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【ワールドカップイヤー特別コラム:駒野友一(広島)】生命の危機や失明の恐怖を乗り越えた、アテネ世代唯一のワールドカップ戦士。(06.05.31)

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◆9日間で2度の手術

「クロスがくる。ブロックだ」
駒野友一は左足を上げた。それを見た相手はフェイントをかけ、ボールを蹴らなかった。弾くべきボールを見失った駒野の左足は、空しく地面におろされる。その瞬間、駒野の左膝はありえない方向へと曲がり、そのまま彼は雨でぬれた芝生の上へと崩れ落ちた。
駒野は立ち上がろうとした。痛みはあったが、まだボールを蹴ることができると思った。しかし、ドクターはピッチに戻ろうとする駒野に対し、首を振った。2003年8月16日の横浜FC戦、駒野友一がピッチに立っていたのはわずか6分間だった。

8月18日、駒野の検査はすぐに結果は出た。左膝前十字じん帯断裂。8ヶ月から10ヶ月、サッカーはできない。頭の中が、真っ白になった。何も考えることができなくなった。
自分にはサッカーしかないのに、それを奪われてしまった。
駒野は荒れた。当時つきあっていた映己子夫人に対して、やりきれない気持ちをぶつけた。きつい言葉もぶちまけた。そうしないと自分の気持ちのバランスがとれなくなっていた。そして、映己子さんはそんな駒野を、黙って受け止めていた。

9月9日、駒野は手術を受けた。2週間もすれば退院できる。そこからリハビリだ。駒野は必死で気持ちを切り替えようとした。しかし、そんな彼に生命の危機が訪れる。「サッカー生命」ではなく「本当の生命」だ。
9月17日、彼は突然、横腹に痛みを感じた。次第に呼吸も苦しくなり、身体を高熱が包んだ。すぐに、医師が呼ばれる。
「深部静脈血栓症、いわゆるエコノミークラス症候群だ。すぐに手術を」
高原直泰が2002年ワールドカップ直前にかかったことで知られるこの病気は、飛行機に乗らなくても発症する。駒野の場合、脚をギブスで固定したためにできた血の塊が、静脈に乗って肺にまで達しようとしていた。このまま放っておけば、血栓が肺の血管を塞ぎ、血液が循環しなくなって死に至ってしまう。実際、この病気のために急死した例もあるのだ。
緊急手術は幸いにして成功し、駒野の生命の危機は去った。しかし、駒野の気持ちは晴れない。この手術のために退院が2週間、先に延びたからだ。彼にとって、自分の生命よりもサッカーのために必要なリハビリが2週間先になったことのほうが、重要だったのだ。


◆再びおとずれた危機。失明の恐怖との戦い

2004.4.29 ヤマザキナビスコカップ vs横浜FMにて 
2004年4月29日、横浜国際総合競技場(現日産スタジアム)で行われたヤマザキナビスコカップの横浜FM戦で、「全治10ヶ月」という診断よりも約2ヶ月早く、駒野はピッチに戻ってきた。そして、駒野の目の前にはJ屈指の左サイド=ドゥトラがいた。
出場した45分間、彼は必死で闘った。ドゥトラを相手に一歩も引かず、シャツを引っ張られながらも構わず、前へ前へと進んだ。
「ああ、これなんだ。自分が求めていた世界は、これなんだなあ」
駒野は、嬉しかった。大好きなサッカーをやれるようになったことだけで、彼は満足だった。

思えば厳しいリハビリだった。単調なメニューの繰り返しと「再びサッカーができるようになるのか」という不安が彼をいらだたせ、トレーナーと衝突したこともあった。しかし、家族の支えやチームメイトの励まし、何よりサポーターから無数に届く千羽鶴や応援メッセージが、駒野の気持ちを奮い立たせた。
「僕は忘れられていたわけじゃない。もっと大きな自分になって、みんなの気持ちに応えたい」
駒野を突き動かしていたのは、この想いだけだった。その駒野の気持ちはパフォーマンスに直結し、広島の勝利に貢献した。それがアテネ五輪日本代表の山本昌邦監督(当時)に評価され、駒野は五輪代表に選ばれることになる。それほど駒野のプレーは、圧倒的な存在感を見せつけていた。

しかしその五輪代表選出が、駒野友一に再び不運を呼ぶ。
2004年8月18日、アテネ五輪グループリーグ第3戦・ガーナ戦。左サイドで先発した駒野は、試合開始早々、相手のラフなタックルを受け、グラウンドに叩き付けられた。その時は、大丈夫だと思ったが、次第に左肩の痛みが激しくなり、息が詰まりそうになった。そして20分すぎ、駒野は左肩を抑えてその場にうずくまった。試合後、病院に直行した駒野に告げられたのは、左鎖骨が折れているという事実だった。
しかし、医師は「1ヶ月もすれば治る」と言ってくれた。そして事実、約1ヶ月後の横浜FM戦で、彼は復帰を果たしている。しかし、そこからが彼の本当の不運だった。

9月21日の朝、目覚めた駒野はすぐ、目の異変に気づいた。その異変はやがて駒野の視野をどんどん狭くしていく。病院で駒野を診察した医師は「ブドウ膜炎の可能性がある」と告げた。
ブドウ膜とは、眼球壁の外膜と内膜の間にある柔らかい膜の総称。失明の危険性もあり、結核やリュウマチなどによる合併症の可能性もある病気だ。1週間後にわかる検査の結果次第では、まさにサッカーどころではなくなる。
駒野は怖かった。目がどんどん見えなくなっていく自分の身体が、である。目が見えなくなったら、自分の人生はどうなるんだ。何ができるんだ。次々と襲ってくる恐怖に耐えるため、こういう時こそサッカーボールを蹴りたかった。しかし、絶対安静を言い渡されているため、それもできない。苦しさは募った。

検査結果は、軽症だった。駒野はほっとはしたが、釈然としなかった。どうして、自分にばかり、こんな運命が襲ってくるんだ。サッカー選手として活躍し、ワールドカップに出て、海外でプレーする。信じていた人生設計に対して、萎えていく自分も感じていた。そんな彼に、映己子さんが一つの提案をする。
「お参りに行こうよ。私がよく行く神社に」
どんな時も神頼みなどしなかった駒野は、最初はとりあわなかった。しかし、映己子さんの熱意に、ほだされた。それに駒野自身、何かにすがりたかった。仏でも神でも、自分のこの状況を救ってくれるなら、なんでもよかった。しかし、そこから彼の運命が好転するのだから、神の存在は信じてしまいたくなる。


◆アテネ世代唯一のワールドカップ戦士

2006.2.18 キリンチャレンジカップ2006 vsフィンランドにて 
2004年10月3日、鹿島戦でチーム復帰。
12月4日、新潟県中越地震復興支援チャリティーマッチで結成されたジーコジャパン・ドリームチームの先発メンバーとして90分プレー。

そして2005年は、開幕の清水戦で駒野のクロスが爆発する。ハーフウェイを越えたあたりから蹴ったボールは、相手DFの頭を超えた後に急激にドライブがかかってストンと落ち、飛び込んでくる茂木の右足に正確に合った。
日本平を沈黙させたクロスによって、駒野は開幕10試合で6アシストを記録。この活躍が認められ、駒野は7月末から日本で開催された「東アジア選手権2005」における日本代表に選ばれた。そしてそのまま、代表に定着。ドイツ行きのチケットをゲットした。アテネ五輪世代唯一の、ワールドカップ戦士として。

広島ユース時代から共に闘ってきた同期の森崎浩司は「スピードもあり、守備も強いし、頭もいい。そして、キックが何よりすごい。コマは完璧なサッカー選手です」と絶賛。小野剛・前広島監督は、駒野を評して「コンディションが万全なら日本一のアウトサイド」と語った。
また、日本代表に共に選出されてきた佐藤寿人の駒野に対する信頼は絶対的で、「自分たちの世代にとっての目標」と語ったこともある。実際、昨年のリーグ戦では佐藤寿の18得点中、駒野は5点をアシスト。今季も佐藤寿の7得点中2点が彼の素晴らしいクロスから生まれている。

もし、日本代表がどうしても1点を取りたい状況が訪れたならば、FWより彼を起用してみるのも面白い。右サイドでなくても、左でもいい。左右両足から蹴ることができる正確なロングキックとクロスは、一発で局面を打開するパワーに満ちている。
また、25〜30mくらいの距離でFKをもらったら、彼に蹴らせてほしい。豪快かつパワフルな弾道が、壁を突き破ってゴールに突き刺さるシーンが出現する可能性もある。事実、彼のJリークでの6得点中3点が直接FKだ。

生命の危機、失明の不安を乗り越え、ドイツに向かう駒野友一。不安や苦しみをすべて受けとめてくれた映己子夫人や女手一つで駒野の夢を支えてくれた母・友美子さんといった家族への感謝の気持ちを胸に秘め、そして広島初のワールドカップ日本代表という誇りを持って、世界との戦いに挑む。


以上

2006.05.29 Reported by 中野和也

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◆駒野友一 PROFILE
KOMANO Yuichi [広島] DF 背番号3
1981年7月25日生 171cm/71kg
・Jリーグ初出場:2001/03/31 2001J1 1stステージ第3節 広島vs札幌@広島ビ
・Jリーグ初得点:2001/05/19 2001J1 1stステージ第10節 広島vs東京V@広島ス
年度チームリーグ戦カップ戦天皇杯
試合数時間(分)得点試合得点試合得点
2000広島0000003010
2001広島242,0111120123020
2002広島272,586183162040
2003広島23(J2)1,9650118400
2004広島181,55814953010
2005広島342,96821311104010
2006広島121,080124610

※2006年記録は、5月28日現在
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