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大分移籍のベテランMF兵働の決意…恩師田坂監督のためにもう一度J1へ

コラム

恩師の言葉に心動かされた兵働昭弘

「うちに来てくれよ。まだまだしぼむ年齢じゃないだろう」

指揮官から直接電話で届いたオファー。かつての恩師から差し伸べられた手に、兵働昭弘は感謝の気持ちを隠さなかった。「このままサッカー人生を終わらせたくない。もう一花咲かせて、もう一度J1で戦いたい」と意志を固め、技巧派のベテランレフティーが大分の地を踏むことを決意した。

清水エスパルス、柏レイソル、ジェフユナイテッド千葉を経て、今シーズンから新しく大分トリニータの一員となった兵働だが、移籍が発表されたのはチーム始動後の1月14日。異例の加入時期ではあったが、若返りを図りたい千葉のチーム事情を受け、本人も「新しいチャレンジをしたい」と考えていたところで田坂和昭監督からオファーが届いた。

田坂監督は「見本になれる選手。千葉での状況には悔しい思いもあるはずだし、俺も電話で話しましたけど、まだまだ終わる選手じゃない。大分としてはタイミングが合ってラッキーでした。ピッチでは足下でボールが収まるから攻撃時にタメを作れるし、起点となるパスも出せる。もちろんポジション争いはあるけど、今シーズンのキーマンの一人であることは間違いない」と期待を寄せる。

田坂監督とは清水時代にコーチとして指導を仰いだ間柄だ。正確な左足キックと高い戦術眼で中盤のあらゆるポジションをこなす兵働。彼が万能性を身につけるまでのバックボーンには、田坂コーチから受けたアドバイスがあった。

当時は藤本淳吾(現横浜F・マリノス)とのコンビで主に中盤の攻撃的ポジションを任されていたが、その段階からディフェンス時の体の向きなど細かな部分に触れて、「こういう動き方をしたらボランチとしても幅が広がる」とも助言されていた。彼自身も「中盤ならどこでもプレーできるようにという意味を込めて言われたことを覚えています。そこからすごく意識するようになりました。結果、今はボランチでプレーしていますしね」と振り返るように、田坂監督はまさに「ユーティリティープレーヤーとしての大きなヒントをくれた人」に他ならない。

清水でともに戦った期間は5年間。田坂コーチは当時主に若手主体のサテライトチームを指導しており、トップチームでプレーしていた兵働が一緒にトレーニングする時間は長くはなかった。それでもピッチ内での細かなアドバイスができるほど、しっかりとプレーをチェックし、彼の将来性を見据えていた。

「田坂さんはいろいろなところに目配りできる人で、本当に考え方がブレない。オカ(岡崎慎司/現マインツ)を含めて、若手がみんな腐らずにやっていた。何気ないことに気づいてくれるんですよ。それはサッカー選手としてすごくうれしいことなんですよね」

その姿勢は彼が清水を離れたあとも変わらなかった。「兵働のことはずっと気になっていた」という田坂監督は、その後もプレーや取り組み方を気に掛け続けていたという。兵働が千葉時代のとあるエピソードを交えて、田坂監督への思いを語ってくれた。

「大分との試合後に(田坂監督のところへ)あいさつに行くと、いつもいろいろと話をしてくれるんですよ。プレーのことよりも考え方の部分ですね。例えば、コンサドーレ札幌とのアウェイゲームでベンチスタートだった時のことを持ちだして、『あの試合、後半開始直後からコーチがつかなくても一人でみっちりアップしていたよな。そういう姿勢が大事なんだよ。見てる人は見てるから』って。どこでチェックしたのかは分からないですけど、昔から本当に細かいところを見てくれている。離れていても気にかけてくれていたのはうれしかったし、選手としてはそういう人のために頑張りたいと思いますから」

旧知の間柄であることは、兵働自身にもチームにも大きなプラスとなる。「監督は自分のいいところも悪いところも理解してくれている。サッカー選手としての能力だけじゃなくて人間的にもそう。だから非常にやりやすいし、監督ともコミュニケーションが取りやすい。加入して間もないけど、スムーズにチームに入れています。選手寮に入って若手と食事に行ったり、車に乗せてもらったりしていますし」と順調に溶け込んでいる様子をうかがわせる。

ピッチ内でも早々に兵働加入の効果が出ている。彼の持ち味は何より左足からの正確なパス。冒頭で田坂監督が語ったように、ボールの預けどころ、そして攻撃の起点となれる選手である。昨シーズンまでボールをつなぐサッカーをしてきた大分だが、なかなか勝負の縦パスが入れられず、相手に怖さを与えることができていなかった。迎えた今シーズンは前線からのハードワークをベースにゴールへの意識を高め、積極的な守備から速攻を狙うスタイルに転換を図っている。ここで彼の左足がショートカウンターに精度と脅威を加えることに指揮官は期待しているのだ。兵働本人も「今まで以上に攻守両面でハードワークが求められる印象。自分もどんどんボールをもらえる位置に動かなきゃいけないし、30歳を過ぎてそういうアグレッシブなサッカーにチャレンジできるのは魅力的。自分にとっても新境地を開拓できると感じた」と前向きにプレーできている。

さらに昨シーズンまでのポゼッションスタイルにも波及効果があった。中盤に預けどころができ、兵働が足下で収めてからの縦パスやサイドチェンジが見られるようになったことで、つなぐサッカーでもゴールへ向かう怖さが出るようになった。これで攻撃の幅が一気に広がった感がある。ここからは選手の持ち味をどう組み合わせていくかだ。

「あとは選手の特長をどう引き出すかですよね。両ワイドの(松本)怜と西(弘則)はスピードがあるから出し手としては面白い。為田(大貴)は足下も裏のスペースも狙える。エヴァンドロは足が速くて高さもあるし、他にもいい選手がたくさんいる。誰がどんなタイミングで、どんな球質のパスが欲しいのか。どういう動き出しが好きなのか、背後を狙いたいのか、足下で受けたいのか。もらってからドリブルをしたいのか、パスでつなぎたいのか……。受け手が一番何をしたいのかを理解してパスを出さなければ向こうが困るだけだから、こっちが出すボールの種類が変わってくる。だからこそ早くみんなの特長をつかんでいきたい」

清水ではチームを代表する選手として活躍し、J1で152試合15得点。チームキャプテンも務めた。柏ではケガの影響もあって16試合1得点の記録にとどまりながら、Jリーグを制してFIFAクラブワールドカップに出場した。千葉では3シーズンにわたってフル稼働し、106試合13得点という数字を残している。いろいろな人との出会いも大きな財産となった。ただ、柏では「チャンスはありながら、自分がモノにすることができなかった」と語り、千葉では「J2の難しさを知った。毎年、勝負どころで勝てない悔しさが残る3年間だった」と振り返る。そして今年、大分で新たな、そして大きなチャレンジを決意した。

「中途半端な気持ちで移籍してきたわけじゃないですから。あのタイミングで田坂さんが声を掛けてくれなかったら今の自分はない。田坂さんとクラブには感謝の気持ちしかないです。だからこそ絶対に結果を残さなければいけないと思うし、対戦していて面白いメンバーがそろっているとも感じた。十分にJ1昇格が狙えるチームだし、それも移籍してきた理由の一つです。自分の競技人生においてトップフォームでプレーできる期間はもう限られていると思うし、今年からは一年一年が勝負。いつ引退してもいい……毎年がラストだと思ってプレーしようと考えています」

今年5月で33歳を迎える。背番号は「最後に加入したから、もう番号が埋まってて(笑)。それで空いている中から、『33歳から新しいスタートを切る』って気持ちで」と自身の年齢を選んだ(「Jリーグ・スカパー!ニューイヤーカップ」ではユニフォーム準備の都合で27番を着用)。

これまでの経験を糧にしながら自分にも周囲にも厳しく求めることができ、明るい性格でムードメーカーにもなれる。非常に貴重なタイプのプレーヤーだと思う。新しいチームメートの顔と名前は早々に一致させ、すぐにニックネームも覚えたという。

「いいお手本になれるかどうかは分からないけれど、チームが勝つために、強くなるために、言うべきことは言っていくつもりです。今シーズンはとにかく勝利を追求していきたい。それで最終的に背中で引っ張れるような立場になっていればいい。サポーターが熱いのは知っているので、早く試合をして、結果を残して、サポーターの皆さんに認めてもらえるようにしたい」

クラブのために、チームのために、監督のために、そして自分自身のために――。手応えはある。やりがいも責任もある。何より恩義がある。田坂トリニータのカギを握るベテランレフティーが、自らのサッカー人生を懸けて新天地のピッチに立つ。

文=青山知雄(サッカーキング)

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