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【FCWC特集】北中米カリブ代表 CFパチューカを徹底紹介!世界屈指の先進的な運営をするクラブ(07.11.08)

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 まずはパチューカのクラブ紋章に注目して頂けるだろうか。これまで若干のデザインチェンジを繰り返してはきたが、常に真ん中に在るのはパチューカ市のシンボル。町のセントロ(中心)に聳え立つ独立記念時計台だ。そして、紋章の周りには星が8つ。青と金色、それぞれ5つと3つ。これらは言うまでもなく優勝回数を表したものだ。青はプリメーラ(国内一部リーグ)で、金色は国際大会でのタイトル獲得数だ。しかし、100年以上の歴史を持つメキシコ最古のクラブでありながら、初めて星を獲得したのは1999年(8年前)、と非常に最近の出来事なのが意外ではないか……。

 パチューカのクラブ設立はメキシコサッカーの始まりと言っても過言ではないだろう。同クラブの創立は1901年。歴史的背景を見れば、当時のメキシコ・イダルゴ州の州都パチューカの鉱山開発に多くのイギリス系資本が投じられた。と同時に技術者や炭鉱夫のイギリス人がパチューカにやって来た。その仕事の余暇に楽しんだのがサッカーであり、そこで結成されたチームが現在のCFパチューカの前身というわけだ。そして、彼らイギリス人と共に働くメキシコ人にサッカーが伝えられた。現在のパチューカ、そしてメキシコという国においてサッカーの定着ぶりとは、火を見るより明らかなこと。パチューカのクラブプロモーションビデオの中で、鉱山を掘りあてたところ金のサッカーボールが発見されるシーンがある。まさにパチューカこそが、メキシコサッカーの発祥の地であることを物語るシーンではないだろうか。ちなみに、パチューカの愛称は“TUZOS”(トゥソス)。日本語に訳せば“穴ねずみ”は、鉱山のイメージのあるパチューカの町ならでは。

 クラブ自前のメキシコ革命スタジアム(Estadio Revolución Mexicana)は1958年に完成(愛称:レボルシオン)。ちなみに、同スタジアムが建設される前には市の中心に完成予定のミニチュア模型が展示されていた。実は当時のパチューカの人たちにとってこんな大きな建造物が本当にできるのだろうか、と半信半疑だったとか。

現在のイダルゴ・スタジアム(Estadio Hidalgo)は1993年にできたもの。別名“ウラカン(ハリケーン)”だが老舗ファンはこの名前に対してアレルギーがあるようで、スタジアムの名前は州名である“イダルゴ”を主張している。一方で、最近の若いサポーターとなるとルチャリブレ(メキシコのプロレス)のマスクを被って応援する者が多いのだが、中でもスタジアムの別名にちなんでか“ウラカン・ラミレス”選手の青いマスクを被っているファンが多いようだ。

スタジアムがある場所は町の中心近くで、長距離バスターミナルの目の前。つまり、他の都市からパチューカへ着いた誰もが目にするはずなのだが、外観からはスタジアムが少しわかりにくい。というのも、作りが丘のような小山を掘り込んだ形になっているからである。スタジアム内部は、サッカー専用スタジアムということで、どこからでも見やすいのは言うまでもない。収容3万人とサイズも標準的だ。ホームであるCFパチューカのロッカールームは、各選手の専用ロッカーがあり、そこには自分のプレー写真が大きなパネルとなって飾られており、選手を第一にフィーチャーした作りとなっている。
 
 メキシコリーグ最古参のクラブとはいえ、創設から現在に至る長い道のりは決して平坦なものではなかった。プリメーラから実に4度の降格と昇格を繰り返すという苦悩を重ねているのだ。4度目の昇格を果たしたのが98年で、その翌年に再び夏期リーグに降格の危機を迎えている。しかし、そのピンチを乗り越えると、ハビエル・アギーレ監督(現アトレティコ・マドリー監督)の指揮下、99年冬期リーグで初めての国内制覇を果たした。その後、現在までプリメーラでの8年間、チャンピオンの座に5回就いていて、今年の夏期リーグ優勝が最近の国内タイトル獲得だ。

 国内王者であることの付加価値として、国際大会への参加が実現し始めると、02年に初めてCONCACAF(北中米カリブ海地区)王者に輝いた。昨年はコパ・スダメリカーナ(南米のクラブによるカップ戦)のタイトルを獲得。CONCACAFに属するメキシコのクラブが、CONMEBOL(南米地区)の大会に招待参加して優勝したのは史上初の快挙であった。優勝を決めたのはホーム&アウェイの2戦目の舞台、メキシコから遠く離れたチリ。テレビの生中継もあり、現地に行けなかったサポーターもテレビの前で歓喜と至福に酔いしれた。今年は再びCONCACAF王者に君臨すると、今回のFIFAクラブワールドカップに駒を進めた。さらに今年から始まった北米スーパーリーグ(アメリカ、カナダ、メキシコの計8クラブが参加)で初代王者にも輝いている。

 このような99年以降のパチューカの快進撃は、ヘスス・マルチネス氏を初めとする首脳陣の手腕抜きには語れないだろう。95年よりオーナーの座に就いている同氏は、クラブ哲学として4本の柱(スポーツ、アカデミー、ソーシャル、コマーシャル)をベースに、町ぐるみの壮大プロジェクトを掲げた。
まずはクラブで自前の選手を育てることの重要性から、94年以来の育成機関を7軍(U11)からに広げて、カテゴリー組織している。実際、現トップチームに登録される育成機関上がりの選手の数は見過ごせないところだ。さらに、サッカーだけでなくスポーツ一般でのプロ育成をという概念から、メキシコだけでなくラテンアメリカで唯一の「サッカー・スポーツ科学センター大学(通称:サッカー大学)」と呼ばれる教育機関を設立した。クラブ設立100周年に開かれた同大学が年末に開催する国際会議には、昨年はペレ、フランチェスコリ、オラシオ・エリソンドら世界中のサッカー著名人が駆けつけるなど年々スケールがエスカレートしている。

 クラブと社会のつながりに関しては、まずクラブサポーターに対しては、アウェイゲームへのサポーターたちの移動の便宜(安価な移動手段を探すなど)を図っている。選手たちには、社会との関わりを当然のものとして認識させ、ラジオやテレビのインタビューにしっかり応えることはもちろん、サッカー大学で行われる普段の練習を見学に来たファンにサインをプレゼントするのは日常的な光景だ。そして、各選手につき1ヶ月に4回の社会交流(慰問やイベント参加)が行われている。

 マスメディアに関してはメキシコで唯一力を入れているクラブと言えるのではないだろうか。クラブ内にあるスタジオでテレビ、ラジオ番組が作られ、たとえばテレビに関してはTuzoccerという番組がスペイン語版FOX SPORTSで1時間番組として毎週放送されている。クラブの情報誌も独自に編集創刊して、パチューカが自ら情報発信源となっているのである。
 市内にはCFパチューカのTUZOSを用いたブランドが多く見られるが、遂にはTUZOS PLAZAと呼ばれるショッピングモールが建った。

 CFパチューカを表すときに、“メキシコで唯一の”という形容が頻繁に使われるが、それは最古のクラブにして常にパイオニアな姿勢を打ち出しているからなのである。

また現在の所属選手を見渡したとき、顕著なのが外国人プレーヤーの多さだろう。メキシコリーグでは、メキシコ人のみで構成する強豪クラブのチーバスを除いては、非常に多くの外国籍選手が活躍しているが、とりわけCFパチューカはメキシコ帰化が2人(ミゲル・カレロとガブリエル・カバジェロ)、そして、外国籍が5人(ルイス・ガブリエル・レイ、クリスティアン・ヒメネス、アンドレス、チティーバ、ダミアン・アルバレス、フリオ・マンスール)と非常に多い。

 かつて05年には、日本人プレーヤーの福田健二が在籍して、コパ・リベルタドーレスにトップチームの一員として出場している。在籍時に彼が見せた日本人としての規律、戦略的な戦いぶりは、CFパチューカを去って2年が経つ今でもクラブ関係者から大きく評価されている。

 さらに現在のトップチームの特徴を挙げるならば、24人の登録メンバーで半分を超す14人がクラブ自前のフエルサス・バシカス(下部組織)上がりの選手であることだろう。直近のメキシコ代表ではCFパチューカから6人が選出されたうち、5人が下部組織出身の選手だったことも付け加えておきたい。

 現在の指揮官であるエンリケ・メサは、2001年のFIFAコンフェデデレーションズカップでメキシコ代表の監督経験を持つ名将。彼の下で獲得したタイトルは3つ。前線はアルゼンチン人の“チャコ”ヒメネス、コロンビア代表レイ、メキシコ人のラファエル・マルケスとファン・カルロス・カチョ。メキシコ・ユース代表時代から頭角を現すマルケスとカチョは、フル代表に頻繁に選ばれている。中盤は外国籍選手の色が強い。攻撃的MFとしてコロンビア代表“チリンドリーナ”チティーバ、リーベル・プレート出身のアルバレス(アルゼンチン)の2人が前線に縦の動きを作り上げ、右サイドに35歳のベテラン、カバジェロ(アルゼンチンから帰化してメキシコ代表経験あり)が配置される。スピーディーな展開、そして安定感のあるチームという印象だ。

 しかしながら、勝利の同義語と化していたCFパチューカに、ここに来て不安材料が浮上しているのも確か。固い守備の中心であったコロンビア代表DFのアキバルド・モスケラがスペインのセビージャへ移籍。同代表で守護神のカレロは、左肩に血栓症を患い手術したため6ヶ月の安静を余儀なくされている。この2人が抜け落ちたことで、明らかにパチューカのサッカーがうまく機能しなくなった上、これまで重要なプレーヤーに依存していた体制が浮き彫りになってしまった。この問題を解決することができればFIFAクラブワールドカップでも躍進をみせることができるかもしれない。

Reported by 信藤大輔

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