決勝戦、3位決定戦のチケット完売のため、ボカの試合が見られるのは12月12日(水)@国立競技場の試合だけ!
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ボカがコパ・リベルタドーレスで優勝を飾ったのは、これが6回目。うち4回はこの8年の間に勝ち取っており、平均すると1年おきに優勝している計算となる。 だがさらに、その4回のうち、今回の優勝はボカにとって特別な意味を持つものとなった。前の3つのタイトル(2000年、2001年、2003年大会)は、いずれもカルロス・ビアンチ監督の指揮下で得られたもので、南米大陸内でも「ビアンチ=リベルタドーレスの王」と言われるほどまでになっていたが、今年の大会は、ビアンチではない監督、ミゲル・アンヘル・ルッソの手腕によって制覇したのだ。
これにより、ボカは、選手や監督の顔ぶれが変わろうとも、南米における地位をしっかりと確立した「真の強豪」になったと称賛を受けたのである。 では、今回もう一度世界チャンピオンの座を賭けて日本に乗り込むボカが、どのようにして南米王者となったのか、その道のりを辿ってみよう。 今年のコパ・リベルタドーレスについて語るには、2005年度のトルネオ・アペルトゥーラ(リーグ戦前期)を忘れては行けない。なぜなら、これを制したことによって、ボカは本年度のコパ・リベルタドーレス出場権を得たからである。前年の2004年にはリーグ優勝を果たせず、2006年度コパ・リベルタドーレスへの出場資格を得ることができなかったことから、ボカの関係者たちは2005年前期の優勝に2重の喜びを感じた。
2005年のアペルトゥーラでボカを指揮したのはアルフィオ・バシーレ(現アルゼンチン代表監督)。ディエゴ・マラドーナの強い推薦からボカの監督に就任したバシーレだったが、開幕当初はチームの構成の仕方やゲーム内容に疑問を抱かせ、さらにチームのカリスマ的存在だったギジェルモ・バロスケロットを先発メンバーから外したことから、サポーターたちの反感を買い、厳しいスタートとなり、第5節でサンロレンソに3−2と敗れたとき、サポーターたちの怒りが爆発。早くも辞任を求める声が高まったが、そこで出て来たのがマラドーナ。「ココ(バシーレの愛称)にもう少し時間を与えてくれ」とファンに頼んだのである。
マラドーナのバックアップを得た監督とそのチームは、その後も14節と15節を落としてしまうが、GKアボンダンシエリ、DFイバーラ、若きボランチのガゴ、トップ下のインスーア、そして前線のパレルモとパラシオの安定したプレーによって勝ち点を加算し、最終節でオリンポに勝って優勝。そのとき、スタンドにはサポーターから「ココ、ごめんなさい」という横断幕が掲げられた。 2004年シーズンを不振のままに終えたため、2006年のコパ・リベルタドーレスには参加できないという屈辱を味わったが、その間、バシーレ監督のボカは、コパスダメリカーナ(コパ・リベルタドーレスがUEFAチャンピオンズリーグだとすると、コパ・スダメリカーナはUEFAカップに相当する南米のクラブによる大会)やレコパ(コパ・リベルタドーレスとコパ・スダメリカーナの優勝チーム同士によって、コパ・リベルタドーレス終了後の9月に開催)といったタイトルを獲得。翌2007年大会に向けてチームの気運を高め、2006年9月からアルゼンチン代表監督に就任した。
前年の大会に不参加となった悔しさを晴らすためにも、ボカは今年のコパ・リベルタドーレスには参加するだけでなく、優勝を目的に置いた。そこでクラブのマウリシオ・マクリ会長はまず、2006年度後期の最終節で優勝を逃してしまったリカルド・ラボルペ監督の契約を更新せずに、2005年後期にベレス・サルスフィエルドを優勝させたミゲル・アンヘル・ルッソを監督に指名。そしてさらに、ビジャレアルで居場所を失っていたフアン・ロマン・リケルメを4ヶ月間レンタルし、呼び寄せたのである。 リケルメを連れて来たことは、クラブ内でも大きな反響を呼んだ。高額なレンタル料金を支払うことに躊躇する幹部がいたからだ。しかしマクリ会長は「リケルメをレンタルするのに必要だった金額よりももっと大きなものが得られるのだから」と、コパ・リベルタドーレスでの優勝を疑わなかった。
そして挑んだ今年のコパ。グループリーグでは、トルーカ(メキシコ)、ボリーバル(ボリビア)、シエンシアーノ(ペルー)と同グループに入る。まだリケルメのレンタル契約が成立していないうちに開幕し、初戦の対ボリーバル戦で無得点の引き分けに終わり、続くホームでの対シエンシアーノ戦では1-0と辛勝。そして3戦目のトルーカとの試合では、全くいいところがないままアウェーで2-0の敗戦を喫してしまった。 不安に包まれるボケンセ(ボカ・サポーター)たち。だが、弱気になったのはわずか1週間だけだった。リケルメが正式にチームに合流し、トルーカをホームに迎えて行われた雪辱戦で3-0と完勝したのである。この試合でリケルメは、それまでばらつきが目立っていたチームの攻撃をまとめ、自ら得点も決めて勝利に大きく貢献した。
その後、再びリケルメを欠く布陣で高地クスコにてシエンシアーノと対戦し、3-0と惨敗を喫するも、グループリーグの最終戦となったボリーバルとの試合で7-0という大勝利をおさめる。この試合でリケルメは大活躍し、文字通りボカの救世主となった。ホームのボンボネーラでの快勝にサポーターたちは狂喜し、チームはグループリーグを2位で通過したのだった(1位はトルーカ)。 だが、決勝トーナメントに入ってからも苦しい戦いが続く。最初の相手は、同じアルゼンチンのベレス。ボカのルッソ監督は前年までベレスを指揮しており、ベレスにはボカを解雇されたばかりのラボルペ監督がいたことにより、互いを知り尽くした者同士の戦いとなった。
ボンボネーラで行われた第1戦では、ボカがリケルメ、パレルモ、ロドリゲスの得点から完勝。第2戦では相手に3得点を許してしまうも、ベレスのオウンゴールに救われて勝ち抜いた。しかし、今大会におけるアウェーの戦績が思わしくないこと、また失点の多さもメディアから厳しく指摘されたのがこの頃だった。
続く準々決勝では、リベルタ(パラグアイ)とホームで引き分けたあと、アウェーでリケルメとパラシオのゴールから勝利をつかむ。ところが準決勝のククタ(コロンビア)戦では再び「アウェーの祟り」が表れ、3-1の黒星を喫してしまった。前半は主導権をしっかりとつかみ、レデスマのゴールによってリードしたものの、直後に同点ゴールを許し、後半に入るとチームは一気にバランスを崩してククタのペースにはまり、カウンターも仕掛けられないまま結局3得点を許すことに。
ホームでの第2戦では、ククタに1点でも許せば敗退がほぼ決定という苦しい状況に置かれる。が、試合当日、ブエノスアイレスの夜空を包んだ濃霧がボカに幸運をもたらした。スタンドからピッチを見ることができないどころか、GKやDFの選手たちが相手のゴールを見れないほど濃い霧のために、試合開始時間が1時間も遅れたのである。
その間、ボカの熱狂的なサポーターたちは、大声で歌い、飛び跳ね、キックオフまで会場のムードを盛り上げた。ククタの選手たちは、ロッカールームで1時間もその応援を聞かされ、アウェーのムードにすっかり飲み込まれてしまったのである。ボカは前半終了間際に、リケルメがFKから直接決めたゴールで先制。その後、後半にパレルモ、バタグリアがそれぞれ追加点をあげ、ボカは本大会において9度目の決勝進出を決めたのだった。
決勝ではグレミオ(ブラジル)と対戦したが、ボカは準決勝を勝ち抜いたことでチーム全体が非常にポジティヴな状態になっていた。自信に漲る堂々としたプレーでホームでの第1戦を3−0の勝利で飾ったあと、適地に乗り込んでの第2戦でも各ラインにおいてゲームを完全に支配し、0−2と快勝。通算5−0という、コパ・リベルタドーレスの決勝においては史上最多の得点差をつけて、ボカは悲願の優勝を成し遂げたのだった。
今大会、ボカで最も多く得点をあげたのは、FWのパレルモでもパラシオでもなく、リケルメであった。コパ・リベルタドーレスのためにスペインから駆けつけた助っ人は、マクリ会長とサポーターたち、そしてチームメイトたちの期待に十分すぎるほど応えたのである。
Reported by 藤坂・ガルシア・千鶴
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