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【プレイバック ワールドカップ予選:その3】2002年W杯を経て、7年ぶりのW杯アジア予選は苦戦から幕を開けた!(08.02.01)

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【ALL FOR 2010 ! 2010FIFAワールドカップ南アフリカ アジア3次予選】
★2月6日(水)19:20(予定)@埼玉
日本代表 vs タイ代表
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<地獄を見たドイツW杯アジア1次予選・序盤のオマーン戦、シンガポール戦。欧州遠征で立ち直りのきっかけをつかんだ日本代表>

2004年2月。自国開催で予選免除だった2002年日韓大会を経て、日本代表は7年ぶりのワールドカップ予選に向かおうとしていた。2002年7月のジーコ監督就任から1年半。ブラジル人指揮官は中田英寿、中村俊輔(セルティック)、小野伸二(ボーフム)、高原直泰(浦和)、柳沢敦(京都)ら、欧州でプレーする選手を軸としたチーム作りを進めてきた。ところが欧州組を招集できるのはFIFAインターナショナルマッチデーの48時間前。日本代表は1次予選に向けて1月から宮崎でキャンプインしたが、もちろん欧州組は不在。事前の親善試合であるマレーシア戦(2月7日、カシマ)、イラク戦(2月12日、東京・国立)も国内組を中心としたメンバーで戦わざるを得なかった。これはジーコジャパン発足当初からの最大のネックだった。

この問題点が2月18日のドイツワールドカップ アジア1次予選初戦・オマーン戦(埼玉)で如実に出てしまう。ジーコ監督は絶対的な信頼を寄せる中田英、中村俊、稲本潤一(フランクフルト)、柳沢、高原の欧州組5人を先発起用したが、中田と高原は前日合流したばかりで明らかに体が重い。さらに39度の熱を出しながら強行出場させた宮本恒靖(ザルツブルク)と山田暢久(浦和)、柳沢も動きが悪かった。このため日本代表は攻守ともにバランスが悪く、パス回しやシュートのミスを連発。前半29分に訪れたPKのチャンスも中村俊がミスし、どうしても1点が奪えない。不甲斐ない前半の戦いぶりにブーイングが起こったほどだった。

流れを変えたいジーコ監督は後半に入って柳沢と久保竜彦(広島)を交代。さらに遠藤保仁(G大阪)に代えて小笠原満男(鹿島)を起用した。ここで指揮官は小笠原を2列目に入れて中田英をボランチに下げるという奇策を採る。が、一度も練習したことない布陣がすぐに機能するはずがない。もはやスコアレスドローを覚悟した後半ロスタイム。久保が奇跡的なゴールを決めて、1−0で何とか勝点3をモノにした。しかし、ドイツへの道が果てしなく遠いと感じざるを得ない1次予選初戦だった。
(公式記録@JFA公式サイト: http://www.jfa.or.jp/daihyo/daihyo/games/2004/wc_q_1_2006/040218/index.html )

続く3月31日のシンガポール戦(アウェイ)も、オマーン戦の再現を見ているような苦い一戦になってしまう。ジーコ監督は中田英、中村俊、稲本、小野、高原、柳沢と本番1〜2日前に合流したばかりの欧州組を6人も先発起用した。真冬並みの寒さの欧州から30度を超える高温多湿のシンガポールにいきなりやってきた彼らには、コンディション面の不安がつきまとう。それでも指揮官の「欧州組至上主義」は変わることがなかった。

この試合の日本代表はオマーン戦の反省を踏まえ、序盤から前に出た。高原や中田英がたびたび決定機を迎えるなど、いつ点が入ってもおかしくない雰囲気だったが、なぜかゴールをこじ開けられない。「フィニッシュの問題」は選手たちをじわじわと苦しめていった。
それでも前半34分には高原が先制点をゲット。チーム全体が安堵する。だが、後半18分、シンガポールのエース・インドラがドリブル突破から強引に放ったシュートが決まり、日本はまさかの同点に追いつかれる。悪いことに、この時間帯になると欧州組の運動量が激減。小野も「体が自然と重くなって動かなかった」と話すなど、チーム全体に悪いムードが漂った。

そんな苦境を救ったのが、途中出場の藤田俊哉(名古屋)、鈴木隆行、玉田圭司(名古屋)の3人。彼らのみなぎる闘志とガムシャラな姿勢が、流れを引き戻す原動力となる。そして後半37分、中田英の左CKから藤田が見事に決めて、ついにシンガポールを突き放した。格下と見られていた相手にこれほどまで苦戦を強いられるとは…。ワールドカップ予選の怖さを選手たちは改めて感じたことだろう。
(公式記録@JFA公式サイト: http://www.jfa.or.jp/daihyo/daihyo/games/2004/wc_q_1_2006/index.html )

1次予選序盤戦で地獄を見たジーコジャパン。「このままで本当に大丈夫か?」と指揮官の手腕を疑問視する声もあちこちで飛び交った。その流れを大きく変えたのが4月末の東欧遠征、そして5月末から6月初めにかけてのイングランド遠征だ。

ジーコ監督は選手たちからの意見もあり、こだわり続けた4バックではなく3バックへと変更。この東欧遠征に向かった。国内組中心の陣容で戦った4月25日のハンガリー戦(@ザラエジェルツェク)は2-3で敗れた(公式記録@JFA公式サイト: http://www.jfa.or.jp/daihyo/daihyo/games/2004/others_2004/040425/index.html )が、布陣変更によってバランスは目に見えて良くなった。
チーム状態が上向く中、彼らは28日にプラハでチェコに挑んだ。当時のチェコはネドベド(ユベントス)やロシツキー(アーセナル)らスターを擁し、同年6月に開催された欧州選手権(ポルトガル)で優勝候補に挙げられた強豪。その相手に日本は1-0で勝った(公式記録@JFA公式サイト: http://www.jfa.or.jp/daihyo/daihyo/games/2004/others_2004/040428/index.html )のだ。中田英がグロインペイン症候群の痛みを抱えてこの欧州遠征から長期欠場を強いられ、中村俊も高原も合流しなかったが、小野と稲本が巧みにチームをまとめる。そして稲本のスルーパスから久保が相手DFを振り切って豪快にゴール。この1点が決勝点となり、ロシツキーに「まさかこんなに日本が強いとは思わなかった」と言わしめた。

この勝利が大きな自信になったのだろう。続くイングランド遠征(@マンチェスター)2試合も3バックで戦ったが、内容的に素晴らしいものがあった。5月30日のアイスランド戦ではまたも久保の卓越した得点感覚が爆発。彼の2点などで3-2の逆転勝利を収める(公式記録@JFA公式サイト: http://www.jfa.or.jp/daihyo/daihyo/games/2004/others_2004/040530/index.html )。この遠征には高原も参加していたが、彼は肺動脈血栓症が再発。急きょ、チームを離れるという緊急事態に見舞われた。そんなアクシデントもあって久保は確固たる地位を築いていく。
続く6月1日のイングランド戦ではオーウェンに先制されながら、日本は小野のゴールで1−1に持ち込んだ(公式記録@JFA公式サイト: http://www.jfa.or.jp/daihyo/daihyo/games/2004/others_2004/040601/index.html )。チェコ戦でチームを立て直した小野と稲本に加え、ケガの影響で長い間不振を極めていた中村俊が完全復活し、日本らしいバランスのいい中盤が戻ってきた。この試合で稲本が左足腓骨骨折の重傷を負ったのは残念だったが、チームには確かな光が見えてきた。そして久保と玉田の2トップの勢いもチームを大いに後押しした。ジーコ監督は彼らの出現によって救われたのだ。

直後に迎えたドイツワールドカップ アジア1次予選の第3戦・インド戦(埼玉)はオマーン、シンガポール戦のようにもたつくことはなかった。前半の早い段階で久保が先制。稲本の代役として出場した福西崇史(東京V)が2点目を奪う。中村俊のFKによる3点目で勝負は決まったが、日本は手を抜かずに鈴木、中澤佑二(横浜FM)、小笠原、中澤で4点を追加。7-0で快勝した(公式記録@JFA公式サイト: http://www.jfa.or.jp/daihyo/daihyo/games/2004/wc_q_1_2006/040609/index.html )。中田英に稲本、高原とジーコ監督が当初、軸に据えていた選手たちが離脱し、チャンスを与えられた福西や久保、小笠原らが活躍するなど、指揮官にとっては皮肉な展開だったかもしれない。それでも日本代表はやっとドイツへの確かな前進を見せ始めたのだ。

(続く)

2008.02.01 Reported by 元川悦子
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※()内のチーム名は現在の所属チームになります。

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