財団法人日本サッカー協会は、4月13日に開催されました理事会において、日本サッカーへの顕著な功労者10名を第二回日本サッカー殿堂掲額者として選出いたしました。財団法人日本サッカー協会は、日本サッカーミュージアム内(地下1階)に「日本サッカー殿堂」として掲額しその功績を讃えています。
本日、財団法人日本サッカー協会名誉総裁高円宮妃久子殿下のご臨席を賜り、式典を開催いたしました。
●掲額者:
新田 純興 (にった すみおき)
「JFA設立に多大な貢献をし、日本サッカー界の礎を築くとともに、日本サッカー史研究の第一人者としても活躍した」
玉井 操 (たまい みさお)
「JFA副会長として戦後の日本サッカー界の復興と発展を支えるとともに、関西のサッカーの発展にも尽くした」
●小野 卓爾 (おの たくじ)
「戦前、戦後を通じて、JFAの屋台骨としてサッカー界を支え続け、サッカーの普及・発展に尽力した」
●竹内 悌三 (たけうち ていぞう)
「1936年ベルリンオリンピックでは代表チームの主将を務め、スウェーデンを破る快挙に大きく貢献した」
●篠島 秀雄(しのじま ひでお)
「戦前を代表する名プレーヤーの一人。後にJFA副会長に就任し、日本サッカー界の再起・発展に力を注いだ」
●福島 玄一 (ふくしま げんいち)
「審判技術の向上や審判界の組織化に多大な貢献をするとともに、国際審判員として活躍。1969年日本人初のFIFA審判特別功労賞を受賞。」
●二宮 洋一 (にのみや ひろかず)
「選手兼監督として第一回アジア競技大会で銅メダルを獲得。選手・監督両面で日本サッカー界に功績を残す」
●賀川 太郎 (かがわ たろう)
「高い技術と戦術眼で活躍し、日本サッカーの技術の向上を支えた戦後を代表するプレーヤーの一人」
●鴇田 正憲 (ときた まさのり)
「賀川太郎とのコンビで、巧妙なドリブルとセンタリングを武器に大活躍した『戦後最高の右ウイング』」
●岩谷 俊夫 (いわたに としお)
「学生時代から名プレーヤーとして活躍。サッカー記者、指導者としても名を残し、少年サッカーの普及にも情熱を注いだ」
今回の掲額者の方々はすべて故人です。
以上













