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【J1:第5節 仙台 vs 鹿島】レポート:試合早々にゴールを奪った仙台。一人少なくなった鹿島を退け、開幕からの勢いをさらに加速させる大きな勝利。鹿島は今季初黒星。(10.04.05)

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4月4日(日) 2010 J1リーグ戦 第5節
仙台 2 - 1 鹿島 (13:04/宮城ス/23,214人)
得点者:1' フェルナンジーニョ(仙台)、61' フェルナンジーニョ(仙台)、77' 興梠慎三(鹿島)
スカパー!再放送 Ch183 4/5(月)17:00〜(解説:鈴木武一、実況:松尾武史、リポーター:村林いづみ)
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殊勲の2得点を決めたフェルナンジーニョが「あれでチームは本当に楽になった」と語り、この日はキャプテンマークを巻いて中盤のバトルを牽引した千葉直樹も「チームの経験を考えれば、本来の状態の鹿島とやってみたかった」と残念そうな素振りを見せるなど、試合早々のマルキーニョス退場がなければ、ひょっとしたら試合は別の展開となっていたかもしれない。

だが、この好機を活かした仙台の戦いぶりが、賞賛に値するのも間違いない。
前回のJ1初年度だった2002年、仙台は開幕5連勝を果たすのだが、その時も第5節で当たったのは鹿島(この時はアウェイ戦)。さすがにここで連勝も止まるかという声が、身内のサポーターからもちらほら聞こえていた中、仙台はマルコスの2ゴールで華麗に鹿島を仕留めて見せた。
あの頃は『めざましテレビ』の早朝枠でもミニ特集が組まれ、たまたまテレビをつけていたこっちがびっくりしてそれこそ目が覚めた…とか、そういう出来事も含めて記憶に残る時期だったのだが、今の仙台の活躍は(ある意味、栄光の時期としてすがり続けた)当時の記憶を払拭するに値するものである。

さて、試合はいきなり動いた。キックオフ直後、菅井直樹からのロングボールに中原貴之が頭で競り勝ち、それに素早く反応した梁勇基がゴール正面から強烈なミドル。バーを直撃してペナルティーエリア内に落ちたボールを、イ ジョンスはヘッドでクリア、もしくは味方につなげようとしたのだろうが、明らかに当り損ないとなったボールはエリア内にとどまる。
それを読んで飛び込んできたのはフェルナンジーニョ。迷うことなく右足ボレーを放つとGK曽ヶ端準のタイミングを外したボールはゴール左へ転がり込んでいった。ここまで、わずか19秒。取材陣の中にも見ていなかった者が多かったくらいあっという間に、仙台は試合をリードすることになる。

こうなれば鹿島の猛攻が早い時間から始まるのだろうと思われた15分。今度は違った形で試合が次の展開を迎える。中央、野沢拓也から左前方への展開のパスを受け、菅井を引き連れる形でスペースへと流れたマルキーニョスが、背後から寄せてきた菅井に対して左肘を振ってしまう。直前にも似たような場面があったことも影響してか、主審から出されたのは一発退場を示すレッドカード。父親の急死という悲しみを乗り越えて、鹿島のためにピッチに立つことを選び、フットボーラーとしての強さを見せたマルキーニョス、仙台の側にも「彼のプレーを見たい」というサポーターがたくさんいたのだが、極めて残念な形で、彼は試合を75分近く残してピッチを去った。

その混乱が落ち着いた後にやってきたのは、仙台が戦前に想像していた中盤の激しい争い。FWが一人減ったとはいえ、中盤の構成力に陰りは見られなかった鹿島の中盤は、遅効と速効を上手く使い分けてくる。だが仙台の中盤も、この日は鹿島に引けを取らない激しさで迎え撃った。前線からも良く戻り、さらにDFラインもしっかりと上げることができていたため、少しでも鹿島のボールが止まれば二重三重のプレスを仙台は仕掛けることができた。低い位置の小笠原満男から2度ボール「強奪」に成功した富田晋伍、彼のような激しさを持つプレーヤーを後方で操り、自らも体を張ってルーズボールに飛び込んでいった千葉を筆頭に、仙台は皆よく闘っていた。

後に試合全体の流れとして振り返ってみると、マルキーニョス退場後からしばらくは、双方様子見の展開だった。鹿島の強さをしっかり認識していた仙台は、相手が一人少なくなろうとも、まず守備ブロックをしっかり組む手堅さを捨てず、一方の鹿島も、試合後にオズワルド オリヴェイラ監督が「10人になった以上、戦術的な交代はできない」と語ったt通り、選手の体力低下による綻びが表われるまでカードを切らなかった(実際、それでも11人の仙台と互角に渡り合っていたわけなので、この采配は的確だっただろう)わけだから。

となると、その拮抗が崩れた時に決まる得点が試合の行方を決める…そんな予感を抱き始めた61分、文字通り勝敗を決する1点が、仙台に決まった。
GKまでボールを戻させられた仙台。チェックが忍び寄る中でも、GK林卓人、そしてその他の選手は冷静だった。「ああいう、卓人さんが苦しい中でのクリアをする場面では、(競り合いで優位に立てる)俺の方に蹴るから、ということになっていた。だからこっちも準備をして待っていたら、俺の想像以上(に良い)ボールが来たから、絶対に競り勝たないと、と思った」という言葉の通り、林のキックを受けてバックヘッドでキレイに後方へ流した中原。そこに梁が走り込んだ時点で、仙台は2対1の数的優位に。一気のカウンターで梁からスルーパスを受けたフェルナンジーニョがゴール左へ流し込み、これが決勝点となった。

鹿島も77分、小笠原のシンプルな縦パスに反応した興梠慎三が、エリゼウ、渡辺広大の二人に挟まれながら、前への突進から強引にシュート。CBが競り合っていただけに林の飛び出しが遅れたのは仕方ないのだが、興梠の馬力は想像を超えていたか。そこからのシュートが林を超えてゴールに吸い込まれる。一人少ないにもかかわらず、1点返しただけで強烈な怖さをスタジアムに充満させるあたりはさすが鹿島であるが、それでも仙台はその後、何とか1点のリードを守りきった。

最後になるが、仙台が鹿島を撃破したこの日、藤井黎・元仙台市長が亡くなられた(享年79歳)。
敢えて「藤井さん」と呼ばせていただくが、藤井さんは無類のサッカー好きで、ベガルタにも多くの愛情を注がれ、ベガルタ仙台・市民後援会名誉会長も務められた。ホームゲームにも足繁く通っておられた姿が印象的で、筆者としては2003年、結果的に降格が決まってしまった大分とのアウェイ戦に向かう飛行機でご一緒させていただいた時の、本当に結末を心配されていた姿が記憶に残っている。また、2002年のW杯日韓大会の際は、イタリア代表のキャンプ誘致に尽力されるなど、この地とサッカーの関わりにおいて、大変大きな貢献をなされた。
報道によれば、亡くなられたのは13時30分。フェルナンジーニョの1点目は見ていた…いやきっと、歓喜に沸く宮スタを上から眺め、自らも、忘れられないあの笑顔を見せていたことだろう。心より、ご冥福をお祈りしたい。

以上
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