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【プレイバックワールドカップ予選:その1】 本大会への道は決して平坦なものではない。98年フランスワールドカップ予選当時の熱い記憶を呼び覚まそう!(08.01.24)

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≪1次予選途中に頭角を現した中田英寿。最終予選序盤戦で調子を落としたカズ。世代交代の波が起きる中、加茂監督更迭へ≫

2008年2月6日(水)、いよいよ2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会予選が始まる!!過去3大会連続出場を果たしている日本代表は、4大会出場を果たすため、長い長い戦いへと挑む。激戦のアジア予選を突破するためには、もちろんサポーターも選手と共に、2年に渡るこの長い予選を戦い抜かなければならない。ホームはもちろんのことアウェイでのサポーターの声援こそが、選手を鼓舞し、様々な試練を乗り越え、そしてチームを勝利へと導く。そこで、過去2度のワールドカップ(98年フランス大会、06年ドイツ大会)予選の激動を振り返り、当時の気持ちの高ぶりを思い返しつつ、今一度、我々がこれから迎える決戦へと意気込みを改めてみたい。そして、びっしりと青く染まった満員のスタジアムで我らが日本代表の選手たちをサポートしよう!
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 ドーハの悲劇から3年。98年フランス大会で悲願のワールドカップ初出場を目指す日本代表の歩みは、97年3月23日の1次予選・オマーン戦(マスカット)から始まった。当時は加茂周監督が率いるチーム。しかし連覇を狙った96年アジアカップ(UAE)でクウェートにまさかの苦杯を喫し、8強進出にとどまったこともあって、彼らは不穏な空気の最中にいた。当時の中心だった井原正巳(現U−23代表コーチ)、カズ(三浦知良=横浜FC)らは30歳前後。選手としてのピークを過ぎつつあった。が、前園真聖や城彰二ら若いアトランタ五輪世代も確固たる存在には成長しておらず、こうした選手たちをどう使うかを含め、加茂監督には解決すべきテーマが多かったといえる。

 とはいえ、まずは最終予選進出が先決だ。1次予選はオマーン、マカオ、ネパールと同組。オマーンと日本での変則ホーム&アウェー方式で争われた。格下のマカオとネパールは問題ないとして、最大の強敵であるオマーンをいかに攻略するか…。それが加茂ジャパンにとっての最大のテーマだった。

 どんな公式戦でも初戦はある程度の苦しみを伴うが、この1次予選もまさにそうだった。日本は川口能活(磐田)、柳本啓成、井原、小村徳男(ガイナーレ鳥取)、相馬直樹、本田泰人、山口素弘、森島寛晃(C大阪)、名波浩(磐田)、カズ、城という4−4−2で挑んだが、前年のアジアカップ同様、引いて守る相手に予想以上の苦戦を強いられた。何とか小村のヘッド一発によって1−0で逃げ切ったものの、見る者に安心感を与えられる内容ではなかった。続くマカオ戦を10−0、ネパール戦を6−0と大勝したが、忍び寄る不安は拭いきれなかった。

 当時のチームは井原、山口、カズというセンターラインは明確だったが、それ以外のポジションが流動的だった。FWはまさに好例で、1次予選・オマーンラウンドでも城と高木琢也(東京Vコーチ)を併用する形を取っていた。が、彼らといえども、チームに化学変化を起こすほどの刺激は与えられない。爆発的な速さを持つ岡野雅行(浦和)にしても、加茂監督が才能とスケール感を高く評価した西澤明訓(清水)にしても同様だった。
 そんな状況を劇的に変える若き救世主が現れる。97年5月21日の日韓戦(親善試合)で初キャップを飾った中田英寿だ。

 オマーンラウンドの後、チームに何らかの変革をもたらさないといけないと指揮官自身も考えたのだろう。そこで日韓戦直前の代表合宿で、まだ20歳になったばかりの中田を初招集。いきなりスタメンでピッチに送り出したのだ。93年U−17世界選手権、95年ワールドユース(カタール)、96年アトランタ五輪と年代別世界大会を全て体験してきた若者は初めての国際Aマッチに戸惑うどころか、堂々と自分自身のプレーを見せつける。結果こそ1−1だったが、中田の強烈な存在感は日本サッカー新時代の幕開けを予感させた。

 6月22日からの1次予選・日本ラウンド(東京・国立)では中田が瞬く間にレギュラーを確保。マカオに10−0、ネパールに3-0と彼とカズを軸とした攻撃陣は結果を出した。けれども28日の最終戦・オマーン戦は1−1と再び不安な状態に戻ってしまう。加茂監督はこの試合と最終予選をにらんで、日韓戦後のキリンカップ(6月8日のクロアチア戦、15日のトルコ戦)から3バックへの布陣変更をテストしており、それを実際にやってみたのだが、うまく機能しなかった。井原、斉藤俊秀(湘南)、鈴木秀人(磐田)を並べ、ボランチに山口と名波を配置し、中田を2列目に置くという配置は斬新だったが、最終ラインを思うように押し上げられず、前線との距離が間延びしてしまう。95年の加茂ジャパン発足から2年半の間、ゾーンディフェンスに慣れていた選手たちはベストなバランスがつかめず苦悩していた。無事に1次予選を1位通過したものの、日本代表はまだまだ紆余曲折の最中にいた。

 そんなチームにショックを与えたのが、突如として最終予選の方式が変更されたこと。当初は10月にアジアの1都市でセントラル開催される予定だったのが、全10カ国を2組に分けてのホーム&アウェー方式に変わったのだ。しかもスタートが9月に前倒しされた。これにより、加茂ジャパンは十分な準備時間を持てなくなった。Jリーグ日本人選抜とJ外国人選抜が戦う「JOMOカップ」を急きょ、日本代表対Jリーグ外国人選抜のゲームに変更。これを8月末に行って最終予選壮行試合にしたほど慌しい状態だった。

 最終予選に挑む日本は、ウズベキスタン、カザフスタン、UAE、韓国と同組に入った。1位になれば自動的にフランス行き切符を得られる。2位なら別組の2位とのプレーオフに勝つことが初のワールドカップへの条件となる。97年9月7日の初戦・ウズベキスタン戦(東京・国立)は6−3という派手なスコアの勝利となった。エース・カズが4得点、中田・城もゴールを挙げるなど、多くの人々が「行ける」という手ごたえを感じた一戦だった。が、大量得点後の3失点がチームに与えた影響は計り知れなかった。それも加茂監督が新たに採用した3バックが崩されての失点だったからだ。この展開が不穏な先行きの前触れとなってしまう。続く9月19日UAE戦(アブダビ)を0−0でしのいで戻ってきた東京で、日本は勝負どころの韓国戦を落としてしまう。

 忘れもしない97年9月28日。国立競技場は異様な熱気に包まれていた。指揮官はこの直前に日本国籍を取得したばかりの呂比須ワグナーを先発させ、カズと2トップを組ませて再び4バックに戻して挑んだ。山口が芸術的なループシュートで先制弾を叩き込むなど、日本は狙い通りの試合運びを見せていた。ところが3バックに変更して守り固めに入った終盤に2失点し、まさかの逆転負けを喫する。このショックはあまりに大きく、1週間後のアウェー・カザフスタン戦(アルマトイ)での日本は間延びし、機動力も乏しく、完全に自信を喪失してしまった。この試合を1−1で引き分けたところで、日本サッカー協会幹部は加茂監督更迭を決める。もはや悪い流れは断ち切れないのか…。この時期、選手も関係者もサポーターも暗澹たる気持ちになっていたはずだ。

(続く)

2008.01.23 Reported by 元川悦子

*選手の所属は現在の現役選手、日本協会もしくはJクラブ所属コーチのみに限定して表記しました。

その2はこちら
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【岡田ジャパン初陣! キリンチャレンジカップ 2008】
★1月26日(土)19:10@国立
日本代表 vs チリ代表
★1月30日(水)19:20@国立
日本代表 vs ボスニア・ヘルツェゴビナ代表
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【ALL FOR 2010 ! 2010FIFAワールドカップ南アフリカ アジア3次予選】
★2月6日(水)19:20(予定)@埼玉
日本代表 vs タイ代表
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