決勝戦、3位決定戦のチケット完売のため、ボカの試合が見られるのは12月12日(水)@国立競技場の試合だけ!
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現在、アルゼンチンでナンバーワンの人気を誇るクラブ、ボカ・ジュニアーズ。一昨年に創立100周年を迎えた長い歴史の中で、国内リーグ制覇25回、国際タイトル獲得17回という輝かしい功績を残し、数多くの名選手たちを生み出して来た。今や、その人気はアルゼンチン国内に留まらず、南米大陸全土、いや世界規模に広がっている。
ボカ・ジュニアーズが生まれたのは1905年4月3日のこと。当時、ブエノスアイレスの港町ボカにはイタリア、特にジェノヴァからの移民が多く住んでいた。鉄道開発のためやって来たイギリス人技術者たちからサッカーを伝授し、国内の様々な地域でチームが作られていた流れから、5人の学生がボカにもサッカークラブを設立しようと思い立った。エステバン・バグリエット、アルフレド・スカルパッティ、サンティアゴ・サナ、フアンとテオドロのファレンガ兄弟である。
彼らがボカ初のサッカークラブの創立を宣言したのは、「プラサ・ソリス」という公園の中だった。一説によると、最初5人はエステバン・バグリエットの家に集まっていたが、クラブ設立の実現に向けて若者たちの抱負と野心が膨れ上がり、興奮しすぎて徐々に大声になってきたため、バグリエットの父親が「うるさい!」と 全員を追い出したことから、仕方なく公園に行かなければならなくなったとも言われている。
クラブを設立したまでは良かったが、そのあと5人は名前を考えるのに苦労した。様々な名前を出し合った後、地名の「ボカ」は必ず入れたいということで意見が一致。しかし当時、ボカ地区は典型的な港町で、各国・各所から荒くれ者たちが集う危険な場所というイメージがあった。そこで5人は、「ボカ」と一緒に語呂が良く、音の響きも良い単語をつけることを考え、若者たちによって作られたクラブという意味を込めて「ジュニオルス」(ジュニアーズ)を付け、「ボカ・ジュニアーズ」とした。
こうして、弱冠17歳のエステバン・バグリエットを初代会長とし、ボカにサッカークラブが生まれたのだった。創立後、最初の試合が行われたのは4月21日、対戦相手はマリアーノ・モレノ。会長兼GKのバグリエットを筆頭に、創立者たちを中心に構成されたチームでボカは4-0と圧勝する。このチームで周辺のクラブと試合を重ね、好成績をおさめたことから、ボカは「リーガ・デ・ビジャロボ」というアマチュアリーグに登録することとなった。 現在のホームスタジアムの原型ができたのは1940年のこと。その24年前にスタジアムはできていたが、場所を移して新しいホームを作ろうという動きから今日まで「ボンボネーラ」の愛称で親しまれるスタジアムが造られた。「ボンボネーラ」とは「チョコレートボンボンの箱」という意味。箱形のスタジアムに対し、愛情を込めてつけられたニックネームである。
その後、1951年から1952年にかけて大掛かりな工事が行われ、それまでは1階だけだったスタンドが3階まで増築。そして1996年、メインスタンドが改装されて個別のVIPルームが出来上がった。ちなみに、そのVIPルームにはそれぞれ個別のオーナーがついているが、96年に新しいスタンドが完成したとき、売却はオークション形式で行われた。木槌を持ってオークションの指揮を担当したのはなんとクラブの会長、マウリシオ・マクリ。そして、メインスタンドのど真ん中の一番高いVIPルームを落札したのがディエゴ・マラドーナだった。
さて、今ではすっかりトレードマークとなった青と黄色のボカ・カラーだが、最初からこの色に決まっていたわけではない。最初の試合で使われたシャツはピンク、そのあとも色は決まらず、やがて、白地に黒いラインが入ったデザインが定着するかのように思われた。ところが、近くのクラブも全く同じ色を使っていたために論争となり、どちらが白&黒をチームカラーとするかの権利を賭けて、試合を行うことになる。残念ながらボカは2−0と負け、新しい色を考えなければならなくなった。
チームのイメージに合い、尚かつ独特のカラーを見つけるのは容易なことではない。そこである日、港で働く労働者の意見から、ボカに入港する船の旗の色をチームカラーにしようということになる。こうして、クラブの役員たちが港で待ち構え、最初に入って来たのがスウェーデン船籍の船だったことから、遥か北欧の国の国旗の色がボカのカラーになったというわけである。 今でこそ、貧しい労働者たちが住んでいるボカ地区も、1900年代初頭は労働者とともに、ヨーロッパの貴族の血を引く裕福な家柄の人々も住んでいた。そんな上流階級の人々が設立したクラブが、ボカの宿敵リーベルプレートである。つまり、ライバル関係が生まれた原因は、同じボカ地区を本拠地としていたというところにあった。
当時からライバル関係は日に日に深刻化し、街中での争いごとが絶えなかった。すれ違えば口論から殴り合いに発展し、警察が出動する騒ぎになったことから、両クラブの幹部同士で話し合った末、ボカ残留権を賭けて試合が行われることとなる。 かつてチームカラーを失ったボカだけに、地元に残る権限までも奪われるわけにはいかないと、このときは執念の勝利を飾った。今でもボケンセ(ボカの人々、又はボカファン)たちは「俺たちがリーベルを追い出したんだ」と胸を張るが、リーベルのファンは「あんな汚い場所はいずれ捨てるつもりだった」と話す。ボカのファンがリーベルファンを「ガジーナ」(鶏=臆病者)と呼べば、リーベルファンはボケンセを「ボステーロ」(馬糞野郎)と言い返す因縁の関係は、この頃から深まって行ったのだ。 ちなみに、設立した人たちこそ労働者階級だったボカだが、決して低所得者たちだけに支持されるクラブというわけではない。現在、ボカのファンという人の中には経済的に恵まれている人も多く、貧しい人たちから中流階級、芸能人、政治家、裕福な農場主に至るまで、幅広いファン層によって支えられている。逆にリーベルのファンは自分たちのことを「ミジョナリオス」(百万長者)と呼んでいるが、サポーターの中にはスラム街に住む人たちもたくさんいる。
アルゼンチンのサッカーがプロ化された1931年、ボカは32試合を戦って20勝6敗6分、勝ち点50の成績で、アルゼンチンサッカー協会主催のリーグ戦の初代チャンピオンとなる。以後、数々の名選手たちがボカのユニフォームを着て名プレーを披露してきたが、その中で最も有名なのはやはり、マラドーナである。ボカの象徴のようになっているマラドーナだが、もともとはアルヘンティノス・ジュニオルスで育った選手。実際ボカに在籍したのはわずか1年で、40試合に出場し、28ゴールをあげた。そんなマラドーナがボカのシンボルとなっているのは、クラブに対する無限大の愛情からだ。子供の頃からボカの大ファンだったマラドーナは、その後、バルセロナ、ナポリ、セビージャといくつものクラブでプレーしたが、心は常にボカにあった。感動的な引退試合をボンボネーラで行い、前半をアルゼンチン代表の、後半をボカのユニフォームでプレーしたことは、彼のボカへの無限大の愛情を示す一大イベントだった。
ボカのファンは、マラドーナのように、ボカ育ちの選手でなくてもチームのために全身全霊を捧げる選手を讃え崇める。最近では、ギジェルモ・バロスケロット(ヒムナシア出身)、フアン・ロマン・リケルメ(アルヘンティノス)、そして現在チームに所属する選手の中では、マルティン・パレルモ(エストゥディアンテス)である。パレルモは、非常にエキセントリックな選手だ。毎シーズン、ヘアスタイルを変えることから始まり、以前は女装して雑誌のグラビアを飾ったこともあった。 エストゥディアンテスでエースストライカーとして活躍していたパレルモをボカに連れて来るべきだと主張したのは、実はマラドーナだった。97年にボカに移籍し、期待を裏切らない得点力を発揮して98年にはリーグのリーディングゴールゲッターに輝き、2000年のトヨタカップでレアル・マドリーを相手に2得点をあげて優勝に貢献したことから、ボカの歴史にパレルモの名前がしっかりと刻まれ、サポーターからも絶大な支持を誇ることになった。 ところがこの「偉大なストライカー」、なぜかボカ以外では本領を発揮できない。代表チームでも、スペインでもビジャレアル、ベティス、アラベスと渡り歩いたが、どこでも馴染めずに結果を出すことがなかった。そして2004年にボカに復帰してからは、再び水を得た魚のようにストライカーとしての本性を見せ始めた。「ボカでしかゴールを決められない」と過小評価する意地の悪い声もあるが、逆にそれがさらにボケンセたちから愛される原因となっているようだ。
ボカのために必死に汗を流す選手たちをこよなく愛する忠実なサポーターたちは、非常に熱心なことでも知られている。2000年のトヨタカップで、大勢のサポーターが東京の国立競技場まで駆けつけた光景は記憶に新しいが、トヨタカップで現地からあれほど大勢のサポーターが日本に集まったのは前代未聞のことであった。ところが、そのことについてボケンセたちに話しても、彼らにとっては「当然のこと」でしかない。
アルゼンチンから日本へ行くことは、並大抵のことではない。あのときのトヨタカップが、初めての海外だったというボケンセもいる。ボカが日本という、遥か彼方まで世界チャンピオンの座をかけて戦いに行くのだから、自分も行かなくてはいけないと考えた人がたくさんいたのである。
ボカのサポーターは、ボンボネーラでのホームゲームの際、90分間ずっと歌い続ける。太鼓とトランペットの楽団が奏でるリズムに乗って、男たちが太い声で情熱的な応援歌を歌い続けるのだ。この熱い応援を見るためだけにボンボネーラを訪れるという人は少なくない。
最後に、ボカの選手たちがピッチに入場するときにサポーターたちが歌う歌を紹介しよう。彼らの、熱い忠誠心が詰まった「名歌」である。
Boca, mi buen amigo
esta campana volveremos a estar contigo
Te alentaremos de corazon
Esta es la hinchada que te quiere ver campeon
No me importa lo que digan
Lo que digan lo demas
Yo te sigo a todas partes
Cada vez te quiero mas
訳:
オレの親友、ボカ 今シーズン、また君を応援に来た
心から応援するよ このサポーターたちは
君がチャンピオンになるのを観に来たんだ
周りから何を言われても気にしない
全然気にならない
オレはどこまでも君を追いかけて行くよ
ますます君のことを愛しているのだから
Reported by 藤坂・ガルシア・千鶴
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