★アジアカップ2007日本代表チームメンバー決定!
★【 アジアカップを振り返る -1- 《アジアカップ2000 レバノン大会》 】はこちら
「初めてのアジアカップだったんで、どういう雰囲気なんだろうと思って大会に入ったけど、本当に苦しかった。アジアで勝つのは簡単じゃないと改めて感じました」としみじみ話すのは遠藤保仁(G大阪)。アジアカップ2004 中国大会の過酷な戦いを知る生き証人の1人だ。
彼が言うように、2004年夏のアジアカップは苦しみの連続だった。気温36度・湿度50%にものぼる悪条件、そして観衆たちの日本代表に対する激しいブーイング…。選手たちを取り巻く全ての環境が想像をはるかに超えた「アウェイ」だった。しかも同組のオマーン、タイ、イランも手ごわい。にもかかわらず、日本代表はベストメンバーが揃わなかった。
中田英寿はグロインペイン、稲本潤一(フランクフルト)は左腓(ひ)骨骨折で長期離脱を強いられており、高原直泰(フランクフルト)と小野伸二(浦和)はアテネ五輪代表の方に回ることになった(高原は肺動脈血栓塞栓症が再発し、アテネ五輪には出場せず)など、ジーコ監督が信頼する欧州組は軒並み不参加。中村俊輔(セルティック)と当時ノアシャランにいた川口能活(磐田)だけがフル稼働する形になり、国内組がチームの大半が占めた。
初戦の相手・オマーンとは2004年2月のドイツワールドカップアジア予選でも対戦。敵将のマチャラ監督は日本のことを熟知していた。GK川口、DF田中誠(磐田)、宮本恒靖(ザルツブルク)、中澤佑二(横浜FM)、ボランチ・遠藤、福西崇史(F東京)、右サイド・加地亮(G大阪)、左サイド・三都主アレサンドロ(ザルツブルク)、トップ下・中村、FW玉田圭司(名古屋)、鈴木隆行(横浜FM)という先発で挑んだ日本だが、特徴を丸裸にされ、思うようなサッカーをさせてもらえない。そればかりか、ボールも支配され、前半のうちに決定機を3度も作られた。
そんな苦境を打ち破ったのが中村俊輔の先制弾だった。福西の速いリスタートからパスを受けた中村がバランスを崩しながら左足アウトで芸術的なゴールをゲット。これで形成を逆転する。後半も楽な展開ではなかったが、何とか守りきって1−0で勝利。2000年レバノン大会初戦とはまるで対照的なスタートとなる。
続く2戦目・タイ戦も開始11分に相手に先制点を許すというまさかの展開を強いられる。守りを固めて一発を狙うタイの戦術が見事にはまったのだ。それでも日本は中村のFKで同点に追いつき、後半には中澤のゴールで逆転。福西の3点目が入る頃にはようやく日本らしいポゼッションサッカーができるようになる。そして中澤がダメ押しとなる4点目をゲット。この大会で中澤の高さとヘディングの強さは日本の大きな武器となった。
これでほぼ1次リーグ通過が決まり、3戦目のイラン戦はどちらも相手を探りつつの戦いをした。結局スコアレスドローに終わったが、そんな中でも後のドイツワールドカップ最終予選で日本の前に立ちはだかるカリミ(バイエルン)が傑出した存在感を披露。試合のMVPを獲得した。
首尾よく1位通過を果たした日本。準々決勝も重慶に残れることになり、選手たちは安堵した。が、その相手・ヨルダンは予想外の強豪だった。しかもスタジアムの雰囲気が異様だった。日本の国歌斉唱がかき消され、ヨルダンに大きな拍手が送られる。集まった5万人の大観衆全てが敵なのだ。この雰囲気に飲まれたのか、日本は開始11分に先制点を奪われる。しかし直後に中村のFKから大会に入ってから不発が続いた鈴木がゴール。すぐさま同点に追いつく。ここからは一進一退の攻防が続く。後半が終わり、延長戦に突入しても決着はつかなかった。試合の行方はとうとうPK戦に委ねられることになる。
ところが1人目の中村、2人目の三都主と立て続けにミス。ヨルダンは2人が成功し、スタジアムの日本攻撃は最高潮に達した。そこでキャプテンマークをつけた男・宮本が動き出す。レフリーに向かって「こんなピッチでPK戦をやるのはフェアじゃない」と堂々と主張したのだ。大会直前に開かれたユーロ2004(ポルトガル)でのベッカムのPK失敗を思い出し、咄嗟に反応したのだという。これで敗色濃厚だった日本の悪いムードが途切れ、軌跡の逆転劇が現実となる。その立役者こそ守護神・川口だった。彼はヨルダンの4・6人目を立て続けにセーブ。日本は7人目の宮本が決めて初めてのリードを奪うと、ヨルダンの7人目がポストを叩き失敗。日本は奇跡的な勝利を収め、ベスト4入りを決めたのだった。
翌日、彼らは4試合を戦った重慶から山東省の済南へ移動。その移動を挟んで中2日で準決勝・バーレーン戦を戦わなければならなかった。ジーコ監督のポリシー通り、基本的に同じメンバーでここまで戦ってきたため、選手たちは疲労困憊だった。その影響からか、またも先制点を許してしまう。エース・中村は徹底マークを受け、日本はチャンスを見出せない。
そんな中、何の反則もしていないように見えた遠藤が一発退場。数的不利の戦いを強いられる。だがそこから日本は奮起。後半に入って途中出場した中田浩二(バーゼル)がセットプレーから同点弾を決め、さらに玉田が逆転に成功。しかし日本は守りきれず、相手に2点を奪われ、2−3にされてしまった。
残り時間は5分余り。ヨルダン戦に続いて敗退危機に瀕した日本。それを救ったのが中澤だった。DFの彼は思い切って前線に上がり豪快なヘッドを決め、試合は延長戦にもつれ込んだ。決着をつけたのは玉田。延長前半3分、宮本のロングフィードから抜け出した彼は値千金の決勝点を叩き込む。またも劇的なゲームで2大会連続ファイナリストとなったのだ。
2004年8月7日。北京・工人体育場で行われた決勝戦は物々しい雰囲気に包まれた。反日ムードはピークに達し、日本人サポーターの入場制限が起きるほど。そのムードが逆に選手たちの闘志を掻き立てる。日本は前半のうちに福西が先制するも、中国MF李明に同点にされ、1−1で前半を折り返す。
しかし後半、セットプレーの名手・中村からファーサイドに詰めていた中田浩二がゴール。2点目を奪う。そして試合終了間際には玉田がダメ押し点をゲット。前半こそ苦しんだ印象だったが、終わってみれば日本の試合巧者ぶりばかりが光るゲームだった。
大会MVPには数多くの得点をお膳立てし、攻撃陣を力強くリードした中村が選ばれた。彼の存在感は文句なしだった。七転八倒の苦しみを味わいながらも勝ちきったことでチームには確固たる一体感が生まれる。ジーコ監督の「海外組偏重主義」も国内組の奮闘で一気に変わった。この大会がワールドカップ予選突破の大きなきっかけになったのだった。
以上
2007.06.25 Reported by 元川悦子
--------
【スケジュール(7月7日〜7月29日)AFCアジアカップ2007】
7月09日(月) 17:20 vsカタール代表(My Dinh National Stadium)/Vissel koube
7月13日(金) 20:35 vsUAE代表(My Dinh National Stadium/VIE)
7月16日(月) 17:20 vsベトナム代表(My Dinh National Stadium/VIE)
7月21日(土) 準々決勝
7月25日(水) 準決勝
7月28日(土) 19:35 3位決定戦(Gelora Seiwijaya /IDN)
7月29日(日) 19:35 決勝(Gelora Bung Karno Stadium/VIE)
J’s GOALニュース
一覧へ【 アジアカップを振り返る -2- 《アジアカップ2004 中国大会》 】強烈なアウェイムードの中、2度の敗退危機を乗り越え2連覇を果たしたジーコジャパン(07.07.01)
- 開幕特集
- 開幕招待
- 国立招待
- J.LEAGUE ALL-STAR DAZN CUP
- 熱き一枚を手に入れろ
- ベイブレードコラボ
- 明治安田のJ活
- 明治安田Jリーグ百年構想リーグ
- 2025 移籍情報
- AFCチャンピオンズリーグエリート2024/25
- AFCチャンピオンズリーグ2 2024/25
- はじめてのJリーグ
- Jリーグ×小野伸二 スマイルフットボールツアーfor a Sustainable Future supported by 明治安田
- J.LEAGUE FANTASY CARD
- NEXT GENERATION MATCH 2026
- シャレン Jリーグ社会連携
- Jリーグ気候アクション
- Jリーグ公式試合での写真・動画のSNS投稿ガイドライン
- J.LEAGUE CORPORATE SITE
















