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【プレイバック ワールドカップ予選:その4】苦戦を重ねながらアジアカップ・W杯アジア1次予選を勝ち抜いたジーコ監督と日本代表。激闘の軌跡を振り返る!(08.02.05)

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日本代表 vs タイ代表
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<アジアカップ優勝を機にジーコ監督の国内組への信頼感一気に高まる。アウェー・オマーン戦で最終予選進出決定>

 2006年ドイツワールドカップアジア1次予選で、オマーン、シンガポール、インドに苦しみながら3連勝したジーコジャパン。彼らは2004年夏、2連覇の懸かるアジアカップ(中国)に挑んだ。この大会にはグロインペインで長期離脱中の中田英寿を筆頭に、肺動脈血栓塞栓症でリハビリを余儀なくされた高原直泰(浦和・当時ハンブルガーSV)、左足腓(ひ)骨骨折の重傷を負った稲本潤一(フランクフルト・当時ウエストブロムウィッチ)、アテネ五輪に出場する小野伸二(ボーフム・当時フェイエノールト)らが軒並み欠場。海外クラブ所属選手で参加したのは、川口能活(磐田・当時ノアシャラン)と中村俊輔(セルティック・当時レッジーナ)のみ。「海外組至上主義」の傾向が強かったジーコ監督といえども、この大会ばかりは国内組中心のメンバーで挑まざるを得ない。

 初戦の相手は2月の1次予選初戦で大苦戦を強いられたばかりのオマーン。かつて96年アジアカップ(UAE)で日本を準々決勝で粉砕したクウェートを率いていたチェコ人指揮官、ミラン・マチャラ監督は、かなり不気味な存在だ。戦前には「マチャラは日本を丸裸にしている」とさえ噂された。

 そんな相手にジーコ監督は4月の東欧遠征から採っている3−5−2の布陣で挑んだ。日本のスタメンには川口、中澤佑二(横浜FM)、宮本恒靖(ザルツブルク・当時G大阪)、加地亮、遠藤保仁(ともにG大阪)、中村俊輔、福西崇史(東京V)、玉田圭司(名古屋)ら。東欧遠征からエースとして君臨してきた久保竜彦も負傷で欠場するなど、やや不安を抱えたスタートだった。

 気温35度、湿度60%の中国・重慶での試合は予想以上の厳しい戦いを余儀なくされた。ボールを支配したのはオマーン。球際の強さと寄せの激しさでボールを奪い、3本のパスでゴール前まで持っていく戦術は見事だった。日本はコンディションも悪く、どうしても主導権を握れない。それでも前半34分に三都主アレサンドロ(浦和)のクロスのこぼれ球を拾った中村俊輔が芸術的な左足アウトからのゴールを決め、先制する。このワンチャンスをモノにできなかったら、日本のアジアカップ2連覇はなかったかもしれない。

 この1点で何とか初戦をモノにし、タイに勝利。イランとも引き分けで、1次リーグを突破したジーコジャパン。しかし準々決勝・ヨルダン戦はまさに崖っぷちまで追い込まれた。この頃、重慶では反日ムードが日に日に高まっており、このヨルダン戦が最高潮に達した。日本の国歌斉唱がブーイングでかき消されるなど、選手たちは相手以外の敵とも戦わなければならなかった。そんな重苦しい空気も災いしたのか、前半立ち上がりに相手に先制点を許してしまう。が、すぐさま鈴木隆行が同点に追いつき、1−1のまま90分が過ぎる。延長戦も点が入らず、試合の行方はPK戦へともつれこんだ。

 PK戦では信じがたい出来事が起きる。中村俊輔、三都主が立て続けに外した時、キャプテンの宮本が「このピッチ状態でPK戦をやるのはアンフェアだ」とレフリーに向かって抗議したのだ。結果的にPK戦は他方のゴールで行われることになったが、もしも彼の進言がなければ日本はズルズルと悪い流れを引きずったまま負けていただろう。この後、川口の奇跡的セーブが飛び出し、彼らは準決勝へとコマを進めた。

 済南に場所を移して行われた準決勝も、延長戦の末に4−3で勝つという劇的な幕切れとなった。2−3とリードされた状況での後半終了間際の中澤のヘディング弾、そして延長戦での玉田の決勝ゴールなど、どれを取っても忘れられない名場面である。この逆転勝利の勢いに乗って、ジーコジャパンは北京でのファイナル・中国戦を3−1で快勝。目指していたアジアチャンピオンの座を再び手中にする。MVPには中村俊輔が選ばれた。この大会唯一の欧州組フィールドプレーヤーの貢献度はやはり絶大なものがあった。

 このタイトル獲得によって、ジーコ監督の国内組への信頼度も一気に高まった。「欧州組絶対主義」から「アジアカップを戦った国内組に、調子のいい欧州組を組み合わせる」という考え方に変化していったのだ。固執していた4−4−2に戻すこともなく、当面は3−5−2で戦おうと腹を据えたようだ。

 現に、9月8日の1次予選第4戦・インド戦(コルカタ)も、アジアカップメンバーに小野と高原を加える形を取った。この試合ではハーフタイムに停電が起き、後半開始が30分も遅れるというアクシデントがあった。立ち上がりから主導権を握りながらインド守備陣の粘りにあい、なかなかゴールがこじ開けられない彼らは、前半終了間際にようやく鈴木が1点を叩き込んだ。その矢先の停電騒ぎだっただけに、選手たちの精神面にどんな影響を与えるのかが不安視された。けれどもアジアカップでタフな戦いを潜り抜けてきた彼らに動揺はなかった。後半に入ってからは小野のFKによる2点目を皮切りに、福西、宮本が追加点をゲット。4−0で勝利し、最終予選進出1次予選突破に王手をかけた。

 1次予選最大の天王山となったのが、10月13日のアウェー・オマーン戦(マスカット)。知将・マチャラ監督率いるチームとはこの年3度目の対戦となる。今度はどんな手段を講じてくるのか、ジーコ監督ならずとも大いに警戒しなければならなかった。

 この一戦に向け、ブラジル人指揮官はインド戦のメンバーに中村俊輔を加えるというこの時点での最強布陣でのぞんだ。オマーンの手の内を見ようと思っていた日本選手にしてみれば、彼らの立ち上がりからの猛攻には面食らったかもしれない。開始2分、4分のオマーンの決定機が決まっていたら、勝負はどう転んでいたか分からなかった。それでもその怒涛の攻撃も10〜15分でトーンダウン。日本は余裕を持って相手に対峙し、主導権を握った。勝負を決めたのは後半7分、中村俊輔の左サイドからのクロスに鈴木隆行がファーサイドで飛び込み頭で合わせた1点だった。スコアは1−0だったが、両者の実力差は3度の対戦で最も大きく感じられた。その原動力となったのが中村俊輔と小野の存在だ。2人は中盤を落ち着かせ、確実にリズムを作る。彼らがコントロールするチームにはゆとりと安定感が見て取れた。2002年夏に発足したジーコジャパンの4年間を振り返ってみても、このオマーン戦がベストバランスで戦っていたといっても過言ではない。そのくらい2人の存在感が際立っていた。

 尻上がりにチーム完成度を高め、11月17日の最終戦・シンガポール戦を残して、日本は1次予選突破を決めた。消化試合となったシンガポール戦は当初、ジーコ監督の意向で代表の功労者を呼んで戦うという話になりかけたが、「ここまで出場機会の少ない選手にチャンスを与えてほしい」という主力選手たちの意見が根強く、サブ組中心で戦った。内容はあまりよくなかったが、1−0という最低限の勝利を収め、ジーコジャパンは1次予選6戦全勝という結果を残した。

 1次予選を勝ち抜くだけでもこれほどのパワーがいる…。ワールドカップへの道のりの険しさを我々は今一度、実感しなければならないだろう。


2008.02.05 Reported by 元川悦子
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※()内のチーム名は現在の所属チームになります。

★2006年ドイツワールドカップ予選を振り返ろう!
vol.1

★1998年フランスワールドカップ予選を振り返ろう!
vol.1 / vol.2

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