阿部 勇樹選手(浦和レッズ)

1998年にジェフユナイテッド市原でデビューし、2007年から浦和に加入した阿部選手。

名実ともに浦和の中心選手として長く活躍してきました。

熱狂的なサポーターたちに背中を押され続けてきたことへの思いを語っています。

「みなさんと一緒に戦いタイトルを取れたこと、これは僕の宝物です。みなさんの声援が、拍手が、後押しが、ピッチの上で何度も倒れそうになった僕を立ち上がらせてくれました。本当にありがとうございます。」

大久保 嘉人選手(セレッソ大阪)

2001年、国見高からC大阪へ加入した大久保選手。

C大阪から海外へ飛び出し、C大阪へ復帰。その後は国内外を渡り歩き、今季から3度目のC大阪へ帰還を果たしました。

39歳となった今季、開幕直後の連続ゴールや、今季終盤での活躍など、最後までC大阪サポーターを沸かせた大久保選手。日本屈指のストライカーのことばは、一言一句聞き逃せません。

「またみなさんとどこかで会える日を楽しみにしています。そしてこのセレッソ大阪は来年、今年以上に素晴らしい戦いをしてくれると思いますので、僕もセレッソ大阪を一生懸命みんなと応援したいと思っています。本当に20年間ありがとうございました!」

高橋 義希選手(サガン鳥栖)

松商学園高から2004年に鳥栖に加入した高橋選手。2010、2011年は仙台でプレーしましたが、2012年からは鳥栖に復帰し、合計15年を鳥栖で過ごしました。

愛するクラブで引退することの意味を語っています。

「18年前、初めてこのスタジアムに足を踏み入れた時、このスタジアムの素晴らしさに圧倒されました。サガン鳥栖の高橋義希として引退できることを幸せに感じています。」

河本 裕之選手(大宮アルディージャ)

兵庫県出身の河本選手。地元の滝川第二高から2004年に神戸に加入し、2012年に大宮へ期限付き移籍。神戸に復帰後、2015年から大宮でプレーしています。

スタンドではサポーターがユニフォームを掲げ、”大宮の漢”河本選手への愛が感じられます。

「出会いに恵まれて、常に誰かがそばで支えてくれてここまでやってこれました。一番近くで支えてくれた妻や子供たち。寂しい思いや辛い思いもさせたけど、今までありがとう。」

田中 達也選手(アルビレックス新潟)

”ワンダーボーイ”こと、日本代表でも活躍した田中達也選手は帝京高から2004年に浦和に加入し、2013年からは新潟でプレーしました。

華々しい活躍をあげたシーズンもありながら、怪我にも苦しんだ田中選手。長く現役を続けられたのは、多くの人々のサポートのおかげだと話しています。

「身体の限界までボールを追うことができた僕は、本当に幸せ者です。このビッグスワンで、オレンジのユニフォームを着て引退できることは僕の誇りです。」

玉田 圭司選手(V・ファーレン長崎)

今年で41歳を迎え、日本代表でも活躍した大ベテラン・玉田選手。習志野高から1999年に柏に加入し、名古屋、C大阪でプレー。2019年から長崎に移籍しています。

スピーチでは、これまでプレーした4クラブや関わった人々への感謝と、家族への愛が語られています。

「一番感謝したいのは家族、妻です。どんな時も僕の味方でいてくれて、僕の気持ちをいつも理解してくれて、自分のことよりも僕のことを一番に考えてくれました。感謝してもしきれません。本当にありがとう。」

森島 康仁選手(藤枝MYFC)

滝川第二高から2006年にC大阪へ加入した森島選手。その後大分、川崎F、磐田、宮崎、栃木ウーヴァFCを経て、2019年から藤枝でプレーしました。

”デカモリシ”の愛称で親しまれた森島選手の人柄と家族愛が伝わるセレモニーです。

「燃え尽きたなと。そう思っているので、これからの藤枝MYFCにも期待していますし、僕も応援したいと思うので。16年間ありがとうございました!」

酒本 憲幸選手(鹿児島ユナイテッドFC)

酒本憲幸(さけもとのりゆき)選手は、初芝橋本高から2003年にC大阪へ加入。16年をC大阪で過ごし、2019年から鹿児島へ移籍しています。

アツいスピーチの後には、共に戦ってきたC大阪の盟友たちが駆けつけました。

「最高の仲間と最高のサポーターの皆様、応援してくださった皆様が支えてくれたから、ここまでサッカーを続けてこれたのだと思います。本当にありがとうございました!」

オフシーズンもJリーグが見逃せない

シーズンは閉幕しましたが、Jリーグはオフシーズンも見逃せない!

ピッチを去る選手や、来季の活躍が期待できる選手へ思いを馳せながら、アツいオフシーズンを過ごしましょう!