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[ [ 2005 ゆく年くる年:モンテディオ山形 ]大晦日の山形県総合運動公園陸上競技場 ] | J's GOAL | フォトニュース

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[ 2005 ゆく年くる年:モンテディオ山形 ]大晦日の山形県総合運動公園陸上競技場
サポーターと同じように、もしかしたらそれ以上に、ベスパ(ホームスタジアムのある山形県総合運動公園「べにばなスポーツパーク」の略称)のスタジアムは辛い気持ちでシーズンを耐えていたのかもしれない。
春先にたくさんのサポーターがボランティアで協力した「雪かき大作戦」で、スタンドの一部には雪が残されたが、なんとか3月19日のホーム開幕戦には間に合った。が、試合が始まると前年末に張り替えられたばかりの芝が剥がれボコボコに。2週間後の試合でも改善は見られず、ついには会場が県外のJヴィレッジに移される事態も起きた。
ようやく芝が根付いた後も災難は続く。6月4日の京都戦では雷雨に混じってバラバラと雹(ひょう)をぶちまけられ、雷雨順延になった8月20日・札幌戦では、避雷針付きの照明灯にとびきりの雷を落とされた。最終節にはあろうことか雪でピッチを真っ白にされた。
そして週末ごとの雨。パスサッカーをめざすチームがその本領を発揮しきれないことも含めて客足への影響は大きく、入場者は平均6,000人を下回った。
「もう、いい加減にしてくれ!」
ベスパも、そう叫びたかったに違いない。そんな目に遭いながら、05年のリーグ戦で見届けた山形の勝利数は、負け数7よりも引き分け数9よりも少ない「6」。5月7日の11節から8月31日の29節まで、115日間も勝利をおあずけされたこともあった。それでも、昇格争いには2年続けてシーズン終盤まで絡んだ。佐々木勇人、臼井幸平の右サイドには突破力があり、ポゼッションして動きながら攻めるスタイルが機能した時、山形は本当に観ていて楽しいサッカーをやっていた。しかし、数多く放ったシュートの行き先は枠の外が圧倒的に多く、昇格に結びつくまでにその精度を高めることはできなかった。
06シーズン、鈴木淳監督から樋口靖洋監督にバトンが渡される。大勢の人で、大きな声援で、そして05年の分を挽回するたくさんの勝利で、ベスパを喜ばせてあげたいのだ。(text by 佐藤 円)

2005年12月31日(土)

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