★U-23日本代表のこれまでを振り返る → 【こちら】
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五輪代表としての2年間が終わり、チームが解散した。
振り返るなら、「苦しみながら成長してきた2年間」と言うことが出来るのではないだろうか。結果こそ出なかったが、多くの課題と収穫を手にした時間でもあったはずだ。全てをバネにして、選手たちには更なる飛躍をしていってほしい。また、今後立ち上げとなるロンドン五輪のU-23日本代表が本大会で1勝もできずに終わるようなことにならないようにと望みたい。
北京五輪に向けたU23日本代表は、06年7月末の立ち上げから11〜12月のアジア大会(ドーハ)ごろまではまだFIFAワールドユース・オランダ大会の世代が中心となった強化であった。惜しまれるのは、このころからあまりにも多くのメンバーが入れ替わっていること(アジア大会2006/ドーハ メンバー)。
この頃は、まだ翌07年2月から始まる北京五輪の予選も本大会も、視野に入ってはいるものの、あまり切羽詰まった感覚ではとらえられておらず、必ずしも五輪代表を優先にスケジュールを組むことが出来なかった。また、北京五輪メンバーの中には、この時期にはまだ頭角を表す前だった選手もいる。
この年、中心選手として活躍を見せた中村北斗(福岡)がアジア大会直前の「日中韓サッカーU-21代表交流戦」で負傷し、代表から離脱してしまったことが、もしかしたらその後のチーム作りに少なからず影響を与えたかもしれない。彼さえいれば4バックで固定できるかもしれない…そんなゲームを日中韓対抗戦で見せていたから、大きく悔やまれる点だ。
翌年に入ると、2月からずっとハードスケジュールだった。北京五輪2次予選、最終予選ともにホーム&アウェイで6試合ずつ、合計12試合戦った。1か月に1度もしくは2度ずつ集合し、試合を行う。ピチピチ感がない、覇気がないと言われながらやっていた予選だったが、前後半戦に入ると、大きく変化を見せていった。
2次予選は4連勝で突破を決めた。この頃は家長昭博(大分)、水野晃樹(セルティック)ら両サイドの選手たちが大活躍。チームとしても伊野波雅彦(鹿島)を中心に選手だけでのミーティングが組まれるなど、徐々にではあるがチームとしての形を作ろうとしていたころだ。「どれだけ、力が出し切れるか。それさえできれば、予選突端は問題ないはず」とこの頃、伊野波は話していた。2次予選のレベルは、本来の自分たちの力さえ出せれば怖いものではなかった。
最終予選に入り、一時はグループ首位を明け渡すなど厳しい戦いが続いた。特に4戦目のアウェイ・カタール戦で敗れた後は苦しかった。だが、直後のアウェイ・ベトナム戦で4−0の勝利。これでチームが一つになった。最終戦のホーム・サウジアラビア戦で引き分けながらでグループ首位で突破を決めたあとは「川淵キャプテンが『ピチピチ感がないと言ってごめん』とロッカールームで謝ってくれた」(水本裕貴/京都)と選手たちも笑顔を見せた。
この最終予選からは、FIFA U-20ワールドカップ・カナダ大会を終えた選手たちも合流。「あいつらはうるさい」と言われながらも、にぎやかに溶け込んでいった。柏木陽介(広島)、森島康仁(大分)ら、新しい力は大きく最終予選突破に貢献。「いやー、うれしい。顔が笑っちゃう」(柏木)と、素直に喜びを表現していたのは印象的だった。
08年に入ってからは、2月のアメリカ遠征、3月と6月の国内での親善試合、5月のトゥーロン国際大会と強化を繰り返した。だが、負傷や、各選手が所属チームの主力となっていることなどが理由でなかなかメンバーの固定ができない。それでもトゥーロン国際大会で3位決定戦までの5試合を経験し、国際試合での自信をつけていった。ただ、決定的に強烈な経験をするところまでは、いかなかった。
トゥーロン国際大会以降の合宿からは本田圭佑(VVVヘンロ/オランダ)、森本貴幸(カターニャ/イタリア)ら海外組も合流し、徐々にメンバーを固定していった。途中、オーバーエイジ枠を起用するかしないかで反町康治監督は悩まされたようだったが、紆余曲折を経て最終的にはU-23の選手たちだけで北京五輪に挑むことになった。
「この世代だけでいいと、ずっと思っていた」と西川周作(大分)が話すなど、選手はこの状況も歓迎していた。
本番直前の親善試合を終え、8月4日に現地入りしてからの選手たちは、「チーム」としての一体感を増していった。練習前には必ず選手だけで円陣を組むことを欠かさなかった。8月7日のアメリカ戦前には選手、スタッフともに自信も感じられた。だが、勝利には至らなかった。「軸がなかった」「勢いがなかった」と選手たちが異口同音に3戦終了後に口にしたのは寂しかったが、今後各個人の意識向上にまずは期待したい。
ただ一人、ロンドン五輪の世代でもある香川真司(C大阪)は、「とにかく勝負するメンタリティが必要。それがなければ戦えない」と終了後に話している。彼がここで感じたことは、必ず次世代に引き継いでほしい。
北京五輪を戦った選手たちは今後、Jリーグの中心選手になっていくだろうし、日本代表入りもすることになるだろう。彼らがこの経験をどうやって自分の糧にしていくか、五輪が終わってもまだまだ目は離せない。
以上
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