渡部 博文選手 (レノファ山口FC)

長井サッカースポーツ少年団-長井南中-山形中央高-専修大-柏レイソル-栃木SC-柏レイソル-ベガルタ仙台-ヴィッセル神戸
2010年に柏レイソルでプロデビューした渡部博文選手。

2021年にレノファ山口FCに加入し、2022年9月28日に引退を発表しました。

「ナベ」や「ヒロ」の愛称で親しまれ、多くの人に愛されたキャプテンが語った過去の苦悩と周りの人を常に思いやる男気あるスピーチに多くの人が涙しました。


「育ててくれた両親、サッカーに導いてくれた姉、近くで支えてくれた心から尊敬している妻、2人の子供たち、本当にありがとう。みなさんと違った形でお会いできることを心から僕は楽しみにしています。13年間本当にありがとうございました。」

中村 俊輔選手 (横浜FC)

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1997年に横浜F・マリノスに加入した中村選手。

2002年からは海外リーグへ挑戦、2016年に横浜F・マリノスに帰還し、サポーターを沸かせました。

日本代表として世界と戦い、Jリーグ史上初のMVP複数回受賞者としても知られる中村選手は、まさに"レジェンド"ですね。魔法と呼ばれた左足とクリエイティブなプレーは、世界中の人々を魅了しました。

そんな日本を代表するレジェンドはどんな言葉を残したのでしょうか。
横浜FC公式YouTubeで公開された引退記者会見で長い現役生活を振り返り、このようなことばを残しています。

「ファン・サポーターの方々がいて、自分は成長できたと思っているので、本当に26年間一緒に戦ってくださり、ありがとうございました。やり尽くした清々しい気持ちで終われたので、自分でもホッとした気持ちでいます。26年間、ありがとうございました。」

鄭 大世選手 (町田ゼルビア)

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2006年に川崎フロンターレに加入した鄭大世選手。

2010年には海外へ飛び出し、2015年に清水エスパルスに移籍、Jリーグに帰還しました。

明るく気さくな性格とピッチでみせる熱い男気ある姿で多くの人を魅了しました。

SNSでは、引退を惜しむ声も多く集まりました。多くの人から愛された鄭大世選手は、引退会見で自分の歩んできたサッカー人生についてこのように語っています。

「本当に自分で言うのもなんだけど、前人未到のキャリアだと思う。ここまで下から上に上った選手はいないんじゃないかと、今だから調子に乗ったこと言うけど、砂ぼこりの舞うグラウンドで、赤土で泥だらけ。プロになるまで芝でやったことも人工芝でやったこともない。それがこんなきれいな芝の上でプロでプレーできて、本当に痛快だった。」

プロの世界で大きく飛躍した鄭大世選手は、たくさんの人に夢や希望を与えた続けてきました。
たくさんの壁を乗り越えてきた鄭大世選手だからこそ語れる言葉ですね。

大谷 秀和選手 (柏レイソル)

柏レイソルJrユース-柏レイソルユース
ユースから2003年に柏レイソルに加入した大谷秀和選手。

アカデミーから26年。柏レイソル一筋!
23歳の若さでキャプテンに就任し、サッカーに対して常にストイックに向き合い、熱いプレーでチームを牽引し続けました。チームメイトからの信頼も厚く、柏レイソルを愛して柏レイソルに愛された男が2022年シーズンをもって、黄色のユニフォームを脱ぎます。


「今日、ラストゲームを大好きな日立台のピッチですることができて、本当に幸せな時間でした。」

最後には、かつて仲間として共に戦った工藤壮人さんの名前を挙げ、セレモニーでのことばを締めくくりました。

「最後になりますが、工藤壮人という選手が柏レイソルにいたこと、いつもチームのために戦い、ゴールでチームを救ってくれたことを、皆さんも忘れないでください。工藤の思いをこれからも胸に、次の人生を進んでいきたいと思います。これからも柏レイソルのことをよろしくお願いします。」

駒野 友一選手 (FC今治)

大野JFC-海南市立第三中-サンフレッチェ広島ユース-サンフレッチェ広島-ジュビロ磐田-FC東京-アビスパ福岡-FC東京-アビスパ福岡
2000年にサンフレッチェ広島に加入した駒野友一選手。

日本代表として、FIFAワールドカップに2大会連続出場を果たしました。

FC今治に2019年に加入し、JFLからJ3への昇格に貢献。多くのファン・サポーターから愛された駒野選手の最後のメッセージは、涙なしには見れません。

過去の苦悩と同世代の盟友や家族、関わってきた全ての方への感謝の思いが語られました。

「これからも感謝の気持ちを忘れずに日々成長していきたいと思います。23年間ありがとうございました。」

田中 隼磨選手 (松本山雅FC)

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2001年に横浜F・マリノスに加入した田中隼磨選手。

高い持久力とチームの支柱になるような精神力をもち、名古屋グランパスではリーグ制覇を成し遂げ、松本山雅では2度のJ1昇格に貢献しました。

在籍した各クラブで得たものを振り返り、感謝を伝えました。

松本山雅FCへの熱い思いがこもったラストメッセージにスタジオに集まった多くのファン・サポーターが涙しました。"最後までかっこいい男"田中隼磨選手。彼の現役最後のことばをフルでお聞きください。

「たくさんのスタジアムでプレーしてきましたが、このスタジアムほどパワーのあるスタジアムはありません。」

本田 拓也選手 (FC岐阜)

FCコラソン-桐光学園高-法政大-清水エスパルス-鹿島アントラーズ-清水エスパルス-モンテディオ山形
2008年に清水エスパルスに加入した本田拓也選手。

2008年北京オリンピックのメンバーにMFとして出場し、活躍しました。

球際の強さ、攻撃の起点となるようなプレーは何度もチームを助けてきました。

2021年にFC岐阜に加入し、ベテランとしてチームを牽引し、15年の現役生活に幕を閉じました。

そんな本田選手の最後の言葉は、家族やサポーターに対しての感謝、そしてチームへの愛のこもったメッセージでした。

「皆さん、本当に15年間ありがとうございました。こんな僕がここまでサッカーを続けられたのも両親、そして妻、皆さんのおかげだと思っています。これからFC岐阜は大きく変わろうとしています。その中で多分うまくいかないこともあると思います。けど、そこを支えてくれるのがファン・サポーター、スポンサーの皆さんです。時には厳しくてもいいんです。ブーイングしてもいいんです。それでも愛情を持ってFC岐阜を応援してあげてください。15年間ありがとうございました」

未来のレジェンド誕生?

シーズンは閉幕しましたが、Jリーグはオフシーズンも見逃せない。

2022年、多くのレジェンドたちがスパイクを脱ぎましたが、未来のレジェンドとして期待できる選手がこれから新たに現れるかもしれません。

そんな思いを馳せながら、オフシーズンも選手・クラブチームの動向に注目しましょう!