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【天皇杯3回戦 横浜FM vs 市立船橋高校戦レポート】「辛勝」(03.12.15)

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2003年12月14日開催
天皇杯3回戦
横浜FM 2 - 2 市立船橋 (PK 横浜FM 4 - 1 市立船橋)


 前半6分、左サイドからの横浜F・マリノスFKを安永が頭でそらしたボールを河合が落ち着いて右足でゴールへと叩き込む。2-0。市立船橋高校(以下、市船)のFW田中恒太はその時を、「この先、何点とられるんだろうかと思った」と振り返るが、それは会場の多くの人々が同時に思ったことでもあった。そして「3点目をとられたら終わりだぞ」という声も周囲から漏れ聞こえたのだが、しかし、この「3点目」が遂に来ることがなかったという事実が、試合の様相を大きく突き動かす材料となっていく。

 この試合、横浜F・マリノス(以下、横浜FM)は日韓の代表として東アジア選手権を戦った四選手(久保、奥、中澤、柳)、負傷の松田と榎本達也に加えて、出場停止のGK榎本哲也も欠く布陣であった。対する市船は、大学入試のために欠場を余儀なくされたMF猪俣を除いてベストの陣容で、2回戦を欠場して体調が不安視されていた主将の増嶋竜也も元気な姿を見せていた。

 横浜FMは序盤から「格下」の市船に対して、ボール支配率において完全に優位に立ち、2度目と3度目の決定機で次々と加点。後からこの試合を振り返って、決まり文句のように横浜FMの決定力を嘆くのは簡単なのだが、この日の横浜FMは試合早々のチャンスを確実にモノにするという勝利への鉄則は確実に踏まえていたのである。しかし、最大の問題はこの後の時間帯にこそあった。6分の得点から30分に至るまでの大切な25分間、横浜FMは決定力がなかったのではなく、決定機を作ることができなかったのである。この拙攻を横浜FMの岡田監督は試合後に「簡単に得点できたせいで、逆にできることとできないことの判断がつかなくなってしまった」と振り返り、市船の石渡監督は「2失点目以降に、得点されない時間帯が長く続いたことで相手のペースが乱れた」と回顧する。横浜FMは前半30分に漸く訪れた決定機、44分にFKから迎えた絶好機の双方を市船GK佐藤のグッドセーブに阻まれ、前半終了を迎えることとなってしまった。

 ハーフタイム、市船の石渡監督は「1点とろう。そうすれば流れが変わる」と檄を飛ばしたそうだが、「流れが変わる」ためにもっとも重要なのは「3点目」を奪われないことにあった。逆に横浜FMにしてみれば、「3点目」さえ奪えればどうとでもなる試合だったのである。

 後半は案の定、絶対に負けられない横浜FMが猛攻を仕掛ける展開となる。右MFの佐藤由紀彦から的確なクロスが上がり、岡田監督が「点をとるとしたら、これしかなかった」と語ったセットプレーからも次々と好機が生まれる。とりわけ、2分、10分、21分、22分に訪れたチャンスは決定的だったが、うち3本のシュートは枠外へと逸れていき、残る1本もGK佐藤の守備の前にゴールを割ることができなかった。この時間帯、市船は鈴木が2本のミドルシュートを枠外へ放った以外にシュートはなかったのだが、ボール回しや個々のチャレンジなどには、J1王者を相手にしながらも「本来の自分達のサッカー」(石渡監督)が姿を見せつつあった。

 それが後半24分に最初の結実を迎える。田中のアグレッシブなプレーから奪ったFK、鈴木が中央へと蹴り込んだボールをGK下川が痛恨のキャッチミス。これを見逃さなかった渡邉が強引に足を伸ばして下川より先に触ると、そのこぼれ球を蹴り込んだのはチーム屈指の得点数を誇る増嶋竜也。セットプレーから増嶋が得点という市船の黄金パターンが炸裂したことで、チームは勢いを得る。ベンチもそれに応えて、豊富な運動量を誇るMF壽をピッチへ投入。体力が尽きて次々と足をつらせる選手が続出するチームを盛り立てる。試合後、市船の選手達が揃って「体力的にキツかった」と語るこの時間帯だったが、もっとも両チームの攻守が均衡した時間帯でもあった。この時間帯で横浜FMがまたも好機を逃し続けたのに対し、岡田監督が「すごいなあと思った」と語る市船の踏ん張りは39分に2度目の結実を迎えることとなる。カレンがすばらしい突破から左サイドを抜け出し、中央へ折り返し。待っていたのは「来ると信じていた」という田中恒太。J1王者のゴールネットが再び揺らされる。41分には、石渡監督が「あれを決めるか、決めないかが勝敗の差」と慨嘆した壽の一撃が横浜FMのゴールをかすめるも決まらず、決着は延長戦へ持ち越しとなった。

 延長戦。市船は主将の増嶋が後半終了間際に2枚目の警告で退場し、また選手達の多くが体力的な限界を迎えていたが、FW田中は「みんな足に来てたけど、プライドを賭けて自分がやるべきことをやった」と語る。もはや、市船を応援しているのはバックスタンドの一角に陣取る市船の父兄と控え部員だけではなかった。

延長戦において横浜FMは大攻勢を仕掛けたものの、最後まで「3点目」には手が届かなかった。120分の死闘は両者に「3点目」が生まれないまま終了。迎えたPK戦では横浜FMが4回戦へと進む権利を獲得、市立船橋高校は第83回天皇杯において語り継がれるであろう壮烈な印象を残しつつ「私にとってもチームにとっても実りの大きい大会」(石渡監督)となったカップトーナメントから姿を消すこととなった。


2003.12.15 Reported by 川端暁彦

以上
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