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イラン第3の都市であるイスファハンを拠点とするセパハンの歴史は1944年まで遡ることができる。この年、ムハマド・ハリリ氏によってシャヒン・イスファハンというクラブが創設され活動をスタート。1967年にセパハンと改称されると、地域リーグにあたるイスファハンリーグに参加する。地方の一クラブに過ぎなかったセパハンに転機が訪れたのは1993年の事。この年にイスファハンに拠点を置くシーマン社に買収されると、1991年に創設されていたイラン国内のトップリーグであるアザディガン・リーグへの参入を果たす。
しかし当時のイラン国内のサッカークラブの勢力図は、テヘランとその近郊にあるクラブが覇権を争う構図となっており、セパハンは地方の一クラブの一つであり続けた。そんなセパハンが飛躍するきっかけとなったのが、2000年のフーラッド・モバラケ社による買収である。この、イスファハンを拠点とする鉄鋼会社による買収によって、チームの正式名称はフーラッド・モバラケ・セパハンと変更。と同時にチーム改革がスタートする。
ちなみにその創設以来イラン国内のトップリーグとしての地位を保ち続けてきたアザディガン・リーグだが、2001年にイランサッカー協会がプロリーグの創設を表明。2001-02シーズンよりイラン・プロ・リーグ(IPL)がスタートしたことにより、アザディガン・リーグは2部リーグとして機能することとなる。ちなみにアザディガン・リーグのさらに下には実質的な3部リーグとしてセカンド・ディビジョンが、そのさらに下に実質的4部リーグとしてサード・ディビジョンが運営されている。
イラン・プロ・リーグ創設時のクラブの一つとして参加したセパハンは参入初年度を9位で終えると、2シーズン目に快挙を達成する。それが2002-03シーズンでのリーグ制覇である。そもそもイランの国内リーグは、テヘランとその近郊に強豪クラブが集中しており、長くテヘランとその周辺に位置するクラブがタイトルを独占してきていた。そうしたイランの国内事情の中、初めてテヘラン圏から外れた地方都市を拠点とするクラブが優勝した事実はイラン国内に驚きを持って伝えられた。
ちなみに余談となるがイランサッカー協会は06年の8月に、イラン・プロ・リーグの改名を表明。ペルシャン・ガルフ・カップ(ペルシャ湾杯)として新たな一歩を踏み出している。もちろん「カップ」とされているが、順位はトーナメントではなくリーグ戦によって決められる。ちなみにリーグに加盟するチーム数は16〜18ほどで、現在進行中の2007-08シーズンに関しては18クラブが戦いを続けており、そのうちテヘラン圏のクラブは5つを数える。
セパハンにとって2002-03シーズンのリーグ制覇は特筆すべきものではあったが、このシーズンを除くと、リーグ戦自体の成績は中位の近辺に位置してきた。ただし今季に関してはイランサッカー協会の協力もあり、ACLへの参戦を理由にリーグの日程を柔軟に動かす対応が成されており、12月1日時点で15節まで進行したリーグにおいて13試合のみの消化となっている。他チームよりも2試合少ない消化試合数にもかかわらず、15試合を消化し、勝ち点35をマークするペルセポリスに次いで勝ち点30の2位。この後、過密日程による未消化試合の開催が予想されるため、厳しい戦いになるのは間違いないがそれにしても見事な戦いだと言えるだろう。今後のリーグ戦でもACL、FCWCの経験を生かした戦いを期待したい。
リーグ戦での戴冠が1度に限られているのに対し、カップ戦でセパハンは強さを見せている。ハズフィ杯優勝クラブに対してACLへの出場権が付与された2001-02シーズンに準決勝に進出。リーグ初制覇を成し遂げた2002-03シーズンを経た2003-04シーズンにハズフィ杯初優勝。さらに2005-06(決勝は06年の9月13日と22日)、2006-07(決勝は07年6月10日と16日)シーズンに連覇を達成。今季に続き、来季のACL出場権をすでに手にしている。ちなみにACLには過去3大会に出場しているが、準優勝となった今季をのぞけば、共にグループリーグ敗退となっている。
すでに記述した通り、現在のセパハンの基礎を築いたのは、シーマン社の傘下となった1993年以降であり、さらにその基盤が盤石となったのはフーラッド・モバラケ社の傘下となった2000年以降である。7度のリーグタイトルを誇るペルセポリスや同5度のエステグラールなどに比べると、現在までにそれほど多くの有名選手がプレーしたわけではないが、そうした背景の中にあっても、日本でもよく知られた数名の選手が過去にプレーしてきている。その筆頭が、1993-94シーズンに在籍したアハマド・レザ・アベドザデである。イラン史上最高のGKの一人と言われる選手だが、この名前でピンと来る人は少なくはないと思われる。というのも1997年11月16日に行われたフランスW杯アジア第三代表決定戦でゴールマウスを守っていた選手なのである。完全にコンディション調整に失敗したイラン代表の状況を考え、わざとらしく痛がる姿は日本中をイライラさせた。また延長後半、中田英寿のシュートをはじいた後、岡野雅行のゴールを見送り頭をがっくり落とす場面などは思い出深いものであろう。ちなみにオーストラリアとのプレーオフでもピッチに立っており、最終的にアウェイゴールルールによってフランスW杯への出場権を獲得したイラン代表を、最後尾から支えた。本大会では2試合でゴールマウスを守っている。
98年のイラン代表メンバーで言うと、メーダド・ミナバンドも2004-05シーズンにセパハンでのプレー経験を持つ一人だ。もちろんみなさんあのフレーズが頭に思い浮かんでいると思うが、前述の第三代表決定戦で実況された「ミナバンドはシュートが好き!!」という絶叫で?有名になった選手である。ちなみに現在は現役を引退し、歌手としてのセカンドキャリアをスタートさせているとの事だ。
現在セパハンでプレーする選手のうち、最もキャリアを積んでいるのはモハラム・ナビドキアであろう。セパハンの下部組織でサッカーを学んだナビドキアは、1999-00シーズンにトップチームに昇格。主力として活躍した2002-03シーズンにセパハンはリーグ制覇を成し遂げている。また2003-04シーズンには、22歳の若さでイランリーグMVPを獲得。2004-05シーズンよりドイツ1部のVfLボーフムへと移籍するが、ケガの影響もあって思い通りのプレーはできなかった。
イラン代表には2002年に初招集され2006年のドイツW杯でメンバー入りするが、負傷選手との入れ替わりだったこともり、出場機会は与えられなかった。セパハンには2006年より復帰。セパハンの攻撃を統べるキープレーヤーとしての地位を確立している。
Reported by 江藤高志
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