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J1昇格を義務付けられたチームが、資金を投入して勝てるチームを作る。2004年シーズンの京都はまさにそんなチームだった。しかし、勝たなければならないチームは勝星を積み上げることが出来ず、もがき始めた。その原因は何だったのか。2005年シーズンは前年の苦しんだ姿が嘘のように快進撃を続ける。2003年シーズンの降格から、2年かけて京都はどう変わったのか。また変わらざるを得なかったのか。2004年から社長に就任し、監督交代劇の渦中でクラブの方向を模索した梅本社長にその当時の京都の内情と判断についてインタビューした。
Q:昇格への期待が大きかった2004年、梅本社長が行ったことは何ですか?
梅本社長
「我々も04年シーズンの期待は大きかったですよ。前年にまさかの降格で断腸の思いをしましたので、1年での昇格を掲げて予算も増やして臨みました。木村文治GM(当時)に一任してチームの編成を行い、その結果、セレッソ大阪を1年でJ1に昇格させた実績もあった西村昭宏氏を監督に招いた。主力選手の残留に向けても全力を注ぎました」
Q:選手の残留状況はどうだったのでしょうか?
梅本社長
「松井大輔選手はアテネオリンピックを控えていて、オリンピックでしっかり経験を積み、その後に海外へ挑戦できるなら…という考えを持っていたんですね。我々の考えも甘く、その頃には京都は断トツの首位を走っているだろうと思っていた。だから、気持ちよく送り出せるだろうと…。
黒部光昭選手は日本代表への気持ちが強かった。ただ、しっかりした補強をして1年でJ1に昇格するから…というこちらの気持ちを伝えて、納得して残留を決めてもらったんです。他の選手も残ってくれました。選手の補強も崔龍洙や金徒均を獲得して開幕前の下馬評でもぶっちぎりだろうとの評価を得たんですが…」
Q:しかし、J2リーグ戦ではスタートから不調でした。
梅本社長
「当時は我々が監督に直接何かを言うということが出来なかったんですね。木村GMに説明を求める形だった。今にきっと、今に…という気持ちで見ていたんです。でも、なかなか首位に上がれない。第16節・湘南戦の試合後、翌日のサテライトリーグの試合のために木村GMと監督が平塚に残り、選手と私が横浜のホテルに帰った時、古い選手たちに聞いてみたんですよ。なぜ勝てないんだと。すると、監督の選手起用の意図がよくわからないという考えが選手間にあることがわかったんです。そのことを木村GMに話しましたが、改善が見られない。もう躊躇している場合ではないという状態になっていたんですね。選手と監督の信頼感ができていないなら昇格など絶対にあり得ない。そこで、(監督解任を)決意したんですよ」
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| 昨年、J2で22得点を挙げて得点王となったパウリーニョ選手 |
梅本社長
「木村GMも責任を取って辞任ということになり、我々だけでチームを作らなければならないという状況の中で、柱谷幸一氏に急遽、監督に就任してもらったんです。もともと京都出身の彼は、地元クラブの役に立てるなら…と来てくれた。柱谷監督は、フィジカルの弱さなどチームの弱点をいろいろと指摘した上で、『克服するのは難しいが、必ず昇格できるように頑張ります』と言ってくれました」
Q:しかし残念ながら昇格を果たせず、05年に向けてチーム編成に臨むわけですね
梅本社長
「私たちはサッカーに関しては素人ゆえに木村GMに任せていた。でも、05年は最初から自分たちでやらなければならないということになりました。しかし、我々なりにチームを見てくる中で、自分たちで出来ることがあると信じて自ら選手の獲得に動いたりしたんですよ。何人かの選手のもとには僕自身が行って『ぜひ、京都に来てくれ』と話したりもしました。強化部だけでは人が足りないから、強化部が下地作りして僕が話しに行ったり、代理人の方に会ったりと…。今までは、そういうところもGMに任せていて、僕らは出来上がったものを横から見ているしかなかった。でも、05年は実際に選手と会い、話をして来てもらった。まさに総力を集めて作ったチームなんですね。
だから、監督のコンセプトも明確にわかっているし、穴のない補強もできたと思っています。
弱点だったフィジカル強化のために、ファビアーノ・フィジカルコーチにも来てもらったんですよ。キャンプの時にハライ(中払大介選手)に聞いたら『もうめちゃくちゃキツイですよ』と。でもね、『でも、これをやらないと去年の二の舞になりますからね』と。それを聞いて、選手の意識が違うなぁと思ったんですよ。他の選手も『今年はこれだけやらなきゃだめなんですよ』と言うんです。選手たちも監督の方針を理解しているんだなと感じましたね」
Q:首位を独走したシーズン中、その戦いぶりをどう見ていましたか?
梅本社長
「昇格が決まるまで、安心は出来なかったですよ。周りから『もう大丈夫だ』と言われても安心は出来なかったですね。決まるまで気は抜けません」
Q:05年シーズンは、自分も動いてチーム作りに関わっての優勝なんですね
梅本社長
「そうですね、自分たちの手でチームを作って成功させたんだという気持ち。やっぱり、そういう手応えを強く感じましたね」
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| 多くのサポーターを集めた昨年のファミリーJoinデイズの模様 |
梅本社長
「自分自身の立場が変わったというのもありますが、京都パープルサンガを周りの人から愛されるもの、必要とされるものにしっかり成長させなければいけないなと思います。そういう意味ではトップチームの成績というのは大事ですが、普及や育成活動ということも含めて京都パープルサンガがあると考えています。こういう考え方はずっと当然のものとして頭にはありました。でも、04年に比べると、もっと自分で踏み込んで考えることが出来るようになりましたね」
Q:いよいよ始まる06年シーズンへの意気込みは?
梅本社長
「選手については昨年のメンバーを主体としているので、新たに獲得する選手は少ないです。私としては育成部門として[ スカラーアスリートプロジェクト ]がスタートしますので、そういうところで走り回ったりしています。こういったところは昨年とは違う点で、新たな展開のために走っていることになりますね。将来の京都のために、本当に育成に力を入れていきたいです。トップチームはJ1での戦いに、私は育成に、力を入れていきますよ」
| 梅本徹(Toru UMEMOTO) J2降格となった03年に前石崎恒夫社長が成績不振を理由に辞任。当時、専務取締役だった梅本氏が社長に就任した。04年は主力選手残留を成功させたほか、クラブ財政の縮小を回避するなどの話題をさらった。05年には自ら選手の獲得に乗り出すなど、クラブ経営だけにとらわれず柱谷監督をバックアップ。グラウンドにもよく姿を見せ、選手のトレーニングを見届けるなど、監督・コーチ・選手からの信頼も厚い。 |
05年シーズン、圧倒的な強さを見せてJ2リーグを駆け抜けた京都。その舞台裏では、社長が自ら走り回って選手獲得に尽力していた。
「自分たちの手で作ったチーム」。京都の強さは柱谷監督の手腕という視点もあろうが、フロントやスタッフの情熱がなければ、あれほどの強さを発揮できただろうか。04年の昇格失敗が、逆に京都の底上げになった。「素人ゆえに」意見が言えなかった梅本社長は、監督とGMを失ったシーズン途中から、自分で考えて行動するしかなかった。それが情熱となり、クラブを牽引する原動力となる。06年シーズンをJ1で戦う京都は、前年とほぼ同じメンバーで臨む。『手作り』のチームが、どんな結果を残すのか注目したい。
以上
Interview by 武田賢宗/取材日:2006年1月12日
◆京都パープルサンガ:2年がかりの昇格劇。失敗と成功の間にあるものは は【こちら】















