才能が注目され始めたプロ入り前

1986年6月18日、大分県宇佐市に生まれた西川周作(にしかわしゅうさく)選手。
小学3年生の時にサッカーをはじめ、4年生の時にゴールキーパーでプレーを始めました。人一倍大きかった体格を活かして活躍を続け、地元で注目を集める選手に。中学卒業時までは出身地の宇佐市で過ごし、高校進学時に当時の大分トリニータU-18に加入。親元を離れ寮生活を始めました。
2003年にはU-18日本代表に初選出され、GKという一つしかないポジション争いを制して年代別代表の正GKに定着!
大分トリニータU-18や年代別代表での活躍が評価され、2004年には、高校3年生ながらトップチームに2種登録選手として登録され、リーグ戦1試合でベンチ入りしました。
高校3年次の西川選手。

J1デビューそしてA代表にオリンピック。地元での濃い時間を過ごした【大分トリニータ】時代

2005年からは現在湘南ベルマーレでプレーする梅崎司選手と共に、 大分トリニータのトップチームに昇格!
大分トリニータでプロサッカー選手としてのキャリアをスタートしました。
なんと、大分トリニータU-18からトップ昇格を果たした日本人選手はこの2人が初!のちに浦和レッズや日本代表でも共にプレーすることになる梅崎選手とは高校時代からの親友です!

J1デビュー、A代表にオリンピック!順風満帆の日々

2005 FIFAワールドユース選手権において年代別の日本代表の正GKとして全4試合に先発出場すると帰国後、その活躍も評価され2005年7月2日に行われた横浜F・マリノス戦においてJリーグデビューを果たします!J1通算500試合出場までの第一歩を踏み出します!
その後もコンスタントに試合に出場し、高卒ルーキー1年目にして正GKの座を奪取。
プロ2年目の2006年からは背番号を「1」に変更しました。
2006年8月31日のアジアカップ最終予選を戦うメンバーとして日本代表初選出!ちなみに、この時高校時代からの親友である梅崎司選手もメンバーに選出されました。
2008年には北京オリンピックを戦うU-23日本代表に選出され、正GKとしてゴールを守るも成績は3戦全敗でグループリーグ敗退に終わりました。

初タイトル

また同じ年には当時、森重真人選手(現FC東京)、家長昭博選手(現川崎フロンターレ)、清武弘嗣選手(現セレッソ大阪)擁する大分トリニータはJリーグヤマザキナビスコカップでクラブ初タイトルを獲得しました!
自身は怪我で欠場したものの、西川選手にとっても自身初タイトルとなりました!

リーグ2連覇を経験した【サンフレッチェ広島】時代

2010年、活躍の場を広島に移します。サンフレッチェ広島に完全移籍をするとすぐにレギュラーに定着しました!
大分時代と同様に、2年目に背番号を「21」から「1」に変更します!
そして2012年、サンフレッチェ広島はJリーグ初優勝を成し遂げました!自身もリーグ戦全試合に出場しこの優勝に大きく貢献しました。
またこの年、初のJリーグベストイレブンに選出されました!

2年連続のリーグ王者に!

翌年2013年にはJリーグ連覇を達成!
サンフレッチェ広島の黄金期を象徴する選手となりました!

代表にも定着。確固たる地位を築いた【浦和レッズ】時代

リーグ連覇を成し遂げた翌年、西川選手は浦和レッズへ完全移籍しました。当時守備の立て直しが課題であった浦和レッズに加入した西川選手はすぐにレギュラーに定着しました!

仲間との再会

また、かつて共に戦った多くの仲間とも再会することになります。
広島時代に共に戦ったミハイロペトロヴィッチ監督(現北海道コンサドーレ札幌)、槙野智章選手、森脇良太選手(現京都サンガF.C.)、李忠成選手(現京都サンガF.C.)、柏木陽介選手(現FC岐阜)。
そして、梅崎司選手(現湘南ベルマーレ)とも再会することになりました。

常に上位に定着し優勝争いをするも...

自身としては3連覇がかかった2014年、高いパフォーマンスを見せ続け、FIFAワールドカップを戦う日本代表にも選出!
当時Jリーグ記録を塗り替える7試合連続無失点を達成しクラブも首位を走り続けるも、終盤に失速し2位。移籍1年目は悔しいシーズンになりました。
移籍2年目には広島、大分時代と同様に、背番号を「21」から「1」に変更!Jリーグチャンピオンシップが導入された2015年、1stステージ無敗優勝に大きく貢献しました!しかし、チャンピオンシップでは勝利できずまたも優勝を逃してしまいました。
続く2016年にはJリーグYBCルヴァンカップでタイトルを獲得しました!
PK戦までもつれ込んだ激闘、PKを止めクラブを勝利に導いたのは西川選手でした!
リーグ戦でも順調に勝点を積み上げて年間勝点1位に輝くも、この年もチャンピオンシップでは鹿島アントラーズに敗戦。リーグ優勝まであと一歩という状況が数年間続きました。
また、この頃当時の日本代表のハリルホジッチ監督が攻撃的なサッカーを好んだこともあり、西川選手の足元の技術が評価され日本代表の正GKにも定着しました!
さらに、広島時代の2012年に初めて選出されたベストイレブンに5年連続で選ばれるなど、西川選手は日本のGKとして確固たる地位を築き上げました!

主要タイトル制覇へ!

2017年には、AFCチャンピオンズリーグで優勝!アジア王者に輝きました。グループステージでは1試合で2度PKをストップするなど守備に大きく貢献しました!
アジア王者の翌年、2018年には天皇杯王者にも輝き、これで西川選手は国内の主要タイトルを全て獲得したことになりました!

はじめてのキャプテンを経験!

2020年にはキャリア初のキャプテンを経験しました!左腕にはキャプテンマークがまかれ、クラブをまとめ上げました!

#もしJリーグがなかったら

Jリーグが創設25周年の節目の年を迎えた際、「#もしJリーグがなかったら」の世界を実写動画で選手たちがリアルに再現!
なんと西川選手は米農家になっていたそうです!西川選手が作るお米も食べてみたいですね!

セーブだけじゃない!キックにも注目!!

西川選手がこれまでに見せてきたスーパープレイをお届けします!

ゴールを守る姿はまさに守護神!

和製エデルソン!?左足からのキックで攻撃にも貢献!

2016年にはアシストを記録!

西川選手のパントキックを学ぼう!

この動画を見て、西川選手のようなパントキックを蹴れるように皆さんも練習してみよう!

進化を続ける笑顔の守護神!

そしてプロ17年目となった今シーズン、J1リーグ通算500試合出場を達成!
先月には3年4か月ぶりに日本代表にも復帰を果たしました!

衰えを知らない西川選手、どこまで進化し続けるのでしょうか?
これからの活躍にも期待です!!