【4th MEDIA連動企画】ターニングポイントで振り返るジーコ・ジャパンの軌跡 -1-(06.05.30)
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| 【 ジーコ監督就任初戦 】 |
●2002年10月16日 キリンチャレンジカップ2002 日本代表 1-1 ジャマイカ代表(東京・国立競技場) 得点:7分 小野伸二(日本代表)、80分 R.フラー(ジャマイカ代表) |
ジーコ・ジャパン初戦となった2002年10月のジャマイカ戦。新指揮官は4-4-2の布陣に中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一の「黄金の中盤」を揃え、今後の4年間を占う重要な一戦に臨んだ。 技術と創造性を兼ね備えた攻撃陣を擁する日本は序盤から主導権を握り、前半7分には早くも先制点を奪う。中盤でボールを取った小野から中田英、高原直泰へとパスが渡る。反転した高原は、3列目から上がってきた小野に絶妙のスルーパスを出す。これをペナルティエリア内で受けた小野は左足でシュートを突き刺した。これはジーコ監督にとっても幸先のいいゴールになると思われた。稲本がワイドな展開を見せ、小野が華麗なフェイントで相手を振り切るなど、日本は個人能力の高さが随所に出る。中田英も中村も献身的な守備を披露し、黄金の中盤は機能するかに見えた。 ところが決定機を逃し続けた後半、次第に流れがジャマイカに傾いてしまう。日本の運動量も激減。そんな不意を突かれ、80分にはスカーレットからの折り返しを受けたR.フラーが右足でゴール。結果的に1-1の苦い引き分けで初戦を終えた。 才能ある選手が集まる攻撃陣には可能性が感じられたが、攻めの意識が強すぎて中盤にスペースが生まれたりと、連係面の問題が浮上。さらに守備の不安定さも露呈した。欧州組と国内組が一緒に練習する時間も取れない中、どうチーム作りを進めていくのか。指揮官は新たなテーマに直面することになった。《text by 元川悦子》 |
【 脱2002年! 完敗を機にスタメン一新 】 |
●2003年6月11日 キリンカップ2003 日本代表 0-0 パラグアイ代表(埼玉スタジアム2002) |
ジーコ監督は初戦のジャマイカ戦以降、名良橋晃、森岡隆三、秋田豊、服部年宏という経験豊富なDFで最終ラインを構成してきた。が、2003年6月8日のキリンカップ・アルゼンチン戦(大阪・長居スタジアム)で大量4点を失って1-4で完敗。これを機に、指揮官は守備陣の総入れ替えと数人の世代交代を決断する。 その最初のゲームとなったのが、中2日で迎えたパラグアイ戦(埼玉スタジアム2002)だ。ジーコ監督が送り出したのは山田暢久、坪井慶介、宮本恒靖、三都主アレサンドロの4バック。若い大久保嘉人もFWの一角として代表デビューを飾った。 主力数人を欠いたパラグアイ相手に、日本は序盤から積極的に攻めた。中盤でボールを回しながら前線に展開するパターンが機能。「得点への形」が何となく見え始めた。左サイドバック起用が不安視された三都主も宮本が確実にカバーし、守備はまずまず安定。それでも前半は無得点のまま折り返す。 後半も日本は果敢に1点を狙った。最大のビッグチャンスは76分。三都主のスルーパスに飛び込んだ大久保がヘディングシュートを放った場面だ。ゴールネットを勢いよく揺らし、誰もが得点だと思ったが、残念ながらオフサイド。終わってみれば0-0。この日も勝利は得られなかった。が、新たにピッチに立った最終ラインは一応の手ごたえを見せ、その後のチームを担っていくことになる。《text by 元川悦子》 |