【前編はこちら!】
空腹になったので出島駅近くのお店でチャンポンを食べよう…と思ったところ、何と休業中。ショックでめまいがしたが、すぐに気を取り直し、3軒隣りの洋食店で『トルコライス』をいただく。サフランライスにデミグラスソースのかかったロースカツが乗せられ、脇にはスパゲッティナポリタンとキャベツの千切りとボリュームたっぷり。これは長崎風で、ほかにも大阪風や神戸風のトルコライスがあるが、いずれにしてもトルコにはこのような料理は似たものすらないそうな。
腹も満たしたところで、この旅のメインディッシュである、『軍艦島(端島)』へ向かう。軍艦島とは、かの「島は宝島だった――」のCMでお馴染みの、かつて海底炭鉱によって大いに栄えた島である。良質の石炭が採れ、日本の近代化を長らく支えてきた。最盛期の1960年には5,267名の人口がおり、その密度は東京の9倍もあったという。学校ができて、近代的なアパートが建った。周囲は埋め立てにより3倍の広さに拡張され、病院・お寺・映画館・スナックも。しかし――エネルギー革命により石炭から石油への移行が進み、1974年についに閉山。以降は無人島と化している。2001年、高島町(当時)に無償譲渡され、現在は市町村合併により長崎市が管理している。建物は老朽化しており、高層アパートももはや倒壊は時間の問題。荒廃の進む中、観光資源として2009年から整備された見学通路の部分だけ上陸が可能となった。現在は各旅行会社や海運会社が上陸ツアーを行っており、昼食をいただいた洋食店から歩いて数分の場所にある長崎港から出港している。ご希望の方はインターネットで「軍艦島 ツアー」で検索すれば、幾つもの会社のサイトにヒットするはずだ。ひとつ心配だったのは天候不順で波が高い日などは上陸ができないこと。この日の午前中は「ギリギリ上陸できた」とのことで、これは運を天に任せるしかない。片道30分ほどだが、波の強い日は船酔いには注意されたい。
心配していたが、上陸オーケー。ついに宝島への上陸を成し遂げたと思った途端、筆者の日頃の行いの良さからか何と雹が降り出す(頭に当たると痛いレベルの粒の大きさ)という、先が思いやられるスタートとなったが、幸い通り雹だったらしく、5分ほどで空には晴れ間も見えた。着ていたパーカーはビショビショになったんだけどね…。ちなみに有料で雨がっぱも用意してくれたが、何故か意地があって着ることはしなかった(バカですね!)。
遠目から見る高層アパートはもはや骨と皮だけといった状態。その周辺に生物の気配は全くない。倒壊も間もないであろうアパート群を見つめていると、まるで吸い込まれていくかのような錯覚に陥り、もちろん周りには同じツアー客が声を上げているのにも関わらず、何故か一人ぼっちになってしまったかのような、言いようのない寂寥感を覚えてしまった。櫛の歯が抜けるようにこの島を1人去り2人去り…。最後の最後まで残った人も同じような感情に囚われていたのかもしれない。ましてや、この島の海底奥深くには数度の炭鉱事故で眠り続ける炭鉱夫たちがいる。大袈裟でも何でもなく、死と隣り合わせの世界。若く独り身の炭鉱夫はその厳しさにすぐに逃げるように島から離れ、残ったのは家族のいる者ばかりだったとツアーガイドは説明する。まさに美輪明宏の「ヨイトマケの歌」の世界である。ふと見渡せば、島から見えるのは水平線のみ。5,000人分もの肉や米、野菜を陸地から運んでくるだけでもいい加減くたびれる話であるし、採掘当初などは飲み水すら事欠く、住居環境や労働環境も劣悪そのものだったことは容易に想像できる。
温かくおいしい食事とふかふかの毛布、冷暖房の効いた部屋で日々を過ごす自分が、“命を賭して自由を守るということの価値”や“多くの人の尊い犠牲や尽力によって得られた近代化というものの意味”を訳知り顔で語るのは、いかにも薄っぺらい。しかし、それでも立ち止まって考え込まずにはいられない。その価値と意味について。
そんな思いを抱えながら、僕はWG−2と共にこの街を後にした。
以上
2013.11.27 Reported by 多岐太宿
J’s GOALニュース
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長崎風トルコライス。ボリュームたっぷり。
軍艦島(端島)を遠方から望む。
軍艦島に上陸。高層アパートも倒壊を待つばかりの状況。
今回の旅の足だった、長崎市電。ちんちん電車が動きます♪















