旧聞になるが、僕は第41節・長崎戦を現地で取材をした。試合終了間際の飯田真輝選手のヘディングシュートで、松本はらしい“ウノゼロ”で勝利を飾った。今回はその長崎の『Football Tourism』だ。基本的にこの先はサッカーの話は出てこないが、僕が長崎の地でふと思ったことを徒然なるままに記していこうと思う。ちなみにこの旅のお供をしてくれたのは、コンパクトデジタルカメラの「OPTIO WG-2」(ペンタックス社製)である。今年2月のチームの御殿場キャンプの際に地元電気店で購入したもので、その戦隊ヒーローの変身グッズを思わせるフォルムに僕はすっかり魅了されまったのである。メイン機としてデジタル一眼レフは使用しているが、軽量かつ防水・防寒・防塵のアウトドアカメラはサブ機として遠征に欠かせない。
勝利から一夜明けた18日、僕は丸一日観光の予定を組んでいた。前夜に宿泊した市内のカプセルホテルから歩いて数分の場所に、長崎市電の大波止駅がある。まず長崎駅近くのバスターミナルのコインロッカーに荷物を詰め込み、財布とWG−2だけの軽装となり、まずは駅から歩いて数分の『日本二十六聖人殉教地』(長崎県指定史跡)に向かう。西坂の丘を登ると、そこには荘厳な空気が漂う。二十六聖人の等身大ブロンズ像が沈黙のままに長崎の街を見下ろしていた。――1587年に豊臣秀吉はバテレン追放令を発布。その9年後のサン・フェリペ号事件をきっかけにキリシタンへの弾圧は激化の一途を辿っていく。一向一揆の苛烈さを目の当たりにしてきた秀吉にとって、キリシタンの存在は畏怖すべきものであったことは間違いない。こうして1597年、26人のカトリック教徒がこの地で処刑されることになった。そして、その26人の中には司祭や修道士だけでなく、年端もいかぬ少年の姿もあった。そのブロンズ像を見上げながら思う。自分がその立場だったとして、信仰を貫き通すことが出来ただろうか、と。
続いて市電で次の目的地となる大浦天主堂下駅へと向かう。ご存じのように長崎市電はいわゆる路面電車(チンチン電車)だ。自動車と一緒に道路を走り、赤信号で止まるというのもなかなか印象的ではある。長崎市民の足として大いに活用されており、平日にもかかわらず常に満員に近かった。ちなみに運賃は一律120円。つまり10駅乗ろうが1駅で降りようが同額なのである。地元のお土産物店やビジネスホテルなどでは一日乗車券(500円)が販売されており、観光などで5回以上市電をご利用される諸兄には、こちらの購入をおススメする。『大浦天主堂』(国宝)は、先の殉教した二十六聖人に捧げられた教会で、建立は1865年。日本最古の現存するキリスト教建築物だという。殉教地であるに西坂に向けて建てられている。急こう配の石段を登り終えると、そのそびえ立つ姿には思わず息を飲む。椅子に腰かけながら、再び“信仰の自由”について思いを馳せた。
午後は何としても行きたい場所があった。とはいえまだ時間がある。市電の出島駅で下車し、『出島和蘭商館跡』(国指定史跡)へ。約200年に渡りオランダとの貿易の拠点となった場所だ。出島との名前どおり、ここはかつて島(人工島)だったというが、今は改良工事によって周辺を埋め立てられたため、その面影はない。江戸時代、当時の幕府はいわゆる鎖国政策を敷いていたが、鎖国というのはまったくの孤立状態になるというわけではなく、幕府が貿易の権限を制限・管理することであって、他国との通信・通商関係はあった。例えばこの長崎ではオランダと清朝中国との貿易が幕府の直轄で行われていた。
商館跡には当時の建物がそのまま残されているが、目を見張るのはカピタン部屋だ。カピタンとは商館長のことでオランダ東インド会社(世界初の株式会社。交易のみならず、植民地経営(!)や交戦権(!!)まで、オランダ政府から様々な特権を与えられていた)の日本支社長というポジションか。日常の住まいでもあるが、ゲストハウスとして日本の役人や大名を招いてのパーティーが行われていただけあり、造りの広さ・豪華さは素晴らしい。当時使用されていたベッドも現存しており、これらは日本の職人が造ることもあれば、バタヴィア(今のジャカルタ)から運んできたものもあるらしい。ベッドを運ぶために海を渡ってくるというのだから、なかなか壮大な話、か?
以上
【後編へ続く】
2013.11.27 Reported by 多岐太宿
J’s GOALニュース
一覧へ【J2日記】松本:カメラを片手に旅に出よう、僕は 〜長崎でその価値と意味を知る〜【前編】(13.11.27)
今回の旅のお供となった、ペンタックス『OPTIO WG-2』。
西坂の丘の、二十六聖人のブロンズ像。
大浦天主堂。入り口には聖母マリア像が。
出島和蘭商館跡のカピタン部屋。ゲストハウスとして機能も。















