新潟 1 - 0 大宮 (13:05:新潟ス) 入場者数 42,223人
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タイムアップの瞬間、キャプテンマークを巻いた山口素弘が両手で顔を覆い、ファビーニョも地面にうずくまって男泣きを見せた。普段、感情を顔に出さない反町康治監督からも笑みがこぼれた。そしてスタンドをオレンジ一色に染めた42,223人の大サポーターも、耳をつんざくような大歓声で彼らを激励する。新潟の人々が夢に見続けた瞬間が、ついに現実のものとなった……。
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2003年Jリーグディビジョン2の最終節(第44節)、アルビレックス新潟対大宮アルディージャの一戦が23日、13時から新潟スタジアム(ビッグスワン)で行われ、FW上野優作の挙げた貴重なゴールを守りきった新潟が1−0で勝利。自力で初のJ1昇格を決めるとともに、J2優勝もモノにした。
「曇りのち晴れ」という天気予報とは違い、朝から冷たい雨に見舞われたこの日の新潟。キックオフ時間が近づいても、雨は降ったり止んだりしていた。ハッキリしない空模様にもかかわらず、ビッグスワンには熱狂的アルビレックスサポーターが次々と押し寄せる。彼らは試合前から「アル〜ビ、レックス」というコールを何度も繰り返していた。
前節のアビスパ福岡戦に敗れたことで、新潟の勝ち点は85のまま。もしもこのゲームに敗れ、追走している川崎フロンターレが勝つようなことがあると、悲願のJ1昇格は幻と消える。重圧のかかる中、新潟の反町監督は「平常心」を貫いた。出場停止の三田光、負傷中の宮沢克行らを欠き、チーム構成に苦しみながらも、現時点の最強メンバーを組んだ。GK野澤、DF高橋、アンデルソン、丸山、鈴木、ボランチに山口と秋葉、右MFに栗原、左MFにファビーニョ、2トップにマルクスと上野というスタメンである。
対する大宮は、目前で相手にJ1昇格を決められるのだけは避けたいところ。かつて川崎Fでプレーしていた伊藤彰、大塚真二らには、元チームメートをサポートしたい気持ちもあっただろう。シーズン途中から指揮を採る清雲栄純監督は、いつも通り4−4−2の布陣で挑んだ。
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試合開始からホームの新潟が押しまくる。前線から激しいプレッシャーをかけ、高い位置でボールを奪って速い攻めをしかけようと試みる。これがズバリ的中し、新潟はいきなり先制点のチャンスを迎えた。
中盤でのFKのチャンス。キッカーは目下、J2得点王のマルクスだった。彼の蹴ったボールが相手DFに当たった後、ペナルティエリア内で混戦になり、ややフリー気味の上野にうまくボールが出た。彼は右に出て相手をかわし、そのままシュート。GKの裏をかいたシュートはそのままコロコロとゴールに吸い込まれた。反町監督が「上野らしい、気持ちのこもったシュート」と評した得点で、新潟は1点をリードした。
その後、ボール支配率は互角になる。新潟・高橋のFKがそのままゴールに入りそうになったり、大宮のFWバレーのシュートがゴール右をかすめたりと、両者とも何度か決定機を迎えるが、得点には至らない。前半はこのまま終了する。
迎えた後半、大宮は捨て身の猛攻をしかける。左サイドの村田が果敢にオーバーラップし、中央に走りこんだ金澤、バレー、伊藤らにクロスを送るなど、前半には見られなかった攻撃も出てきた。それでも新潟守備陣は手堅い守りを見せる。前半のような高い位置でのプレスを止め、深い位置でセフティな守りを心がけていた。大宮の清雲監督が「ウチが相手陣内に入ると、相手は深い位置に下がってスペースを消した」と指摘するように、彼らは組織的なディフェンスを披露した。
大宮が黒崎、磯山を投入し、パワープレーに出てきた後半20分すぎからも、アンデルソン中心にしっかりとハイボールを跳ね返した。総立ちになり、声を枯らして応援するサポーターに後押しされた部分もあるのだろう。彼らからは「絶対にゴールを割らせない」という執念が感じられた。
後半40分を過ぎると、スタジアムのボルテージは最高潮に達した。ここまでベンチでどっかり構えていた反町監督も、はやる気持ちを押さえられなかったのか、テクニカルエリアに出て、最後の指示を送った。この日の新潟は何かが乗り移ったように高い集中力を最後までキープ。とうとう歓喜の時を迎えた。
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94年4月3日、「アルビレオ新潟」としてスタートした地方の小さなクラブが、とうとう国内最強リーグJ1という表舞台に名乗りを挙げた。当時、監督を務めていた若杉透GMは目を真っ赤にしながらこう言った。「地域密着を目指してやってきたけど、本当にいろんな人に助けられから、ここまでこれた」とサポーターへの感謝を真っ先に口にした。
2001年から指揮を採った青年監督・反町康治の手腕も大きかった。現役を引退後、自らスペインにコーチ留学し、S級ライセンスを取得後、いきなり新潟というチームを任された。最初は手探りな部分もあっただろうが、「いい準備をすれば、必ずいい結果が出る」というポリシーを持って、この3年間を走り抜けた。クラブに苦言を呈すなど、良くないと思うことは堂々と言い切れる「強い信念」を持った39歳の指揮官が、新潟に「プロフェッショナリズム」を植え付けたのも事実だろう。さまざまな相乗効果で、北信越初のJ1クラブが誕生した。
2003年11月23日は、新潟市民にとっても、Jリーグにとっても記念すべき日になった。
2003.11.23 Reported by 元川悦子
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