームが勝てば自分の得点はゼロでもいい」と言い切る、泥臭いタイプの巻は異質だ。確かに気持ちだけでは補えないプレーもあるが、技術があっても気持ちなくして得られない勝利もある。オシム監督が「練習では身につけられないものを持っている」「ジダンにはないものがある」と評する巻は、あきらめずに努力することの大切さを体現できる選手なのだ。
「チームが勝つことが第一の目標ですし、勝利に貢献できるように頑張りたい」
ワールドカップという未知の領域である世界最高峰の舞台でも、巻は最後まであきらめず、自分らしく『ONE FOR ALL』のプレーを発揮するに違いない。
以上
2006.05.29 Reported by 赤沼圭子
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◆巻 誠一郎 PROFILE
MAKI Seiichiro [千葉] FW 背番号11
1980年8月7日生 184cm/77kg
・Jリーグ初出場:2003/03/22 2003J1 1stステージ第1節 市原vs東京V@市原
・Jリーグ初得点:2003/08/02 2003J1 1stステージ第15節 市原vs浦和@国立
年度 | チーム | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||||||
試合数 | 時間(分) | 得点 | 勝 | 分 | 敗 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 | ||
2003 | 千葉 | 17 | 404 | 2 | 6 | 5 | 6 | 4 | 0 | 3 | 1 |
2004 | 千葉 | 30 | 1,629 | 6 | 13 | 11 | 6 | 5 | 4 | 1 | 0 |
2005 | 千葉 | 33 | 2,863 | 12 | 16 | 11 | 6 | 10 | 4 | 2 | 1 |
2006 | 千葉 | 12 | 1,076 | 6 | 5 | 5 | 2 | 3 | 3 | − | − |
※2006年記録は、5月28日現在